第三話 銀の聖女
「……はあ……はあっ……」
早朝、人もまばらな聖都イグレシア。
銀色の髪を乱し、靴音を石畳に響かせて少女は駆ける。何かに追われているような素振りで数度後ろを振り返り、何もいないのを確認して少しの間足を止める。
そして彼女はまた走り出す。何かから逃れるように。
やがて聖都イグレシアの裏門を無事抜けた少女は、古びた遺跡のような場所の門をくぐり抜けてその場に崩れ落ちた。
「黄悠の門……ここまでくれば大丈夫……ですよね。イージス様がきっと守ってくださいます……」
「俺を呼んだ?」
「……ひゃあ!」
突然後ろから声がしたので、少女は思わずびくっとなる。
「あ……ごめん。驚かせちゃったかな……」
少女が振り向くとそこにはダークブラウンの髪と瞳を持つ青年が少し申し訳なさそうな表情で立っていた。 外見年齢は十九才か二十才かそのくらい。顔立ちはその年代にしては幼い雰囲気がある。
「……え……えーと……」
「俺はイージス。訳ありみたいだけど……話してくれないかな?大丈夫だよ、俺は精霊みたいなものだし」
「あたしはアルヒェと言います。実は――」
アルヒェが言いかけた瞬間、遺跡の魔法陣が輝きだし、人物がふたり、突然現れた。
「な、何ですか?」
「あ、リートが転移させてきたんだね。そう言えばふたりほどそっちに転移させるからよろしく、って言ってたっけ」
「……いたた……」「着地が荒いな……」
ひとりは朱色の髪の少女。もうひとりは金髪の髪の青年だった。 着地の際に腰を打ったらしく痛そうに顔をしかめている。
「ふたりともちょっとそのまま」
イージスは彼らに向かって手を翳し、意識を集中する。
< I Epoh……Leah>
彼がそう詠唱すると同時に柔らかい光がふたりを包み込んだ。
「これでもう痛くないと思うよ。ごめんね。リートはわりと大雑把だから」
「……ありがとう。ところで……誰?貴方もそこの女の子も」
少し棘のある口調で青年が尋ねる。
「あ、自己紹介、まだだったね。俺はイージス。『地の瞳』だよ。シュリ様に……君はリヒト君だよね。リートが話してたから」
「あたしはアルヒェ、といいます。リヒトさん、そしてシュリさん。いきなりで悪いんですがあたしの話を聞いてもらえませんか?」
「……聞くだけなら……なんか訳ありみたいな感じがするし」
リヒトはそっけなくそう答えた。
「ありがとうございます。あたしは……友人を助け出したいんです!」
そう言うとアルヒェは話をはじめた。
**
その日もいつもの様に過ぎていくはずだった。
いつものように教会でのお務めを終えたアルヒェと友人のコーアは聖都イグレシアの小さな喫茶店でお茶を楽しんでいた。教会といってもアルヒェやコーアの所属する教会はホウリという人物が親をなくしたみなしごたちのために建てた孤児院のようなもので聖都イグレシアを代表する大陽聖堂ほど規律は厳粛ではない。
ホウリが寄進や寄付によって集めてくるお金で買う食料はほとんどが彼らに与えられるため、働ける年齢になると自分で稼いで食事をして帰ることになっている。
アルヒェやコーアは教会で説教をしたり、街の小さなお店で働きながら暮らしている。身分的には見習いシスターといったところだろうか。
時折ホウリについて大陽聖堂に出向き、神学や教典、聖歌の勉強をすることもある。
大陽聖堂の荘厳な雰囲気や美しい建築は素晴らしいのだけれど、アルヒェはホウリの教会の方が温かみがあるので気に入っていた。それに、身寄りのない彼女にとってはそこは家であり、ホウリはまるで母のような存在だったから。
「あのね、アルヒェ。今日ちょっと怖い噂話を聞いたんだけど」
メーラジュースを一口飲んでコーアはこう切り出した。
「怖い噂話……何ですかそれ?」
「何でもね、最近この世界で人間が突然異形化して周囲の人間に危害を加える『心喰らい』っていう現象が起こってるらしいの」
「……心喰らい?」
アルヒェは聞いたことがない、といったように首を傾げる。
「何でもね聖都イグレシアでも起こったらしくて……大陽聖堂は人ですし詰め状態。聖堂はもちろん調査に乗り出しているようよ」
「……ここでも?」
アルヒェは驚いたように聞き返す。
「そうよ。だから最近は夜になると店を閉めるところが多いみたい」
「あ、そういえば薬草を採って来て欲しいって言われてましたよね。ホウリさまに」
「あそこかー……森の中だからあまり気が進まないけどねえ。もう日も傾き出してるし」
コーアはそう言うとアルヒェの腰に付けられた剣を横目で見た。
「……ま、ヒンメルファルトがあるなら大丈夫かな?」
どちらかと言えば細身の彼女にその大剣はひどく不釣り合いに見えた。しかし、これは彼女が生まれた時から――正確には孤児院に来た時から持っているものだ。アルヒェにとっては羽根のように軽く、手足のように扱える剣。
一見戦いとは無縁そうな彼女だがモンスターに出会うたびにいくどもその剣を振るっている。不思議なことに体が戦い方を覚えているのだ、と彼女は言う。
「アルヒェって実は騎士とかの家系なんじゃない?」
「……どうなんでしょうね。どうであっても……あたしはあたしです。そうとしか言えないし……」
少し俯き気味にそう呟いた彼女に、
「あ、ごめんね。悪いこと言っちゃったかな?」
コーアはそう申し訳なさそうに尋ねる。
アルヒェには孤児院に来る以前の記憶がないことを思い出したからだ。
「気にしなくていいです。それより早く行きましょう?」
アルヒェはコーアの手を引き、ふたりは暮れかけた森へと向かった。
「思えば……あたし達が森に行かなければこんなことには、ならなかったと思います」
暮れかけた森の中、アルヒェとコーアは手に入れた薬草を持って家路を急いでいた。幸いモンスターには出会わずに済んだ。だからこそ、油断していたのかもしれない。
「もし、お嬢さん方」
不意に老人に声をかけられたふたりは足を止めた。
「はい」
「その薬草を少しわけてくださらんかね?病気の娘がおるのじゃ……」
ふたりは顔を見合わせ、コーアが薬草を老人へ差し出す。
「これはこれは……馬鹿な小娘じゃな!」
「え?」
気付くと老人は樹木のような異形の姿に変わっており、手が変化した蔓がコーアの体をきつく締め上げていた。
「……あああっ……アルヒェ……逃げ――」
「コーア!……戯れ言はそのくらいにしなさい……化け物が……!」
アルヒェは逃げ出す代わりにヒンメルファルトを抜き放ち、異形と化した老人へと向ける。
「ひ……ひひひひんめる……ファ……ると!そうカ……おマエ……」
「シュトラール・シュヴェルト!」
アルヒェが聖なる波動を剣に集めて化け物をなぎ払う!
「ぐ……ぎ……」
化け物は怯み、コーアは地面に投げ出された。
「コーア、大丈夫ですか?」
アルヒェはそう声をかけようとして息を呑んだ。
「だめ……アルヒェ……逃げ……ああああああああ嗚呼アア……」
コーアの腕は既に樹木の枝に変形していたのだ。更に言えば自我も危うい状態らしい。
「……ごめんなさい!」
アルヒェは薬草を手に森に踵を返す。異形と化した友人をその場に残して――
「……必ず……助けるから……コーア……」
この時彼女は気付かなかった。ある人物が木陰からその一部始終を見ていたことを。
**
「……へえ……あれがナハト様の言う『心喰らい』?……僕はあんな醜い姿になりたくはないけど」
黒ずくめの青年だった。長い髪を三つ編みにし、コートのような服を身に纏っている。特徴的なのは緋色のその瞳だった。まるで血のように緋い――
「さてと。ここで壊しちゃってもいいんだけど、さっきの子この子を助けたがってたなあ。でも『元の』方は壊しちゃってもいいよね?」
青年は冷笑を浮かべると黒薔薇が象られたレイピアを取り出し、異形化した「老人だったもの」に刃先を向ける。
「ぐ……ぎぎ……おマエ……月ノコドモ……ガ!」
そしてためらいもなく心臓にあたる部分を刺し貫いた。
「はい……おしゃべりはそこまで……よい夢を〈グーテ・ナハト〉」
彼は冷たい笑みを浮かべると抑揚無くそう告げて化け物の血で黒く染まったレイピアを引き抜く。 同時に化け物は灰になり崩れた。
「面倒だな。まあ「ツクリモノ」を壊したところで心は痛まないけど……綺麗な銀の刀身がどす黒くなるのはいい気分じゃないかな」
青年は浄化呪文のようなものを唱えてから元通りの色を取り戻したレイピアを鞘に納めた。
「でもこいつらがもしも兄さんに危害を加えたらと思うと、壊しちゃって正解だったかな?」
青年は誰もいない宵闇の森の中で歌うように呟く。
「兄さんを傷つけるものは許さないよ?だって、そうできるのは僕だけだもの。綺麗な兄さんを汚して壊すのは僕……愛しい愛しい兄さん……」
その様子は紅い月の狂気にも似て――
**
「……というわけなんです」
アルヒェは話し終わるとイージスの差し入れのメーラジュースを一口飲んだ。
「……アルヒェが遭遇したのはシュリの追ってる『心喰らい』だよね」
リヒトの問いに、シュリは頷く。
「うん、間違いないよ。あたしはアルヒェに協力する。心喰らいについて調べたいし、何より……コーアさんを助けてあげたいの」
そしてアルヒェを見て優しく微笑んだ。
「……仕方ないな。面倒だけど……助けてあげるよ」
リヒトはそう言って顔を背ける。
「おふたりともありがとうございます!あたし足手まといにはなりませんから」
アルヒェはそう言うとにっこりと微笑んだ。聖女のように、綺麗に。




