第四話 邂逅
「まずは情報を集めましょう」
聖都イグレシアのほぼ中央部。空を貫くような尖塔。豪奢な装飾があちこちにあしらわれた外壁。円周状に深くはりめぐらされた堀。時折吹く風に水面がわずかに揺れた。
大陽聖堂。この場所が聖なる都とされる理由となる建物。大陽女神ミトラを崇めるミトラ教の総本山で、各地から多くの巡礼者が訪れる。
その荘厳なたたずまいは今、不似合いな喧噪に満ちていた。「心喰らい」事件のせいである。普段なら信者に開け放たれた門も今は固く、閉ざされていた。
しかし、アルヒェの精霊言語の講義に付き添うことでリヒト、シュリは内部に潜入していた。もっともシュリはホウリに借りた司祭服を纏い、リヒトはそれに加えて胸に詰め物、頭にロングのかつらといった格好だったが。
「情報を集めると言っても……どうすれば」
「精霊言語の講義、面白かったね。こっちでも研究進んでるんだね」
精霊言語の講義を終え、三人は廊下を進みながらいつもより小声で会話を交わす。
「そうですね……アスセナ様にお会いするのはまず無理でしょうし……食堂で聞き耳を立てるとか――」
アルヒェがそう言った時だった。
「あら、わたくしに何か御用ですか?」
そう柔らかい声がして、美しい黒髪の女性が姿を現した。緋色の服を身に纏い、高貴なオーラを漂わせている。
「ア、アスセナ様!」
アルヒェが驚いたように声を出し、アスセナの細い指でそっと口を塞がれた。
「聖堂内ではお静かに。まあ、ここにわたくしがいることに驚くのも無理もないでしょうね。何か知りたいことでもありますの?」
アスセナの問いに、
「……聖堂なら『心喰らい』の被害者の浄化法をご存知ないかと思いまして。実は友人が……」
アルヒェは包み隠さず全てを話した。
「……そう……そんなことがありましたの」
全てを聞き終わったアスセナは少し考え込んでから口を開いた。
「残念ながら、浄化方法はわかりませんわ。ひとつだけ言えるのは急いだ方がいいということね。明日の早朝大陽聖堂は銀月の騎士を送り込みます」
「……!」
その言葉を聞いたアルヒェからさあっと血の気が引いた。
「……浅学ですみません。……銀月の騎士とは何ですか?」
その様子を見て、ほんの少しだけ言葉に棘を含ませてリヒトが尋ねる。
「彼らは……闇を刈りとるもの。闇の力――特にアートゥルムやクークラ、月の子ども達が関わる事件を解決するための存在です」
「……そうですか。答えて頂きありがとうございました」
震えそうになるのを必死にこらえて、あくまで淡々とリヒトは答えた。
「……アスセナ様。貴重なご時間を裂いて頂きありがとうございました。行きましょう。ふたりとも」
「あ、アルヒェ!……失礼します」
踵を返して足早に立ち去るアルヒェの後を慌ててふたりが追った。
三人が去った後、
「仕方ないのよアルヒェ……ひとりの犠牲で済むなら組織はそちらを選ぶの……」
アスセナは誰に言うでもなく、そう独り言を呟いていた。
**
「……お帰りなさいアルヒェ、リヒトさんにシュリさん。今飲み物をいれますね」
三人はホウリの教会に戻り、メーラジュースを口にした。 本来は甘くて爽やかなはずの味。しかし三人とも全く味を感じなかった。
ホウリは重苦しい空気を感じたのか奥の部屋に移動し、部屋には三人だけが残されていた。
「確かに……色々わかったね……良くないことばかりが」
リヒトは皮肉るようにそう呟き、ただメーラジュースを飲んだ。
「大陽聖堂をもってしても『心喰らい』は浄化出来ない……人の力じゃ無理ってことか」
シュリもそう言って溜め息をつく。
「明日には異形と化した魔物は――コーアは殺されるんですね。信仰していた……太陽聖堂の――仲間の手によって」
「……そんなの……そんなのって!」
アルヒェはそう叫ぶと、椅子に立てかけてあるヒンメルファルトを掴み、教会を飛び出した。
「アルヒェ?リヒト、アルヒェを追うよ!」
「……ああ!」
シュリとリヒトも後を追おうとして立ち上がるが、場所がわからないことに気付き一瞬躊躇う。すると奥からホウリが世界地図を持って姿を現した。彼女はふたりに地図を渡す。
「……この都の西に薬草が自生している『果ての森』があります。恐らくアルヒェはそこに」
「……ありがとうございます!」
地図を手に、ふたりは迷わずに石畳を駆け抜ける。
**
果ての森。聖都イグレシアの西の果てに鬱蒼と広がり、旅人達の行方を阻む深く暗い森。果て、という名前には恐らくふたつの意味がある。ひとつは聖都イグレシアの西の果てであること。そしてもうひとつは――命の終わる場所。つまりは生命の果てる森。陽光に照らされた場所には薬草を採りに人が訪れるが、その場所は森の入り口の極めて近く。それよりも奥に入るとまずは大陽聖堂の管理する墓地、その更に奥には獣道が続き、道の両脇にはぽつりと木の十字架が立っていた。 そのため別名で十字架の森とも呼ぶらしい。
そんな森の奥深く。呪いなのかそれとも地質がそうさせるのかはわからないが植物のまったく生えない開けた場所。遠い昔に立ち枯れてほぼ石と化した古木の前に、「それ」は居た。
「助けに来ましたよ……コーア」
「それ」は石のようにも見えたが、アルヒェの声に反応すると素早く樹木と化した腕を伸ばす。
「……輝翔閃!」
アルヒェは手にしたヒンメルファルトでその腕をなぎ払った。切り離された腕からはどす黒い液体が零れ落ちたが、ほんの少し時間が経つと灰になって風に消えた。
「……コーア、あたしがわかりますか?」
ヒンメルファルトを構えたまま「それ」に向かってアルヒェは問う。
「ぐ……嗚呼嗚呼アア嗚呼……アルひぇ……オ前は……――ダナ」
「それ」は質問には答えず、代わりにこう言った。
だから、彼女は最後の言葉に戸惑った。
「え……?」
そのチャンスを逃すまいと突き出された槍の様な木の枝が少女の肩に突き刺さる。
「あ……」
傷口から溢れ出す血が服を、地面を染めていく。そしてもう一方の腕が少女の体を絡めとった。
「あハははハはははは!愉快……オイシイ……――のマナ……絶品……」
「あ……うっ……は……」
絡めとられた体に呼吸もままならないくらいに蔓が深く食い込んでいく。彼女の意識が遠ざかっていく。
――……ああコーア……もう貴方は……!
その時だった。
「……見てられないかな。……緋月閃!」
低い声がして蔓が断ち切られた。同時に化け物は呻き、肩に刺さっていた槍も外れる。宙に投げ出された少女の体は地面にぶつからず、代わりにひとりの青年に抱きとめられた。
「……大丈夫?まだ生きてる?」
「……ええと……貴方は……」
青年は答えず代わりに彼女に問うた。微笑みながらも目つきは鋭いままで。
「君はシスターさん?じゃあ月の子どもって存在自体が罪だとか思っちゃうのかな?」
「……そんなこと……そんなことあたしは思いません!だってリヒトさんは私に協力してくれたもの!」
アルヒェは力強くそう答えた。リヒトは言わなかったが彼女は気付いていた。アスセナの言葉に彼が怯えていたことに。
「……リヒト……?へえ、君兄さんの仲間なんだ。……じゃあこれもおまけ」
青年は緋色の目を細めると優しくアルヒェの手の甲に口づけた。途端に柔らかいマナが彼女の中に流れ込んでくる。
「さすがにシスターさんの唇はまずそうだからね。君、――なんでしょ?だったらマナがいるかなってね」
青年はそう言って微笑む。アルヒェの肩の傷口は少しずつ塞がり始めた。
「再生能力のマナを君に分けたんだ。僕らの仲間になったりはしないから安心しなよ」
「ありがとうございます。あたしはアルヒェです。貴方は?もちろん、名乗りたくないなら構いません」
「アルヒェか。月の子どもを……僕らの存在を否定しないシスターなんて変わり者だね。でも僕は好きだな。気分がいいし教えてあげる。僕はフィンス」
フィンスは皮肉りながら、でも嬉しそうにそう言った。
「ぐぐ……ギャア・・喰ウ……食ベル……――モ月ノコドモモ……上手いニ違イナ胃……」
倒れていた化け物がゆっくりと体を起こす。
「おしゃべりはここまでか。君とは一度ゆっくり話してみたいけど……ねえアルヒェ、もうわかってるでしょ?」
フィンスは黒薔薇のレイピアを構える。
「……わかっています……コーアは……もう助からないのでしょう?」
アルヒェは小さく頷くと震える手でヒンメルファルトを構えた。
「……うん……どうする?君が無理なら僕が背負ってあげるよ。苦しいのは……慣れっこ」
フィンスは小さく頷くと、哀しそうに睫毛を伏せた。
彼はアルヒェに問う。
その重みと苦しみを背負う覚悟があるのかどうかを。
「……フィンスさんは、優しいんですね。でもこれは……私が背負うべきものです」
アルヒェはほんの少しだけ考えて、そう寂しげに微笑む。ただ、言葉にははっきりと意志を宿して。
「コーア。友人として貴方を輪廻の輪に乗せます……貴方を……心喰らいの呪縛から解放します!」
アルヒェはそう言うとヒンメルファルトを構え直した。暮れかけた空の残光が世界を森を、彼女を、ヒンメルファルトを緋く染める。
「じゃあ僕はサポートをしてあげる。心喰らいを倒す方法はただひとつ。核を――人でいうなら心臓を貫くことだ!」
「わかりました!」
地を蹴って駆け出すアルヒェにはもう迷いはなかった。
緋い赤い紅いあかい世界。化け物も少女も青年もむせ返る様な緋色の世界の中にいた。その体と剣を緋色に染めて銀の少女は剣を振るい、黒の青年は漆黒の翼を操る術を唱えて化け物をその世界に封じ込める。
落ちる雫は雨のようで、舞い散る羽根は祝福のようで。銀色の髪を振り乱して舞う少女は天使のようで。
やがてヒンメルファルトは核を貫き、化け物は灰となって風に流れされていき、陽の落ちた世界は宵闇の藍に染まった。
静寂に包まれた世界にアルヒェの歌う鎮魂歌が響き渡る。どこまでもその旋律は透きとおり――
「アルヒェ!」
森の中で、思いっきり迷ってしまった結果リヒトとシュリがその場所にたどり着いたのは全てが終わった後だった。
「リヒトさん!シュリさん!」
ふたりに気付いたアルヒェは歌を止めた。
「もー心配したんだよ?」
頬を膨らませるシュリに、
「ごめんなさい。でもこの方が助けてくれたんです」
アルヒェはそう言って青年を紹介する。
「……やっと見つけたよ、兄さん。リヒト兄さん」
青年はシュリには目もくれずにリヒトの方に真っ直ぐ歩いていき、その両手をとった。
「……え?」
リヒトは戸惑うが、青年はおかまい無しに続ける。
「僕はフィンス。今日はいい日になるね。やっと兄さんと会えたんだもの……でも今日はこれだけ。またね、兄さん!」
そしてそのまま宵闇に姿を消した。
リヒトの頭が酷く痛んだ。まるで彼が何かを思い出すことを拒むように。




