16話 【嘘】
知恵の泉の番人は問う。
「では、その願いの代償に、貴方は何を捧げますか?」
男は笑って代償を告げる。
「それはーー」
**
「真っ暗だ」
洞窟に身を投げたはずのリヒトは、冷たい床の上にいた。周囲に明かりはないが、明らかにどこかの建物の中だった。
「ニンゲンヲカンチ。ライトヲテントウシマス」
機械音声と共に周囲が明るくなった。
「……ここが、研究所?」
見慣れない場所だった。周囲にはリヒト以外の人影はない。
「コウテイ。ガイドヲハケンシマス」
「ジュリリリリリ」
特徴的な鳴き声と共に白い機械の鳥が飛んできた。これがガイドなのだろう。
「ジュリリリリリ。因子バルドル、因子ルシア。シークレットデータルームのロックを解除。案内します。ジュリリリリリ。ついてきてください」
機械の鳥に案内されたリヒトがたどり着いたのは、無数のモニターが並ぶ部屋だった。
「対象の案内完了。部屋をロック。データ再生します」
モニターの映像が切り替わり、ひとりの女性が現れた。
「リヒト、あるいはゾンネ。私はルシア。バルドルの妻でありあなたたちを生み出した研究者です。これは、【嘘】を遺して逝く私があなたたちに残す【真実】。どうか見届けて……」
**
ルシア。人間でありながらずば抜けた才を持っていた私は、科学者フルイドの研究所にプロジェクトチームの一員として招かれました。
プロジェクト名は「叡智励起」。古代の叡智や出来事を解き明かしていくという触れ込みでした。
この時、プロジェクトチームとなったのがバルドル、ディアン、グロア。精霊である彼らは人間である私にも差別なく接してくれました。
私たちは着実に成果を重ね、超えられない壁を越えるために、やがて禁忌に手を出したのです。
ディアンとグロアは【融石魔術】という技術の開発を始めました。
それは、ダウンロードした知識量に生物では耐えられなかったから。
彼らはまず石に情報をダウンロードするために、特別な鉱物を生み出すことにします。この鉱物の研究を請け負ったのが私とバルドルでした。
私たちは島を出て、色々な場所で様々な鉱物を採取しました。様々な危険を乗り越えていく中で私たちは自然と恋に落ちました。
そして私のお腹にリヒトが宿った日に、ディアンたちから特別な鉱物の生成に成功したと連絡が来たのです。
その鉱物は【レコードキーパー】と名付けられました。
本当の禁忌はこれからです。
ある日、フルイドは私たちにあるユミル一族の素体を提供しました。
目的はメックルカルヴィの制作。【レコードキーパー】を埋め込み、ヨトゥンへイムに眠る叡智の書庫の生体認証を突破するためです。
素体から何体も実験体を作り、失敗作は分解して次の素体の材料にし、唯一成功したのが【イーサ・ユミル】。
私たちは彼を調整してアクセスに成功。彼を通じて古代の叡智をいくつも手に入れました。失われた禁忌の技術さえも。
この頃からフルイドの実験と研究は非道さを増し、それぞれに求める知識を手に入れた私たちは、彼と袂を分かちました。
その後ディアンがソウル・エームに研究所を設立、古代の叡智を駆使して【融石魔術】はほぼ完成しました。しかし、臨床実験がどうしても必要だったため、私とバルドルはマナを提供し、実験体を作り上げました。
目的は非道なことではない、医学の発展であり誰かを救うためと言い聞かせて。
……事実としてほとんどの実験体は施術に耐えられなかった。それでもただひとり生き残って、リヒトと同じ日、ほぼ同じ時刻に目を覚ましたのが【ゾンネ】だった。
この日に【融石魔術】は完成したのです。多くの犠牲を払っても、それでも誰かを救えるかもしれない事実が。
ディアンはすぐに研究所を封鎖し、この技術を自分だけのものとした。
それはフルイドの悪用を恐れたから。だけどあいつはおそらく私の命を狙うでしょう。このデータもおそらく持ち去るでしょうから、あえてこの研究所にもデータのコピーを残しておきます。
リヒト。私は少しだけ未来を知っている。
だからあなたとゾンネを遺して、その日に私が逝く未来も視えている。
本当はリヒトを産むべきではないとも思った。罪深い者の血を継ぐべきではないのではないかと。それに私は、そばにいてあげられないから。
だけど、思い直した。ゾンネのそばにいてあげられる誰かが必要だと。
あなたたちが互いの手を繋いだときに、きっと私は思うの。「生まれてきてくれてありがとう」と。
ーーだから。私はバルドルたちにある【嘘】を遺した。
その優しい【嘘】をいつか暴かれるまで守ってほしいと。
「ゾンネとリヒトは【双子】」
だけど私は願う。同じマナを持つあなたたちが
いつか本当に【兄弟】になれる未来を。そして幸せを。
ブツン、と音を残してモニターは沈黙する。
「ジュリリリリリ。再生は終了しました。案内は終了しています。新たな案内先を入力してください」
リヒトは明かされた事実に呆然とし、それでも強く頷く。
「ゾンネの……フィンスのところへ。僕の【弟】のところへ連れて行って!」
**
その頃、フルイドの研究室には因縁を持つ者たちが集っていた。
「久しぶりだね。バルドル、ディアン、グロア」
「てめえの蛮行を止めに来たぜ。フルイド……」
ディアンの口から低く鋭い声が漏れる。
「口の悪さは変わっていませんね。もっともそっちがあなたの素でしょうが」
「昔馴染みに言葉を取り繕う必要はないだろうが。今じゃ敵同士なんだし、よ!」
ディアンは無数の投げナイフを放つ。いくつかのナイフがフルイドに傷をつけた。
「手が早いですね。バルドルと出会ってやんちゃしてたとは聞いてはいましたが」
フルイドは頬の血を拭うこともなくディアンを見据える。
「フルイド。お前には禁域越境の疑いがかけられている。世界の楔に触れれば世界が壊れる可能性がある。故にシュリ女王は掟に基づきお前を討つと決めた。他にも余罪はあるが多すぎるので放っておく」
「……科学者は自分では戦わないものですが、あなたたちだけは別です。さてこれは、イーサ・ユミルの血から作り出した強化薬。巨人にあなたたちは……勝てますか?」
フルイドが薬を飲むと、その姿は異形の巨人に変わる。研究所の天井が突き破られ、瓦礫がディアンたちを襲う。
「……ディアン、グロアは足を狙え。俺は飛べるから……心臓を狙う!」
ばさり。
失われたはずの白い両翼を現してバルドルは空へ舞い上がる。
――識っている。
これは、最後の飛翔だ。ミーミルとの契約と代償で手に入れた、一度きりの命を賭けた復讐の機会。
ゆえに、狙いも方法ももうわかっている。
「バルドルゥ!」
フルイドが飛ばしてくる無数の矢は正確に羽を撃ち抜いて散らす。だが痛みを無視して、バルドルはただまっすぐに心臓を狙って加速していく。
「フルイドォォ!これで……終わりだあああああっ!」
加速して光の矢となったバルドルは巨人の心臓を穿つ。性格無比な一撃で、巨人は地に倒れ、やがて人の姿に戻った。
「……終わったよ……ルシア……」
宙に浮かんでそれを見届けたバルドルから羽が消える。
「ここまで、か」
そのまま落ちてきた彼を受け止めたディアンは異変に気づく。
翼があったはずの場所に深い傷ができていて、そこから流れ落ちる血が床を赤く染めている。グロアの治癒スペルも効く気配がなかった。
「は?おい、バルドル。翼がなくなったって精霊は……」
「無理なんだよ」
「どうして血が止まらないんだ?グロアの治癒スペルが効かないなんて……」
「そういう契約だからな」
「……人として消える。そして魂を捧げる。それが知恵の泉の番人ミーミルに払った代償だよ」
バルドルは淡々と答える。
「お前」
「捧げた魂も消える。俺は人としてさえも生まれ変わることはないんだろうな」
「ロキもイーサも自由になって、やっとリヒトとゾンネに会えた。ルシアの仇も取った。これからじゃないのかよ!」
「……ディアン、何となく俺はわかってたよ。俺はこういう風に消えていくんだろうって。禁忌をおかしてイーサを生み出し、護るつもりがロキもリヒトもゾンネも護ってはやれなかった……光として生まれながら傷つけることしかできなかった」
「……それは俺だって……言えないような実験だって……倫理的に許されないことだってたくさんやって……多くのものを傷つけて……」
「ディアン、お前は違うよ。フィンスもリヒトも救ってくれた……自慢の友人だ。たくさんの精霊を助けてくれたんだから」
バルドルは知っていた。ディアンがソウル・エームの城でたくさんの精霊を救ってきたことを。たとえ直接ディアンやグロアを目にすることがなくても、ずっと彼にとって過去を償おうとするディアンは誇りだった。
「……っ!」
「リヒト、ゾンネ……ロキ、イーサ、そしてシュリ様……どうか、幸せに。消えゆく者が遺せるのはいつだって祈りだけだ。届いても届かなくても」
「……バルドル」
「ディアン、これからもみんなを助けてやってくれ。お前なら、でき……」
それがバルドルの最期の言葉だった。冷たくなった手は力無く赤く染まった床に落ちた。
「どうして……どうしてみんな置いていくんだよ。リューもお前も!大馬鹿だよ!遺された者がどうなるかって考えないんだから!くそっ!」
「ディアン……」
グロアはそっとディアンに寄り添う。床に叩きつけた拳には血が滲んでいた。
「グロア」
「……わたしが傍に居ます。嫌だって言われても傍にいますから!だから……っ」
「グロア、君は」
「護りの証です」
グロアは気持ちを伝えるようにディアンにそっとくちづける。
「私たちはきっとこうして救い続けることで贖罪をしていくのでしょうね」
「そうだな。でも、ひとりじゃないのなら、少しはマシかも、な」
「狂科学者フルイド。そしてリュー、バルドル。これでもう組織は滅びたな。過去は変えられないが、あやまちを繰り返さぬように生きていこう。グロア」
「ええ、ディアン……ずっと」
ディアンは人として消えていったバルドルの体をそっと背負う。
「せめて、ルシアと同じ場所で眠らせてやろう」
「ええ」
ディアンとグロアは転移魔法を使い、研究所を去った。
だからフルイドの体から何かが抜け出したのには気づかなかった。
**
その何かはまっすぐに実験室へ向かい、そこに囚われている黒髪の青年にフルイドの姿で真実を告げた。
「バルドルは先ほど死んだ。お前とリヒトが【双子】。そうか、それがルシアの、あの女の遺した【嘘】か。お前はゾンネ。ディアンの研究所で作られたバルドルとルシアのマナから生まれたただの実験体だよ」
「……そう」
その言葉を突きつけられても、思ったより心は動かなかった。
多分、どこかでわかっていたからだ。
「……実験体だから、何?それでも僕にはちゃんと愛してくれる両親がいた。血のつながりがなくても、忘れていても!兄さんは……僕を【弟】として受け入れようとしてくれてる。だからーー」
どこからか現れた薔薇の細剣がフルイドの心臓を刺し貫いた。
「が、あっ」
フィンスは一度引き抜いて、動けないようにフルイドの両足を穿つ。
「これは父さんと母さんの分だ。……はは。こんな血まみれの姿兄さんには見せられないね……【グーテ・ナハト】」
フィンスは部屋を出て少し離れた空き部屋で壁にもたれた。
「父さん……母さん……」
「……僕、ちゃんと、仇を討ったから……」
ふわりと光の粒が集まり、バルドルの姿に変わる。
〈ああ。お前はずっと俺たちの自慢の子どもだよ。リヒトを、頼む……〉
「うん……」
最後の魂の残滓は弾けて消えて。光精霊バルドルは世界から喪われた。
**
「……」
その頃、ランは冷たい目でフルイドを見下ろしていた。
その手にあるのは、歪な形の鉱物。
「フィンス。残念ながらこいつはこれを砕かないと死なねえんだよ。まあ、いい。あんたは……これ以上背負うな。世界の敵になりそうな奴だ。【番人】がきっちり終わらせといてやる」
ランは手にした鉱物を握りつぶした。
「か、は……」
フルイドの命は完全に尽きた。
「……バルドル。あんたの仇は討った。あとはナギを救い出す」
ランはナギを解放し、何かを感じて背を向けた。
「……このおぞましい感覚……そうか、オレは、そもそも……だからナギから離れたんだったな。眠り姫は解除したけど……ごめん、ナギ。オレはそばにはいられない」
崩れた研究所の天井から、ランは月に向かって舞い上がる。
「……もう一度会えるなら、この物語の果てで」
**
「……ん」
冷たい部屋でナギはひとり目を覚ました。
「……僕は、眠らされて……」
マナを集めて服を構成してからゆっくりと部屋の中を見回すが、誰もいない。
「……懐かしい声を聞いた気がするけど、夢だったのかな……」
ここには何もないと感じたナギは部屋を出て、廊下をゆっくりと歩いていく。
やがて、部屋から出てきたフィンスと合流した。
「フィンス、大丈夫?怪我してる?」
「ナギ、無事だったならよかった。ああ、これは僕の血じゃないけど……兄さんを心配させちゃうね。どこか水場とかプールとかシャワーはなかった?」
「どこかにあった気がする。知らないはずだけど……こっち!」
凪の案内した部屋にはシャワールームがあったので、フィンスは身を清めてからナギがマナで構成した服を身につけた。
「助かったよ。でもなんでナギはここのことを知ってるの?」
「……んー知ってるはずはないんだ。誰かの記憶?かな?とりあえずリヒトたちを探そう!」
フィンスは腑に落ちない、と思ったが優先順位はもちろん仲間との合流だ。とりあえずナギとともに廊下を進み、リヒトたちを探すことを優先しよう。
歩き始めてすぐ、見覚えのある金色の髪の青年が目に入った。
彼はまっすぐに駆け寄るとそのままフィンスを抱きしめる。
「フィンス!」
「兄さ……あ、リヒト……」
「その反応。フィンスも【嘘】を知ったんだね。僕たちは本当の【双子】じゃないって」
フィンスは躊躇いがちに頷く。
「……兄さんでいいよ。ルシア母さんの遺した【嘘】を真実にできるのはもう僕たちだけ。父さんは……もう……」
「僕は、ただの実験体で。父さんと母さんのマナが混ざってはいるけど、人間じゃなくて……それでも、兄さんは、僕を【弟】にしてくれるの?」
「……もちろん。僕たちは【双子】でいい。これから先もずっと」
双子は寄り添って透明な涙をこぼす。案内役の機械鳥だけがそれをそっと見つめていた。
**
機械鳥の案内に従って建物の外に出ると、そこはただの洞窟の入り口だった。
シュネルたちは疲れた様子で入り口に座り込み、ニミュエがイーサの首輪をはめなおしていた。
聞くとリヒトたちと別れた後で、首輪を外されて暴走したイーサと戦っていたが、急に暴走がおさまりイーサは疲れて眠り始め、ジュリリリリリと鳴く鳥が出口に案内してくれたらしい。
「……とりあえずみんな無事でよかった。今は、それでいい」
リヒトたちは森を抜け、満身創痍で学者の街の宿屋に戻り、夕食も取らずに眠った。
翌朝、夜明けの光にリヒトは目を覚ました。
テラスの先には海が広がっている。珍しく凪いでいた。
「……誰かを喪っても世界は変わらずに続いていく、か……」
「……この旅が終わったら父さんと母さんの墓参りにいこう。兄さん。ディアンやグロアなら知ってるってスヴァンフフィードさんが言ってたから」
「フィンス……」
フィンスはそっと歩いてきてリヒトの隣に寄り添う。
「正直まだ実感がないんだ。色々とね。でも、兄さんが僕を【弟】として認めてくれたから、きっと僕はもう大丈夫」
「うん。流石にお腹が空いたから何か食べようか……」
「賛成」
ふたりは穏やかな表情で食堂へ向かった。
その後、無事に本土に戻ったリヒトたちを待ち受けていたのは衝撃的な知らせだった。
「太陽聖堂襲撃。神子は行方不明に。
聖都イグレシアは現在、観光客の受け入れを全面的に停止しております――」
4部へ続く




