3話 刻印儀式
暗い地下の祭壇でタナトスは呟く。
「元々、このためにお前に力を貸したのだから使命は果たしてもらうぞ。黒妖精……」
祭壇には一糸纏わぬ姿の女が横たわっている。心臓に刻まれた刻印は傷痕のように赤く輝いていた。
「……タナトス。リアンに何をした」
調整を終えて起き上がったばかりの青年は強い目でタナトスを見据える。
「……クロワ・アルングリム。リアンは今この瞬間から真闇の【刻印者】となった。つまりは冥の巫女だ。スカアハ様のやり方はぬるい。ここ最近はアスセナ、ダイン、フルイド、ノナ、ブロダイウェズ。こちらの手駒は減るばかり。メリュジーヌと私は手を組み、お前たちを参戦させることにした」
「……参戦に異存はない。だが、ひとつ聞かせろ。リアンに力を貸したとはどういうことだ」
タナトスは長い睫毛を伏せる。
「……リアンの恋人であるお前にはまあ、聞く権利はあるだろうな。いいだろう」
「その前に苦しそうなリアンをどうにかしろ。リアンと違って僕はリアンのためにしか動く気はない。リアンを傷つけるなら【アルングリム】の力を振るうぞ」
タナトスはため息を吐いて、リアンの体を培養槽に沈め、マナの補給を開始した。
「これでいいだろう。全く、人間の愛情というものは理解できん。なぜ弱者のために自分を犠牲にする?弱者など死ぬのが道理だろう。その意味では私も全くお前のことは理解できない。メリュジーヌは違うようだが」
クロワは押し殺した声で呟く。
「……お前には絶対にわからないさ。人間も精霊も道具としてしか見ないお前にはな」
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あの、雨の夜。
クロワが殺された瞬間。
濃密な死の匂いを嗅ぎとったタナトスはあの場に現れた。
タナトスの権能は「死を与えること」。そのため逆にいえばその時をずらす能力も持っていた。リアンの悲痛な叫びを聞き届けて、クロワの時をずらし――
「……これでいい。この男は一命を取り留めた。お前たちには私と一緒に来てもらう。この瞬間からお前たちは私の【道具】だ」
「……構わない。どのみち本来なら今日死ぬのはわたしだったのだから。クロワを助けてくれて本当にありがとう。リアン・ル・フェのことは好きに使っていいわ」
タナトスに案内された場所は薄暗い研究室だった。
「私はクロワの処置を済ませてくる。それが終わったらお前に、最初の冥【イーシェ】の精霊刻印を移植する」
「……はい」
刻印の移植がどういうものなのかはわからない。黒妖精の身ならおそらくは冥のマナにも耐えられるだろうけれど……
リアンは不安を押し殺すように拳を握った。
「……ふむ。月の子どもの男か。では、古き叡智を試してみようか。まずは……レコードキーパー。フルイドも面白いものを作ったな」
タナトスは慣れた手つきでクロワの心臓にレコードキーパーと呼ばれる鉱物を埋め込む。
「人間の技術を侮っていた。研究所に出資して結界や実験体の製造管理をして正解だったか。もっとも、【死】を操れるからといって死すべきでないものを狩れるわけではないが……それはハデス様の領域だからな……」
ほどなく体と融合したレコードキーパーが起動した。
「さて、どれが合うか。月の子どもは戦闘能力が高くマナ感度が高い。十分なマナがあれば自動修復が可能となると……戦闘型因子だな」
タナトスは地下研究所の古き叡智のデータベースからある因子をレコードキーパーにダウンロードした。あとは定着と目覚めを待つだけ。
**
「……ではこれから刻印をお前に刻む。スカアハ様の刻印は強力だ。なのでこれは1回目……」
「……はい……」
リアンの左胸に、冥の刻印のひとかけらが押しつけられた瞬間――
「う、あああああっ!」
焼けるような激しい痛みにリアンの体がはねた。
「……そこまでの痛みか。あとは自動的に欠片が刻まれていくだろうが魚のように跳ねられては面倒だ。大人しくしろ」
「……あ!あああ!いた……い……」
タナトスはリアンの体を仰向けに固定し、痛みで気を失った彼女を冷ややかに見つめていた。刻印は静かに彼女と溶け合っていく。
「鎮痛剤……いや、感覚を麻痺させる薬を作っておくか。クロワの方も同じ症状が出ないとは限らない。精霊刻印を人間に使うのは無理だな。月の子どもや黒妖精でこれでは……」
「タナトス様」
「ああ、来てくれてありがとう。私は人間の扱いがよくわからず、すぐに死なせてしまうから、世話を頼む。食事や睡眠をきちんと与えてやってくれ。このふたりはスカアハ様復活とその後の計画の重要な【駒】だ」
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「……そうか。あんたがリアンの願いを聞き届けて俺を……生き返らせたのか。よくわからない【アルングリム】の因子を足した上で」
「創造主に逆らうなとは言わん。元より私は他者に興味がない。だが、お前は恋人であるリアンを裏切れないだろう?」
クロワは唇を噛む。
「ああ。お前は心底気に食わないが……拾った命だ。僕は全てをリアンに捧げると決めている。リアンの命令になら従う」
「明日にはリアン・ル・フェは完全なる真闇の神子になる。そしてお前の調整も済んだ。フルイドが倒れ、研究所は失われたが、まあ、ほとんどの機材は無傷だったから、ネットワークや電源、マナがあればどうにでもなった。今お前たちがいるのもかつてお前たちを創ったのも、フルイドの研究所だ」
「……お前……たち?」
タナトスの言葉にクロワは息を呑む。
一度死んだ自分が別の因子を埋め込まれた上で生き返ったのはまあ、創ったといえば創ったのだろう。だが、リアンは……?
「何故リアンがお前と会った時に終わりを知っていたのか疑問には思わなかったか?」
「それは、黒妖精特有の何かかと……」
「それに、お前自身もわかっているだろう?記憶の欠落を」
「……生き返る前に感じていた記憶の欠落か……それは確かだけど……タナトス、お前はこう言いたいのか?……僕たちふたりは……お前の手で創られた命で……初めから……初めからこうなる運命だったと」
タナトスは唇を釣り上げる。おそらく心の底から笑っているのだ。
「……そうさ。私はフルイドの才能と研究に魅せられた。そもそもスカアハ様の復活を夢見るようになったのも、それを叶えたのもあの男のおかげだ。私は戦闘も行うが本質は研究者でね。研究所で実験体も手掛けていた。言っただろう。製造管理と。ゾンネやイーサを除いてほとんどは私の作だ。失敗作を速やかに処分分解して再生産するにはこの力は都合が良かった」
クロワは語られる事実のおぞましさに込み上げてくるものを吐きそうになる。
「お前たちはある恋人の素体に手を加えたものだ。元は人間。そこに黒妖精と月の子どもを混ぜ合わせ、生育と成長経過観察のために人間界に捨てた。製造段階で稼働時間は把握していたから、リアンの記憶に刷り込んでおいた」
ああ、これが強者の道理か。弱者を踏みにじり、他者を道具としか見ない下衆の論理か。
「……最悪だ。リアンにもスカアハ様にも従うが……お前にだけは裁きが降ればいいと思うよ……タナトス。勝手にしろっていうなら、リヒトたちがあんたと戦う時、僕は絶対にお前側には立たない。リアンにも全部話すからな……」
「好きにしろ。リアンの状態も安定したから連れて帰ってケアしてやれ」
培養槽のランプが緑に変わり、液が排出され、管が外れる。リアンのほおには赤みが戻っていて、クロワは細い体を優しく抱き抱えた。
「……」
そのまま研究室を出ると、ふたりの居室に繋がった。
クロワは気を失ったままのリアンの体を拭いてそっとベッドに横たえる。
「……【アルングリム】の力は、僕の全ては君だけに捧げる」
つぶやいた声は震え、落ちた雫がリアンのほおを濡らした。




