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AnfangSage  作者: 上月琴葉
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第一話 黎明の墓標

「……はあ……はあっ……」


 蒼白の月の光に覆われた大地を紅い髪を持つ少女が駆ける。背中には深い傷があり、そこから止めどなく流れ落ちる鮮血が、大地に黒い染みを残す。


「私はまだ……倒れる訳には……っ!」


 もう気力も体力も限界に近付いている。髪は乱れ、息も荒く、足には感覚がない。少女が疲れ果てて足を止め、顔をあげると幸か不幸か、そこは一面の薔薇に覆われた屋敷の庭だった。


 赤薔薇は蒼月の光の中では黒く、白薔薇は蒼く。昼とは違い妖艶な雰囲気を纏って花は咲き乱れていた。どこからか漂ってくる甘い香りはこの薔薇達のものか。


 ――……私この香り……好きだな。なんていう花かはわからないけれど優しい気持ちになる――


 少女は瞳を閉じると、少しだけ微睡んだ。



**


「……誰?」


「……ん……?」


 少女が次に目を覚ますと、そこには少年の顔があった。どうやら少女の寝顔を覗きこんでいたようで、彼は少女が目を覚ますと同時に慌てて視線を逸らす。


「……目が覚めたならそれでいい。とりあえず僕の質問に答えて。君は誰?」


「私はシュリ……っ!」


 シュリは体を起こそうとするが背中の傷が開いたのか激痛が走り、表情が歪む。


「背中……怪我してるのか。傷は深いか。仕方ないな。面倒だけど手当てしてあげる。ここで死なれたらやっかいだ。ソア」


〈お呼びですか〉


 少年がソア、と呼びかけるとどこからか一匹のコウモリが飛んできた。


「ソア、この子を手当てしてやって欲しい。僕は治癒スペルを使えないから」


〈わかりました。随分酷いですね……でも大丈夫。ちょっと目を閉じてて下さい〉


「あ……はい」


 コウモリが傷を治療する。相当シュールな見た目ではあるものの、嘘をついている様子はないようだ。シュリは素直に目を閉じる。〈生命の癒しのマナよ。彼の者の傷を癒せ。ヒール!〉


 柔らかい光が彼女を満たし、背中の傷は癒えた。


〈もう大丈夫ですよ。あの、よろしければ中へどうぞ。できたてのミネストローネがありますので〉


「そうだね。話を聞くのも中の方が都合が良さそうだし。シュリって言った?僕は自分の名前がわからないから好きに呼んで。じゃ、入って」


 あまりにさらっと少年は言ったが、


「ってええ?名前が無いの?」


シュリは聞き逃さなかった。


「……そうだけど。別に困ってないからほっといたんだ。そんなに不自然なの?」


「不自然だよ。精霊にだって名前があるのに」


 シュリはそう言うと少年の姿を改めて見た。蒼月の光のような蒼い瞳と柔らかい春の大陽の光のような金色の髪。目鼻立ちは整っている。体格は色白で華奢。蒼月の光に照らされ薔薇に囲まれた庭で見るとこの世のものではないようにも見えた。とても綺麗で、儚げな。


「……なに?あんまりじろじろ見られるのは好きじゃないんだけど」


「あ!思いついた!」


 シュリの声に、彼は一瞬びくっとなったがすぐに普段通りの表情に戻り、


「……いきなり大声出さないでよ……」そう小さく溜め息をつく。


 シュリはあはは、と小さく笑うと、


「決めた。君の名前はリヒト!光って意味だよ。月と大陽両方の光……そんな感じがしたから」


「光……僕が?……そんな柄じゃないよ……」


 彼はそう言うと顔を赤くして、照れているのかそっぽを向いた。


〈いいじゃないですか?坊ちゃんにはお似合いだと思いますよ〉


「ソアまで……ま、まあ悪い名前じゃないし使っていいなら使うよ。ほ、ほらスープ冷めるから。僕は先に中に入るよ」


 彼は、リヒトはそう言うとそそくさと部屋の中に戻った。


〈すみませんね。坊ちゃんは言動にちょっと冷たいところがあるんですが、本当は優しい子ですから〉


 ソアの言葉に、


「冷たくなんてないと思います。だって私を助けてくれたもの。名前も受け入れてくれたし」


 シュリはそう答えて首を横に振った。


〈ありがとう。ところでシュリさんは私のことは怖くないのですか?だってコウモリですよ。しかも喋るし。治療までするんですよ?〉


「あーもっと凄いの見た事ありますし……それに悪いことしないんだったら問題ないです。むしろソアさんは恩人ですから」


 屈託なく笑うシュリに、


〈「凄いの」が気になるんですが、まあ気にならないならいいんです。中でミネストローネを飲みましょう。あまり待たせると坊ちゃんの機嫌を損ねますから〉


 ソアはそう言うと先導するように部屋の中へと飛んでいった。


**


「美味しい!」


 器につがれたミネストローネを一口飲むとシュリは言った。


「そりゃそうだよ。ソアの料理の腕は確かだ。トマーテ料理のレパートリーは特に多い。ボロネーゼ、ミネストローネ、ボルシチ、オベルジーネとトマーテのパスタ……特製ミックストマーテジュース、ピザ、トマーテサラダ、ナポリタンなどなど。自家製でケチャップも作ってるから」


「そうなんだ。でもトマーテってどういうものなの?あと庭に咲いていた花の名前は?」


〈ではお答えしましょう〉


 ソアの話をまとめるとこうだ。「トマーテ」は真っ赤な野菜で夏に収穫される。酸味があり生でも温めてもいける、ただし生の場合中の種が苦手な人もいる。


 庭に植えている花は「ローザ」で赤、ピンク、白、黄色等様々な色がある。世界のどこかには月光を浴びて蒼い花を咲かせる特殊なローザがあると言われているが見た者はまだいない。甘く気品のある香りを持つため女性に好まれるほか、その地域のマナを集めやすいので「月の子ども」達にとっては重要なマナ吸収源となる。


「うん、よくわかりました。私、あまりこの世界の事は詳しくないから」


 この言葉にリヒトが食事の手を止める。


「この世界?シュリはこの世界の住人ではないということ?」


「……うん、そうなるね。私は精霊なの。この世界で起こっている『心喰らい』事件を調べにきたんだよ」


〈『心喰らい』……聞いた事があります。世界各地で突然普通の人間が狂ったように暴れたり、異形のものと化したりする事件。その後は石と化し、まるで人としての心を失ったようなのでそう名付けられたとか〉


「心喰らいか……まあ他の街がどうなろうと僕やソアには関係ないけれど」


 リヒトはそう言うと表情を変えずに食後のコーヒーを口にする。


「それね、精霊界でも起こってて……原因を突き止めないと大変なことになりそうな気がしたの。だから女王様に頼んでこっちに来たんだけど動きが活発化してる闇の眷属のひとりに翼……折られちゃって」


〈ではあの傷は〉


「うん、翼の跡。精霊界では傷になったりしないけれどこっちの世界じゃ色々勝手が違うみたいで」


「……なんだか面倒な話だね……一波乱起きそうな感じがする。あんまり起きて欲しくはないけど……」


 リヒトがそう言った瞬間だった。


 ドオン!


 爆発音とともに屋敷の玄関が吹き飛んだ。


「ソアはシュリをお願い。僕は念のためにあの剣を取ってくる」


 リヒトはそう言うと屋敷の奥へ姿を消した。


〈わかりました。シュリさま、こちらへ!〉


「……やっぱり見つかっちゃったね……」


 ソアがシュリを促すがシュリはその場に立ったまま動こうとはしない。煙が切れると白銀に紫の瞳、顔に模様を施し黒衣に身を包んだ人物が姿を現した。性格に言えば人であるのかも性別もわからない。手にした鎌はまっすぐシュリに向けられていた。


「シュリか……」


「タナトス!」


 シュリはそう呟くと意を決したように一歩踏み出す。


「ここの人達は関係ない……手を出さないで。嫌いでしょ貴方。不合理な事は」


 タナトスは答えず、鎌を振り上げる。


「!」


 シュリは思わず目を閉じた。そこにあるのは逃れえぬ「死」だけだ。


「……さよならだ」


 何かが何かを切り裂くような音がした。


「シュリは……本当危なっかしいよ」


「……え?」


 シュリが目を開くと彼女を庇うようにリヒトが立っていた。鎌の直撃はギリギリでかわしたものの、服は大きく裂かれ、素肌が露になっている。肩口からは鮮血が溢れ出し、床に零れていた。それでも彼は恐れも怯えも無い凛とした瞳でタナトスを見据えていた。


「……戦うつもりなのか……その胸の印……『月の子ども』か」


 彼は少し沈黙して、


「そうだよ。隠してたかったけど僕は『月の子ども』。マナを糧として生きるハーフヴァンパイアだ」


少し寂しそうな瞳でそう言った。


「リヒトが……『月の子ども』……」


 シュリは驚いたようにリヒトを見る。考えれば思い当たる節はいくつかあった。


 事実としてソアは言っていた。「ローザはその地域のマナを集めやすいので『月の子ども』達にとっては重要なマナ吸収源となる。」と。


「ならば怪我はマナを失う。それだけでも致命傷ではないのか?」


「まあそうだけどね……」


 彼は手にした剣の切っ先をタナトスへ向ける。


「別に消えるのなんて怖くもなんともないよ。お前のことも怖くなんかない……ただこの場所を荒らしたお前が許せない。それだけだよ!」


 彼の叫びに呼応するように剣が淡い光を放ち始める。


「まさかあの剣って……!」


**


 声が、頭の中に響いてくる。


〈契約の名を示せ。主にふさわしき者よ〉


 この声は何処から?信じたくはないけど――剣が……喋っているのか?


〈望むなら力を貸そう。守りたいのならば〉


 ……今は迷っている余裕もなさそうだ。


――わかった、協力してもらうよ……!


〈『狭間の光』(ウェスペル)に契約の名を示す!我が名はリヒト……さすれば永き夜を砕く黎明の剣となれ!〉


 剣の放つ光は収まることなく、逆にその強さを増し刀身は蒼月に似た光を放つ。


「大人しく立ち去った方がいい。手加減できそうにないよ。今はね」


「……そのようだ。暁の光が差し込み始めると分が悪い」


 タナトスはそう言い残すと霧のように消えた。


「はあ……はあっ……」


 タナトスが消えるのを見届けてからリヒトはその場に膝をついた。ただでさえ怪我をして出血しているのに、剣と契約まで交わしてはマナの消費も半端ではない。


 通常マナは血に溶けて全身を巡る。そのため血を失う事はマナを失う事と同じで、『月の子ども』にとっては致命傷になる。だんだんと意識が朦朧としてくるのをリヒトは感じた。


「リヒト、大丈夫?マナの消費が酷い……!」


「……大丈夫だよ……寝れば、」


 その言葉の続きは柔らかい感触で塞がれた。同時に温かいマナが彼の体の中へ流れ込んで来る。


「!」


 深い傷が徐々に塞がっていく。充分なマナを得た事で「月の子ども」の持つ再生能力が発動したのだ。やがて傷口は何事も無かったかのように塞がってしまった。


「もうこれで大丈夫。助けてくれてありがとう、リヒト。これはそのお礼だよ」


「え、あ……その……な……何したの今?」


 耳まで真っ赤にしてリヒトが問う。間違いなく初めて、だったらしい。


「何って……キスでマナを分け与えたんだよ。精霊はそうやってマナの糸【パス】を繋ぐ事によって互いの魔力を分け与えることができるの。マナリンクっていうみたい。初めはキスでパスを繋ぐけど、その後は手つなぎとかでも大丈夫みたい。私も今回が初めてだけど」


 シュリはそう言うとぺろっと舌を出す。


「は……初めてが僕で良かったの?それ以前にき、気味悪くないの……?僕の事……だって僕は、」


 シュリは背けようとするリヒトの顔を自分の方に向かせてからはっきりこう言った。


「気味悪くなんか無いよ。どんな種族だってリヒトはリヒトだもん。闇の眷属のがしつこくってよっぽど気味悪いよ」


「……あ…ありがと……う……」


 その言葉がどうしようもないくらい嬉しくて。リヒトはぎこちないながらも微笑んだ。


**


〈夜が明けてしまいましたね。でも、これでいいんです〉


 黎明の光に照らされた庭は一枚の絵のように美しかった。空は薄紫、赤、ピンク、黄色のグラデーションを描き、咲き乱れる白薔薇はほんのりと薄紅色に染まっていた。


「え?でもソア、この『蒼月の島』は世界で唯一常夜の島だって……」


〈全ては『狭間の光』と坊ちゃんを守るための結界。それが解かれた今、もうここは常夜では無くなった。コウモリの身では少々辛くなりますね。……坊ちゃんはお行きなさい。シュリさんと共に外の、光の世界へと〉


「ソア!死んじゃうみたいなこと言わないで!」


 不安そうなリヒトに、


〈大丈夫です。少し眠るだけですよ。戻って来たらまた美味しいトマーテ料理を作りますから〉


ソアはそう優しく告げる。


〈そうだ、眠る前にひとつだけ。裏庭の小高い丘の頂上に薔薇に囲まれた墓碑があります。それはあなたの両親と弟のもの……寄っていってあげて……〉


「わかった……おやすみ、ソア」


〈おやすみなさい。幸運を〉


 ソアはそれを最後に霧になって消えた。


 裏庭の小高い丘。一面の薔薇に囲まれてその墓碑は静かに佇んでいた。


「ムート……エーレ……あとはゾンネ……これが僕の両親と弟なんだね」


「……リヒトは覚えてないの?」


「……うん。何ひとつね。本当は三年前以降の記憶が何も無い。ソアには感謝してるよ。基本的な事色々教えてくれたから」


 リヒトは手にしていた狭間の光を静かに抜いた。暁の光を反射して刀身が煌めく。


「ここで誓うよ。僕はシュリと共に行く。世界と……「僕」を探しに行くから。父さん、母さん、ゾンネ。見守っていて」


 不意に一陣の風が吹いて。薔薇の花びらが風に舞った。


 それはふたりの旅立ちをを祝う花吹雪にも似て。

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