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AnfangSage  作者: 上月琴葉
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第五話 そして、世界は動き出す

 夜が明ける。東の空を染める薄紫、淡いピンク、そして黄色のグラデーション。目を覚ました鳥達は朝の訪れを祝うかのように歌う。


「……もう……朝……なんですね」


 ベッドに寝転がったまま、アルヒェはひとり呟く。


 正直に言えば、まったく眠ることができなかった。否、目を閉じるのがどうしようもなく怖かった。目を閉じると思い出してしまいそうで、夢に見そうで。


 心喰らいにより異形と化した友、謎の青年との共闘、かつての友を自らの手で屠ったという事実。


 心喰らいの治療法が見つかっていない以上、アルヒェの取った行動は間違いなく最善だった。それでも人に感情というものがある限りはそう簡単に割り切れるものではない。


 彼女は――コーアは果たして救われたのか。


 不意に見た自分の手はまるで血塗れのようにさえ思えた。


「あたしが……この手で……あの子を……」


 それはどんな理由があったとしても揺るがない事実。


 コーアはもうこの世界にはいない。


「もう見習いシスターを名乗る資格もありませんね……」


 それは傷であり、罪。彼女が生きている限り背負い続けていく業。


 その頃、大陽聖堂の最上階の私室でアスセナはゆっくりと起き上がった。薄いシルクで作られた寝間着は朝日越しに彼女の体の線を浮かび上がらせる。


「……いつもと変わり映えのしない風景。そして変わらない朝……退屈ね」


 強くなり始めた朝日を避けるようにカーテンを閉め、彼女は無造作に寝間着を脱ぎ捨てる。


「……」


 溜め息をつきながら緋色の正装に着替えた。


「どうせ……私は偽物よ……認められなかった負け犬……聖堂のお飾りだわ」


 何が大陽の巫女だ。最高権力者だ。重要なことは相談もせず決めて承認だけ無理に迫る癖に。


「それにあいつら何が聖職者よ。裏では人に言えない様なことしまくってるくせに……」


 権力をかさに着て世俗の欲にまみれた醜く汚らわしい豚ども。それがアスセナの聖堂の人間に抱く印象だった。特に無理矢理唇を奪われてからはその思いは強い。


 当時まだ今の地位になかったアスセナには愛する者がいて、その者よりも順番が先だったのだから尚更だろう。


「……絶対に復讐してやるわ……私が偽物なんかじゃないって証明するの……邪魔者は全部消してやる……とくにあの子は」


 だからそれまでは今の地位に甘んじてあげよう。


 アスセナはいつもと変わらぬ柔らかな表情と微笑みを浮かべて、私室を後にした。



**


 この世界のどこか。


「……報告は以上です……ナハト様」


 フィンスから報告、つまりは心喰らい事件の一部始終を聞いたナハト、と呼ばれる人物は少し考えてから顔を上げた。闇を思わせる漆黒の髪に蒼い瞳。見た目は女性にも男性にも見える。


「……なるほど。フィンス、貴方には引き続き『心喰らい』の調査をお願いします」


「仰せのままに」


 フィンスは報告を終え、踵を返そうとしてとどまった。


「そういえばナハト様。昨日兄さんに……会いました」


「…………どうでしたか」


 ナハトの問いにフィンスは寂しそうに睫毛を伏せる。


「……憶えていないようでした。何も。記憶喪失なのは知っていましたがもしかしたらと……」


「……そうですか」


「……でも僕は諦めない。絶対に、兄さんに思い出させてあげるんだ……そして今度こそ……ずっと一緒に――」


 それだけが僕の願い……


** 


 部屋のドアをノックする音がした。


「……アルヒェ?もう起きてる?」


「……あ、はい。今開けますね」


 ドアが開いて現れたアルヒェは白いワンピース姿で、いつもより少しやつれて見えた。


「……ありがと……アルヒェ、寝てないの?」


 アルヒェは え、と小さく呟いて、


「……なんでわかるんですか?リヒトさん」


少し哀しそうに睫毛を伏せた。


「…………あんなことがあったら僕だって眠れないから」


「……眠れないというより、寝るのが怖くて。目を閉じたら……浮かんで来るんです。昨日のあの森での出来事が。それに夢にコーアが出て来そうで……辛くて」


「……アルヒェ」


「あたしは……弱いですよね。背負う覚悟で異形と化したあの子を……殺した。なのにまだぐらぐらしてるんです。あの場で最善の選択をしたことは間違いないと思うんです。治す方法はなかった。あのままではあたしがあの子に殺されてたんですから」


「だけど……だけど!そうだってわかっていてもあたしは……押しつぶされそうです!」


 昨日あの森から帰ってきたアルヒェはいつもと同じように気丈に振る舞っていた。一部始終を話す時も彼女は取り乱しも泣きもしなかった。


「……アルヒェは充分強いよ」


「あたしは…………強くなんて」


 リヒトは彼女をそっと抱きしめる。


 ソアはコウモリながらにリヒトを抱きしめてくれた。寂しいとき、辛い時にいつも。だから他意なしに彼はそうしたのだった。そのことで少しでもアルヒェが楽になれるのならと。


「僕は……取り乱さずにはいられない。それ以前に……フィンスに背負わせたかもしれない。背負いきれる覚悟が出来るかも、自信ないよ」


「…………」


「だからアルヒェは強いんだよ。僕よりずっと。けど、強いから泣いちゃいけないってことはない。ソアは僕に言ってたんだ。誰だって辛い時は泣いていいって。 無理して溜め込んでいつか泣けなくなる方が心には悪いって」


「……リヒト……さ……」


 アルヒェの瞳から雫が落ちた。


「…………見ないであげる。シュリにも言わない。だから……泣いていいよ……」


「っ……ひっく……」


 アルヒェが泣き止むまでリヒトはずっと彼女を抱きしめていた。少しでも彼女が、すぐには無理でも前を向いていけるように願いながら。


 柔らかな朝の日差しが全てを優しく照らしていた。


**


 一方で、世界のどこかでは――


「……そうなんですね。じゃあわたし達もそろそろ動きましょう?」


「ノナ様」


「銀月の騎士ちゃん、月の揺籃ちゃん、そして心喰らいを倒した謎の集団……みーんな壊しちゃおうと思うの」


「断罪の牙。我らが女王の仰せのままに」


 新たな闇が静かに動き出していた。


 そして歯車は動きを早めて回り出す――

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