第二話 風の瞳
「といってもどこに行けばいいんだろう……」
「私もこの世界はさっぱりだしなあ……」
黎明が訪れた蒼月の島、その島に建つ洋館のテーブルでリヒトとシュリは地図を前に途方にくれていた。リヒトはずっとこの島に住んではいたが、外に出ることも滅多になく島の地理には疎い。シュリに至っては異世界から来た精霊であるので当然この世界の地理は知るはずもなく。
「とりあえずソアが言ってたんだけど……この世界、ジェンティアは四つの大陸と諸島群から成り立っている世界で、この蒼月の島は世界の西の果てにあるらしい」
「なるほど。西の果ての絶海の孤島ってわけなんだね。リヒト以外に住んでる人は?」
リヒトは首をふるふると横に振る。
「昨日までこの島は常闇の世界だったし、住んでる人は僕らだけだってソアが昔言ってたから。それに……墓碑に名があるってことは僕ら以外に住んでいたであろう三人ももう生きてはいないしね」
「とりあえずどうやって海を渡るかだね。ここの洋館大きいけど書斎とかないのかな……もしかしたら何か役に立つ情報が得られるかもなんだけど」
シュリの言葉に、
「書斎か……そんな立派じゃないけど書庫はあるよ。僕が読みやすいようにあんまり専門的な本はないけどね」
「じゃあ案内して欲しいな。リヒトって本読むんだ?確かに何だか本好きそうではあるけど」
「……本は嫌いじゃない。この島には娯楽はこれぐらいしかないしね。それにたとえ物語の中でも、色んな世界に旅したりできるのは楽しいものだよ」
そう言うとリヒトは先頭にたって書庫へ向かう。
洋館の地下。狭い階段を下った先に書庫はあった。随分古くからあるようで壁に入った傷や少し黄ばんだ背表紙が年代を感じさせる。部屋は全体的に薄暗いが、明かり取りの窓がひとつあるので本を探すのには充分な明るさだった。床にあまり埃が積もっていないのはソアが毎日掃除していたからかも知れない。
「ここにくると懐かしいような気持ちになる。ただこの部屋には僕用の小説とかしかないはずだから、この島のことが書いてある本を探すならこの奥、もうひとつの部屋かな」
そう言ってリヒトが指差した先には古びたドアがあった。部屋の奥までは充分な光が届かないので少し薄暗くなっている。
「なんだかドアに埃が積もってるけど、リヒトも来たことなかったり?」
シュリの問いに、
「うん。僕も立ち入ったことはないんだ。ソアなら入ったことがあったのかも知れないけどソアには近寄ってはだめですよ、って言われてたから。子どもの頃の僕には暗くて危ない場所だったからだろうけど」
リヒトはそう答えてその部屋のドアノブを回す。ふわり、と埃が舞ってドアが軋んだ音を立てる。
「……書斎みたいな感じだね。この机、誰が使ってたんだろう?前に住んでた人かな?」
「それは、多分そうだと思うけど……」
――彼が部屋に足を踏み入れた瞬間――
〈ゾンネ、――。この島はこうなっているんだよ〉
〈うわーすごい崖。これじゃどこにも行けないね〉
〈でも僕はこのままずっとここで平和に暮らせたらいいって思うよ。兄さんと父さんと〉
〈はは、そうだな。まあ、もしもこの常夜の島を旅立つ時が来たら『風』に頼みなさい。この島をずっと見守って、父さんやお前達をずっと見守っている『風の瞳』に〉
「……風の……瞳?……それより今のは……僕の記憶?それとも僕の前に洋館に住んでいた誰かの記憶なの?」
リヒトはよくわからなかった。頭の中に映像が流れ込んできたことだけは確かだけれど。
黒髪の父親らしき男と金色と銀色の髪のふたりの少年が床に広げられた地図を見ながら他愛無い会話をしていた。金色の髪の少年は幼い頃のリヒトによく似てはいたのだが、名前に聞き覚えがない。
「ゾンネっていうのはあの墓碑銘にあったけど……そもそもこの「リヒト」って名前はシュリがつけた訳だし聞き覚えがなくてもおかしくはないか……」
「……リヒト?大丈夫?」
シュリの声でリヒトは我にかえる。
「……あ、うん。大丈夫だよ」
「これってこの島の地図かな?」
リヒトが顔を上げると目の前の壁に島の地図がかかっていた。
「……多分ね。この島の周りは断崖絶壁で船をつけられるような港は無いみたいだ」
「みたいだね。これなんだろ?島の一番南の岬に何か書いてあるけど……これって精霊言語?『Dniw Etag 碧風の門』……って書いてあるけど」
シュリの言葉に先程見た映像が思い出される。父親らしき男はこう言っていた。
〈もしもこの常夜の島を旅立つ時が来たら『風』に頼みなさい。この島をずっと見守って、父さんやお前達もずっと見守っている『風の瞳』に〉
「……風の瞳は碧風の門にいるのかな……」
リヒトがそう呟くのを聞いてシュリは少し考え込む。
「……さっきからリヒトが言ってる独り言はよくわからないんだけど、私もこの場所気になるよ。精霊言語がまさかこっちの世界にあるとは思わなかったし……」
「……そうか独り言に聞こえるよね。ごめん。後で話すよ。とりあえず今はここを出よう。埃っぽいし、なんだか少し息苦しいから」
リヒトの言葉にシュリも頷き、ふたりは書庫を後にした。
リヒトが映像の意味や、息苦しかった本当の理由を知るのはまだもう少し後のことになる。
書庫から居間に戻ったふたりはソファに腰掛けて一息つくことにした。
「あのね、リヒトお願いがあるんだけど」
「どうしたの?」
「……私お腹空いちゃったみたい……」
少し恥ずかしそうに言うシュリとは対照的に、
「え……?」
リヒトは驚いた表情でシュリを見つめる。
「……せ、精霊ってお腹空くものなの?」
シュリはふるふると首を横に振った。
「本来は空かないと……思うよ。ソウル・エームでは食べ物の形をしたマナを食べてたし。でもこっちではそうはいかないみたい。マナの総量が少ないし……全てのものにはマナがあるから何か食べれば少しは補えるかなって」
「……ごめん、僕があの時マナ貰ったからだよね」
リヒトはそう言って俯く。昨晩、シュリを狙った襲撃でリヒトは致命傷を負い、マナを激しく消費してしまった。そんな彼にマナを分け与えてくれたのがシュリだ。おかげで彼は傷ひとつ残すことなく今ここに立っている。
――……シュリだってあれだけ酷い怪我してたんだ……もしかしたらもうほとんどマナは残ってなかったのかも知れない。そんな状態で僕を助けたりしたから……
深刻な顔で考え込むリヒトの頬を不意にシュリは指でつまんだ。
「……もー、別にリヒトが悪い訳じゃないんだから。考え過ぎだよ?」
「でも、」
言いかけた言葉を遮るようにシュリは軽くリヒトの頬をつねる。
「それ以上言ったら怒るから。……悪いって思ってるなら料理作ってくれないかな?」
「……え、簡単なトマーテ料理しか作れないけどそれでいいの?」
シュリは頷いて手を離す。
「楽しみにしてるよ」
そして満面の笑みでそう告げた。
「わかった。じゃあ少し待っててね」
リヒトはそう答えると台所へと消えた。
**
いつの間にかうとうとしていたシュリは足に何か柔らかいものが触れるのを感じて目を覚ました。
「何だろう?くすぐったくてふかふかしてる」
不思議に思ってテーブルの下を覗き込むと、小さな氷鳥のヒナのようなものがいた。ただし普通の氷鳥と違って首には宝石がかけられており、しっぽの部分はぷにぷにした雫型だ。ソウル・エームでも見たことは無い。
「あのーあなたがリヒトさまなのです?」
「し、喋った!可愛い……!私はシュリだよ。リヒトは今料理してる」
「シ、シュリさまなのです?シュリさまはリヒトさまと出会ったのですね?ということはラルムはお役目をはたせるのです」
「ラルムっていうんだ。お役目?」
「ラルムは案内役なのです。リートさま、イージスさま、フェリットさま、そしてマスターであるマリアさまのところへおふたりやいずれ出会うであろうお仲間をお連れしなければなのです」
「……シュリ、出来たよ……ってうわ、この生き物、何?」
できたてほやほやのトマーテオムレツを手に戻って来たリヒトは見慣れない生物に言葉を失った。
「ラルムだって。何でもリヒトに用があるみたいだよ?」
「……僕に?」
少し怪訝そうな表情を浮かべながらテーブルに料理を置き、彼はラルムを見つめる。
「は、初めましてラルムなのです。ラルムは案内役なのです。とりあえずはリートさまが『碧風の門』にリヒトさまとシュリさまをお連れするようにって。なので案内するのです……あ、食事のあとで構わないのです」
明らかに緊張しているらしいラルムをリヒトはそっと撫でる。
「怖がらなくても何もしないよ。無駄な戦いは好きじゃないしね。ラルムって言った?僕がリヒト。……リートって人が『風の瞳』なの?」
「はいなのです。リートさまはこの島とあなたたちをずーっと見守ってる方なのです。そしてこの世界を最もよく知る方なのです」
「そうなんだ。じゃあ案内よろしく、ラルム」
「はいなのです。頑張るのです!」
ラルムはそう言うと嬉しそうに小さく跳ねた。
**
それから一時間後。
リヒト、シュリ、ラルムのふたりと一匹は蒼月の島の最南端の岬にある「碧風の門」の中にいた。門の中心の台座の上ではダイアモンドが白く輝き、それを縁取るようなエメラルドもまた碧色に輝いている。門の素材はわからないが、門自体が淡く碧色に輝いていた。
「凄い……何だか物語の中の世界に来たみたいだ」
リヒトはこの様な場所は物語の中でしか見たことは無い。しかし今目の前にある光景は間違いなく現実だった。
「リートさま。おふたりを連れてきたのです!」
ラルムがそう言うと部屋の中央に淡く輝く風が集まり、やがて人の形をとった。長く流れるような銀色の髪をひとつに束ね、碧風の名にふさわしい碧色の瞳。黄緑色のマフラーのようなものをジャケットの上に巻き、全体的に風によくなびきそうな服装だった。
「ご苦労様。ラルム」
「あなたが……風の瞳……」
「風の瞳……あーそういう二つ名もあるよなそういえば」
そう言って彼は頭を掻いた。
「俺はリート。世界を視る『風の瞳』にして『扉守』だ。あ、肩書きは別に覚えなくてもいい。名前だけで」
「は、はあ。」
「緊張しなくていいぜ?堅苦しいの好きじゃないからな。と言ってもリヒトにとっては初対面なのか。俺はずーっとこの島にいるから生まれたときから見て来たけどな。そりゃもう人に言えないあんなことやこんなことまで」
「……なんかそう聞くと変態に聞こえるね」
ぼそっと呟いたシュリに、
「……聞こえてますよシュリさま。まあ軽い冗談なんだけど。しかし大きくなったな、リヒトも。おまけにやたら美形に育った」
リートはそう軽く返してからリヒトをまじまじと見つめた。
「……なんかそういう発言って……父親みたい」
「リヒト、俺そこまで年じゃないから。……って言っても精霊だからもう姿変わらないもんな……」
そう言うと彼は一瞬睫毛を伏せた。
「さてと無駄話はこのくらいにしといて。リヒト、シュリ。この島から出る方法はただひとつ。この門にある『界軸石』の力を使ってここから東にある大陸の聖都イグレシアの近くにある『黄悠の門』へ転移させる。今は一方通行だからしばらく戻ってこれないぜ。準備はいいか?」
「うん。大丈夫」
リヒトとシュリが頷く。
「わかった。じゃあ目を瞑ってろ。ま、一瞬で着くから」
リートはそう言うと台座の石に自らのマナを注ぎこむ。ダイアモンドが力強く輝きだし床に碧色の紋章が浮かび上がった。
「あ、リヒト。最後にひとつだけ……あの墓碑銘の三人のうち、お前の双子の弟だけは生きてる。どこにいるのかはわからない。そして……恐らく昔のままでもない。名前も変わっているかもしれない。けどな、どうかお前だけは『あの子』を否定しないでやってくれ。受け入れるまでに……時間がかかっても……どうか最後には」
「……それってどういう、」
リヒトがその言葉を言い終わらないうちにふたりと一匹の姿はその場から消えた。
その少し後。どこかもわからない深い森の闇の中で短い会話が交わされた。声の主はリート、ともうひとり。
「無事にリヒトは旅立ったよ、ナハトさん」
「そうですか。こちらも『あの子』が旅立ちました。どのような形で、それが幸せなのかどうかも私にはわかりません。ですが、やがて彼らは出会うでしょう」
「……俺はふたりを信じます。そもそも彼らが記憶を無くしたのは互いの絆が強すぎたからだろうと――さまが言っていましたし」
「そうですね。それが私の望みですから……私に出来ることなど贖罪の祈りを捧げることくらいかもしれませんが」
「ヒトの絆はそう弱いものでもないですよ。俺は身を以て知ってますから」
「……そうですね。貴方達は元々……話が長くなりました。このくらいで失礼します」
「はい。それじゃあまた」
新月だからなのか、夜空に月の光は無い。声が消えて後に残るのは深い闇と風の音だけだった。




