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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第三部 二つの世界編
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15話 小さな願いと優しい【嘘】

それは、きみの小さな願い。


 きみが遺した優しい「嘘」。


 組織の研究所から逃げ出して、隠れ住んだ小さな街。


 穏やかな小春日和の午後のこと。


 産声と共に金色の髪の子どもが生まれ落ちた。


 「……」


 その子どもにそっと近づいていったゾンネは手をぎゅっと握った。


 ゾンネは今朝、地下の培養槽で目を開いた実験体で、組織によって生み出された存在。俺は、組織の【失敗作】であっても俺とルシアのマナが混ざったこの子を見捨てることはできなかった。だから組織を逃げ出す時に培養槽ごと持ってきたのだった。


 「ふふ。まるで双子みたい。でもどちらにもあなたのマナと私のマナが混ざっているのなら血の繋がりはなくても同じ日に生まれた兄弟だわ」


 きみは、そう言って咳き込んだ。


「……ねえバルドル。どうか、このふたりを【双子】として育てて。ゾンネをただの子どもとして、育てて。優しい【嘘】を……守り抜いて」


「……わかった」


 きみはその日の夜に、生まれ落ちた子に【リヒト】という名前だけを遺して眠るように星の闇へ還っていった。


 ーー【嘘】は必ず暴かれる。たとえそれが優しい【嘘】でも。


 そのことを知りながら、俺はきみの願いを裏切れなかった。


 否、一度双子の人生を歪めてしまった俺にはもう、その【嘘】を守り続けるしかない。ただひとつ残された、ルシアの願い。


**


 月が静かに、世界を照らしていた。


 乗客が寝静まった鉱石船の見晴し台で白銀の男はひとり夜風に吹かれていた。


「ラン」


 首に提げたペンダントの石を見て思い出したかたわれの名前。


 進む先には確かに気配があるが、弱っているのか、それともひどく遠いからなのかはわからないが、ランの気配は酷く弱かった。


「きみに会いたい」


「……会わせてやろうか?」


 不意に背後に現れた気配に振り返ると、そこには女が立っていた。


 夜に溶け込むような黒髪を潮風に靡かせ、スカアハに似た東洋風の装束を身に纏っている。


「……誰?ランに何かしたの?無事なの?」


「……私はシェン。今はフルイドに依頼を受けている身だ。単刀直入に言おう。フルイドはお前のかたわれを捕らえた。今は研究所で被験体として扱われている。生物の異形化の力を買われてな」


「異形化……?ランにはそんな力はなかったはず……」


 ナギの動揺をシェンは見逃さず、細い針が彼の肌に突き立った。


「え……」


「眠り姫。フルイドの妻【毒花】の特別製の睡眠毒だ。人間以外にとてもよく効く。まあ眠らせる以外の効果はないようだが」


「く……」


 抗えないほどの眠気に襲われ、ナギはその場に倒れた。


「あっけない。あとはこれを運べば依頼は終了ーー」


「……させないよ」


 見張り台から飛び降りようとするシェンの足を、斬撃が襲う。


「なっ」


 バランスを崩して甲板に叩きつけられた彼女にさらに黒い羽が降り注ぐ。


「……僕はほとんど眠りを必要としない。むしろ今日みたいに月が綺麗な夜には力が増すのさ……ナギを返せ」


 シェンが放った毒つきのナイフは毒を無効化された上で全て弾かれる。


「そして、毒のお返し」


「ぐ、あ」


 冷たく告げて突き立った薔薇の細剣からシェンの体に毒が還る。


 その時、彼女は思い出した。対峙している者の正体を。


「そうか、その吸収能力……お前はフルイドの研究所から持ち出された……【ゾンネ】……か……」


「え……?」


 相手の隙をつき、シェンは煙幕を投げ、ナギと共に消える。


「っ、しまった……!すぐに兄さんたちに知らせないと……でも、どういうことなの……」


 駆けようとした足が、程なく止まる。


「……【ゾンネ】は確かにかつての僕の名前だけど……研究所……?フルイドの……持ち出された……?僕は、僕は兄さんの……弟で、僕らは……双子の兄弟、で……」


 信じているものが崩れていくような恐怖を振り払うように首を振る。


「……今はナギだ。僕の事情は後でいい……優先順位を間違えるな、フィンス。ナハトさまから散々教わってきたはずだ。冷静になれ。優先順位を間違えるな……!」


 水平線がほのかに色づいていく。遠くに港町の影を認めたフィンスはゆっくりと部屋に戻った。港に着いた後、すぐに行動が取れるように。


**


「フルイド。我はここまでだが、依頼は果たした。ナギだ。お前が捕らえたランをかたわれだと言っていた」


「ご苦労さまです。ランは性格や生まれのせいか気性が荒く、実験にも行き詰まっていたところです」


 フルイドはナギを背負うと、そのまま奥に消えた。


「……く……」


 地面に横たわるシェンの元に替わりに姿を現したのは【毒花】だ。


「ご苦労さま。でも、死んじゃう前にシェンちゃんにはもうひとつお仕事があるの。傷は塞いであげるから、あなたの毒を、ノナにちょうだい?」


「は……?しかし、この毒は致死性が高く、摂取は推奨できるものでは……」


 パン、と音がしてシェンの頰が赤く染まる。


「うるさいなあ。ノナの毒の材料になれって言ってるの。もうすぐ死ぬあなたになら教えてあげようか?ノナは源命樹の一族でね、元々毒には耐性があるの。私のカラダに毒を注ぎ込むとね、体液が変化して色んな毒が作れるの。あ、大丈夫だよ、血と体液と、涙をもらうぐらい。終わったらフルイドの材料にならないように海にでも棄ててあげるから。いやでしょ?好きでもない相手に死んだ後にカラダをいじくられるとか」


「……好きにしろ」


 力なく告げたシェンをノナはおとものオオカミに乗せて研究室へ運んで行く。


「シュネルちゃんのオオカミ、忘れられないから従順なオオカミ魔物作っちゃった。忠実でかっこいいいい子だね。いい子かあ。そういえばノナには花生っていう弟くんがいたっけ?いい子だったけど病気だったから多分もう死んじゃったよね」


**


「ナギ……なんで……てめえら、ナギに指一本でも触れてみろよ……消し飛ばすぞ」


 ランの目の前に運ばれてきたのは培養槽の中で眠っているナギだった。


 体に傷などは見られないが、目覚める様子もない。


「やはり、彼が貴方のかたわれでしたか。シェンに攫ってきていただいた甲斐がありました。ゾンネ、という名前に心当たりはありますか?」


「ねえよ。オレらは互いの記憶すら曖昧だけど。過去なんて覚えちゃいねえ。


ただ、攫ったってことはそいつがナギに危害を加えたりはしてねえってのはわかる。多分、世話してくれたんだろうな……」


 ランにだけは確信できる。なぜなら彼は忘却の河を渡ってもほんの少しだけの記憶を保持する機能があるからだ。【レテ】であるナギは記憶の管理者であるゆえ、悪用を避けるためにも基本的に名前とかたわれの存在以外の記憶は全消去される。


 だが、ランは違う。ランには少しの記憶と、別の機能がある。


「ふむ。まあゾンネがここに来るなら好都合というもの。リヒトやイーサ、ロキも動くでしょうし、彼らを捕らえれば私の復讐相手を引き摺り出すことができます」


「おっさん、敵多そうだもんな」


「ええ。天才には敵が多いのですよ。バルドル、グロア、そしてディアン!徹底的に潰して差し上げましょう」


 フルイドはそう言って高笑いをしながら去っていった。


「……ナギ。来るなよバカ。……でも、お前真面目だもんな。掟ではそうなってるし、今オレがやるべきことは、フルイドを消すことだ。あいつは……やばい。界秘幻郷があいつの手に渡ったら……本当に世界が終わるぜ……」


 ランは培養槽に体を預けて目を閉じる。


 その時に向けて力と体力を回復させるためにナギの体とマナリンクする。柔らかで強いマナが、ランを癒し満たしていく。


**


「そうか、フルイドが動きましたか。では私たちも動かねばなりません。ディアン」


「わかってるさ。しかし、リヒトくんたちがもう動いているのが気がかりだ。フィンス、イーサ、ロキ。あの3人だけは研究所自体に近づけたくなかった。【嘘】の話をバルドルから聞いていたからね……」


 ディアンはメスをカバンに詰めながら、まつ毛を伏せた。


「……【嘘】は必ず暴かれるものです。できることをしましょう。バルドル、いいですね?」


「……ああ。今度こそ守ってみせるさ。全てを賭けて」


**


 夜は明け、予定通りに鉱石船は港町に着いた。


 人々で賑わう市場の片隅にあるレストランの個室でリヒトたちは朝食を摂りながら作戦を練り、フルイドの研究所があるという島への定期船に乗り込んだ。


 島の周囲は海流が複雑な上に、海が荒れやすいため訪れるものは少ない。ただ、独特の進化を遂げた動植物が多く、それを求めて訪れた研究者のための小さな街が出来ていた。


 リヒトたちは街で聞き込みをしたが、そんな研究所は誰も知らないという。


 代わりに、フルイドに関する情報はたくさん聞けた。


 ほとんどの研究者は彼を「狂科学者」と評していた。なんでも倫理などない非道な実験を繰り返しているからだとか。


 しかし、そんなことよりもリヒトたちをざわつかせたのは、


「フルイド?あいつ【断罪の牙】の長が妻なんだって噂があってな。本人もだがとにかく物騒な男だよ。研究所?誰も見た奴はいないが、この島の地下には巨大な空洞がある。入り口は森に覆われてるからあるんならそこかもな」


「【断罪の牙】の長……?フルイドはノナと通じてるの?いや、うん、色々聞いてるとものすごく……気が合いそうではあるけど」


「ぶ、物騒すぎるぜ?稀代の毒使いと狂科学者って……それに、リヒトとフィンスは致命傷負わされた相手だし、俺は狼にされたし……」


「何?怖気付いた?わたしは逆よ。ここにいる全員の仇だし、明確な下衆や悪なら倒しても後腐れがなくていいわ」


 クルクの言葉に全員が頷く。


「そうですね。怖気付いてる場合じゃありません。スカアハ側の戦力になる前に潰してしまうべきです。……個人的な恨みもありますし、ね?」


 笑顔で言い切ったアルヒェの目はまったく笑っていなかったため、その場にいた全員は彼女の怒りを察して、決意を新たにした。


「……ねえ、兄さん」


 森の入り口でフィンスが問う。


「……兄さんは、もし僕が本当の兄弟じゃ、双子じゃなかったらーー」


 ーー次の瞬間、世界が割れて、反転した。


「……フィンス……?」


 ひとり残されたリヒトの前には、暗い洞窟がぽっかりと口を開けている。


「……行かなきゃ」


 仲間を探すために、そして彼の言葉に応えるために彼は暗闇へ身を投じた。



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