14話 凪
深い青。忘却の河に守られた辿り着けないはずのその先。
いうなれば世界の心臓。世界があり続けるための楔。
古き伝承。生命の生まれ故郷ーーその名を界秘幻郷という。
そこにはかつての箱庭宇宙から流れ着いた【大星樹の種】から芽吹いた【世界樹】が静かに佇んでいる。
時がくれば【世界樹】から落ちた種は世界を漂い、やがてどこかで新たな世界が芽吹くだろう。
その種とは巨大な結晶である。可能性の種は、今は十二個。日によって増えたり減ったりする。
ーー僕たち双子は、この【世界樹】を守るために生まれた、【世界樹】の化身だ。
破壊と創造。それぞれの権能を持つ人ならざる双子。
だけど、今ぼくのそばに彼はいない。
数日前。
忘却の河の番人でもあるぼくを、【レテ】を欺こうとする者が現れた。
そいつは忘却の河の水を飲まずに、河を渡ろうとしたのだ。
最終的には権限を使って弾き返したけれど、不気味なほどに軽かった。
そもそも本来なら、生者が忘却の河に来られるはずはないのだ。
ーー界秘幻郷のさらに先。そこには【星の闇】がある。
すべての魂はそこに還り、次の廻りの時を待つ。
世界を忘れ、世界に忘却された魂は河を超えてそこへとただ流れていく。
ただ、特別な魂は、重すぎて河を渡れない。それらは宝石に変わるので一旦世界樹の根元の泉に沈める。長い時間をかけて少しずつ魂は星の闇へ流れていく。
「ふう」
オパール、真珠、ダイアモンド、ルビー。
強く美しく輝く宝石たちを泉に沈め、ぼくは深いため息をついた。
「ラン、帰ってこなかった。ぼくも掟に従って下の世界へ落ちなくちゃ」
界秘幻郷に危険が迫る時、番人はそこを去る。
忘却の河で、全てを忘れることで永遠に道を閉ざす。
ーーだから、まもなくすべてを忘れるだろう。
彼のことも、ぼく自身のことも、うつくしい世界の秘密も、すべて。
**
水を抜けた感覚があった。
「う……」
息をして、目を開く。
「……綺麗……」
そこは一面の鉱物に覆われた海の中の洞窟だった。
穏やかな日射しを透かして、透明な石は海色に輝いている。
「ここ、どこ?人間界【ジェンティア】?マナが、だいぶ濃いけど」
何も覚えてはいないはずなのに、自分がどこにいるのかだけははっきりと感じ取れた。周囲に人はいない。ただ波音だけが穏やかに響いている。
「……ぼくは、何を、するん、だっけ」
その時首から提げていたペンダントの宝石が太陽に反射して輝いた。
「……そうだ、きみを、さがさなきゃ。かたわれを、探さなきゃ」
白銀の髪を持つ青年は静かに立ち上がり、薄暗い洞窟の中を歩き出した。
**
「……」
リヒトは強い南国の陽射しを避けるようにビーチパラソルの下で本を読んでいた。
ここは、南洋諸島群の島のひとつでリゾート地として有名な場所だ。
ネージュ・フィオーレでの決戦を終えてクラージュと別れる前の晩に、精霊界からスヴァンフフィードが現れて告げた。
「南洋諸島群の島のひとつに非常に強いマナ反応を感じたので調査してほしい」
クラージュは残ると言い張っていたが最終的には大臣やニミュエの説得で折れ、療養ということで同行することになった。
「……クラージュ、楽しそうだ」
大切な人と父親を喪失し、代わりに国と民を取り戻した若き女王。
彼女の心の傷が癒えるまでにはまだ時間がかかるだろう。
それに国に戻れば女王としての仕事が山積みで、遊ぶ暇も悲しむ暇もないだろうからせめて今だけは。
「トマーテジュース持ってきたよ、兄さん」
「あ、フィンス。こう暑いと喉が渇くね。いや、砂漠に比べたら全然マシなんだけど」
冷たく冷えたトマーテジュースをひとくち飲んで、リヒトはほう、と息を吐いた。
「潮風は嫌いじゃない。穏やかだった時間を思い出すからね」
フィンスはトマーテジュースを少し小皿に移してテーブルに置く。とまとぺんぎんは嬉しそうにそれを飲み始めた。
「随分懐いたねその子」
「ふふ。かわいいけど、花ぺんぎんってすごい存在なんだってさ」
「すごい?」
「なんでも、この宇宙の始まりって【箱庭宇宙】で、そこには【大星樹】っていう巨大な世界樹があったらしい。その世界樹から生まれた【瞳】が彼らなんだってさ」
リヒトは改めてとまとぺんぎんを見る。
「……とてもそんなふうには見えない」
「だよね。でもね、彼らは一度懐いた相手には一生寄り添うし、危機には全てを賭けて助けてくれるらしいよ。ま、期待はしてないけどね」
とまとぺんぎんはいつのまにかテーブルの上ですやすや眠っている。
海はどこまでも穏やかで、陽射しは優しい。
「リヒト、フィンス。俺もう少ししたらあそこの洞窟に行ってみようと思ってるんだ」
「シュネル。洞窟って?」
「ああ、あそこ。地元の人に聞いたんだけど、夕暮れの時間にだけ潮が引いて道ができるんだって。中にはすごく綺麗な海蛍石が群生してるらしい。陽が弱くなればふたりも動きやすいだろ?」
シュネルが指差す先には確かに小島のようなものが見えた。
「そうだね……ぼくは賛成かな。兄さんもおいでよ。流石に南国リゾートの思い出が読書とトマーテジュースというのは味気ないからね」
「そうかも。じゃあもう少ししたら呼びにきて」
わかった、と言ってシュネルはまた海岸へ戻って行った。
「……シュネルはなんというか勘がいいね。それとも緋鳥の一族の特性なのかもしれないな」
「……?」
フィンスはなんでもないよ、と笑うととまとぺんぎんにおさかなくっきーを手渡した。
**
夕暮れの中、海に現れた道をリヒト、フィンス、シュネルが進む。
「お、着いた」
洞窟の中は薄暗く、リヒトは借りてきたランタンをつける。
「ところどころ深くなってるし、滑らないように気をつけろよ」
時折腰まで水に浸かりながら洞窟を進んでいくと、海蛍石の群生の中に男がひとり倒れていた。
「お、おい?大丈夫か?」
シュネルが駆け寄って助け起こすと、男は青い瞳をゆっくりと開く。
「なんだか、お腹が鳴って力が出なくて……なんなんですかねこれ……」
この言葉にリヒトは確信する。
「君は人間じゃないよね。精霊なの?」
「精霊……なんでしょうか?とりあえず、この場所は綺麗ですが動けなくて……潮が満ちると水没してしまいそうですし……」
「ま、ここを出てからにしようぜ。俺はシュネル。とりあえず背負って運ぶからちゃんと捕まっててくれ。潮が少しずつ満ち始めてるから帰るぞ」
リヒトは念のために近くに落ちていた海蛍石の原石を拾った後でシュネルやフィンスと共に洞窟を後にした。
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「生き返りました……空腹を感じたのは初めてだったので……」
無事洞窟から戻ったリヒトたちは仲間と合流し、浜辺でバーベキューを楽しんでいた。南洋諸島の空は澄んで、星が綺麗に見える。
「わかるわかる。精霊って空腹を感じたりしないもんね。でも、あなたは精霊とは少し違う感じがする」
シュリの言葉に、
「そうなんですか?とりあえず自分が人間でないことだけはわかるんですがそれ以外は何も。あ、この貝の串焼き美味しい」
白銀の髪の青年は嬉しそうに各種串焼きを頬張っている。
「名前とかは?」
「名前……は多分元々ないんですよね。ただ、とても大事なかたわれを探していることだけは覚えています」
青年はそう言って星を見上げる。
「といっても名前がないと不便よ……これ、海蛍石って言うんだけどこれが採れてあんたが倒れてたあの場所って【汐凪の洞窟】って言うらしいから……ナギはどうかしらね」
青年は少し考えて、
「いいですね。ナギ。じゃあこれからそう名乗ることにします」
こうして、ナギと呼ばれる青年が旅の仲間に加わった。
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「なるほど。ナギという青年からは非常に強いマナを感じます。ですが、確かに精霊に近いですが、精霊ではない気配がしますね」
皆が寝静まった後、シュリはスヴァンフフィードに報告を行っていた。
「とりあえずマナの件はナギだったってことだけど、彼は【かたわれ】を探していると言っていたの。精霊界や人間界で情報があればすぐに伝えてほしい。ナギの話だと紫色の瞳で白銀の髪か漆黒の髪の男だって。厳密には性別はないって言っていたけど……」
「承知しました。……念のため別件ですが、報告を。精霊界と人間界に拠点を持つ狂科学者フルイドに不穏な動きがあるとディアンから。彼は【断罪の牙】の長と通じているとの説もあります。また、彼の活動地域で【心狂い】ーー生物の異形化が多発しています。地図をお渡ししておきますが、くれぐれもお気をつけて」
「ありがとう」
シュリは手渡された地図をしまい、夜空を見上げる。
ちかちかと揺れて瞬く星は嵐の到来の前兆と聞いた。
「……そうね、嵐がくる。フルイド、ディアン、グロア、そして……バルドル。リヒトやフィンス、ロキやイーサ。もしかしたらナギも」
女王となった彼女は識っていた。フルイドが何をしたのか、しようとしているのか。
「リヒト、フィンス。ついにあなたたちは、【嘘】と【真実】に向き合うことになる」




