12話 罪の残影
ーー眠っていればよかった。罪に凍てついた氷の王国で、他の人々と共に。
それなのに、俺だけは眠れなかったんだ。
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その日もいつもと何も変わらなかった。
氷の王国グレミハの首都では【氷神の儀】に向けての準備が進められていたが、浮き足立つ人々を俺はひどく冷めた目で見ていた。
「氷神の儀といえば聞こえはいいけど、やってることはただの人殺しみたいなもんだよな。この国に生まれた姫さまは災難だろうな……」
まあ、そんなこと普通の国民は知ることはない。知ってはならない。
国民の目に映るのは純白の花嫁装束を纏った美しい姫君だけだ。
その後、姫君がどんな目に遭うかなんて考えたこともないだろう。
ーーおかしな話だが、俺はたまに夢をみる。
夢の中では俺は巫女姫で、氷の神を名乗る男に捧げられて、貫かれ、命を散らす。
その後、淡い青色の光が集って、次の巫女姫が……【贄姫】が生まれる。
その瞬間に、祭壇から氷の薔薇が咲く。
「気持ち悪いんだよな、あの夢」
おかげでもう二十代半ばだというのに恋をする気すら起きやしない。
それどころか、同性だろうと人に触れられると吐き気がするようになった。
ただの夢のはずなのに、起きるとまるで体験したかのような感覚が残る。
近所の占い師の婆さんが言うには、前世らしい。
まあ、あんな思いをした女なら、次は男に生まれたいと願うだろうが。
「国王サマもどんだけ生きてるんだか。前世ってことは100年ぐらい生きてんのかよ」
グレミハの現国王は見た目は麗しいが、大変な暴君だった。少しでも機嫌を損ねれば町の広場に磔にされ、夜の間に凍りついて死ぬ。欲しいものがあれば容赦なく国民から奪い取った。
一説には【贄姫】に触れられないストレスからとも言われているが、国民はたまったものではない。当然百年の間に何度もレジスタンスは生まれ、暴君の暗殺を試みたものも数知れず。ただし、一度も成功しなかった。
ーーダインスレイヴ。一度鞘から抜くと血を見るまで止まらないという魔剣。
その魔剣には誰も敵わなかったから。
「今回の贄姫サマはーーっと」
氷神の儀の前日には贄姫の姿が公開される。町の高台に登り、興味本位で彼女を見下ろした。
「……」
そして、言葉を失った。長く美しい蒼の髪、アイスブルーの瞳に夜色のドレス。髪を束ねているのは真紅のリボン。儚げで憂いを帯びた瞳には光がなく、表情も貼り付けたように無表情。
「……綺麗だけど……まるで人形じゃねえか……」
「名乗れ」と国王に言われて、その美しい人形は静かに告げる。
「……レイシア」
澄んだ声でそれだけを告げて、贄姫はその場を去った。
「レイシア……っていうのか……」
その日、彼女は俺の心に、消えない棘を残したのだった。
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グレミハの北に氷城イエロがある。天然の要塞であるこの城に近づくものはいない。氷の山の奥深く、四方を崖で囲まれたこの城は、贄姫を閉じ込めるための鳥籠だ。
「……見張りが山ほどいるかと思ったら拍子抜けだぜ」
氷城イエロの中は冷え切っていて、人間が生きていけるような環境ではなかった。あの贄姫は、こんなところにいて平気なのだろうかと思いながら、俺は城内を進んだ。
突き当たりの部屋で、レイシアは氷の薔薇を食べていた。ぱきり、ぱきりと音がして、やがてひどく静かになった。
「……だれ」
「あんたがレイシアか。そんなもん食べて美味いか?」
「……おいしい?ってなに?私はずっと、生まれた時からこれしか食べていない。甘いよ?あなたも、花びらを、一枚」
差し出された氷の薔薇は冷たかったが、口に入れると甘い味がして溶けた。
「……甘いな」
「うん、甘いの。ここにいた世話をした人間たちは苦いって言ってたけど甘いよね。あの人たち、どこにいったのかな。明日はここで儀式を行うんだって。儀式ってなんなんだろう。神官様はとても気持ちいいって言っていたから氷風呂にでも入るのかな」
氷風呂?この寒い場所で?
「あんた、寒さを感じないのか?氷風呂?冗談だろ」
「……寒さ?ううん?寒さって何?ここは、あたたかいよ?」
……確信した。彼女は人間ではない。【贄姫】は人間ではない。
「……お話、楽しかったけど、帰ったほうがいいよ。国王が来るから。あのひと、すごく怖い。マナが黒く、淀んだ、イーシェ……剣からかも」
「……ああ」
国王と鉢合わせるのはまずいのでひとまず氷城イエロの裏手の山奥に逃げる。
「……今ここで国王を倒せれば、レイシアは助かるんだろうか」
呟いた言葉を首を振って否定する。相手にはダインスレイヴがある。
「……俺たち国民にも強い剣が、力があればいいのに」
その時、何かもふっとしたものが足に触れた。
「なんだ?バーグのひな?お前かわいいな?大丈夫。俺ははぐれものだし街の奴らみたいにお前をいじめる趣味はないぜ」
ぴぃ、と鳴いたひなは、さらに山奥へと俺を誘った。
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「……剣」
バーグのひなが案内した先には崩れた遺跡と凍てついた剣があった。
「……ねえ、氷の神サマ。国王サマにだけダインスレイヴとかずるいよ。国民にだって力をくれよ。力があれば俺が、止めてみせるから」
剣に触れると、不思議と氷は溶けて引き抜かれた剣は俺の手におさまった。
「すまなかった。おれは力を失いすぎた。国王があまりにもイーシェのマナを撒き散らすから力を貯めるのに時間がかかってしまった」
バーグのひながいた場所に、美しい少年の姿をした何かがが立っている。
「……氷の神……デスイエロ」
「そうだ。おれはずっとこの国を見守ってきた。だから暴君に手を下せずにいた。グレミハの国民を傷つければ神の力を失って精霊に堕ちるからな。だが、あいつは……あいつはレイシアを!贄姫のことをあろうことか【魔女】と呼んで貶めた!そもそもおれは贄姫など要らん。妻がいるからな。その上におれの名を騙りやりたい放題しやがって……時は満ちたし、俺も覚悟ができた。神の力を失っても、消え失せても国王を断罪し、罪に穢れた土地を浄化する」
「……わかった。じゃあ、国王は俺がやる。国民が国王を裁くのなら少しは力が残るだろう」
デスイエロは小さく頷いた。
「お前、名前は?」
「はぐれものの下級市民に名前なんてないよ。でもあえてこう名乗ろうか。ダイン、ってね」
**
氷神の儀が始まった。
レイシアは相変わらずの無表情で、純白のドレスを身に纏って広場に姿を見せた。
彼女が氷神の代行者と口付けを交わす寸前のこと。
ーーごぉん……ごぉん……
重く響くのは鳴らずのはずの鐘の音。この王国の終焉を告げるように高らかに。
「……終わりだ」
一瞬戸惑った国王の胸に血の華が咲き、同時に巻き起こった吹雪が全てを凍てつかせていく。
その中をレイシアに向かって駆けて、その手を掴んで氷城イエロを目指した。
「な、にが」
戸惑うレイシアの瞳が揺れる。
「この王国は罪を償うんだ。でも、レイシア。君は罪を償うのではなくーー」
氷城イエロの彼女の居室で、剣を彼女の心臓に突き立てた。
「え……」
血は出ない。そもそもこの剣はほとんど精霊に近い彼女を傷つけることはない。
「幸せになるために、眠るんだ」
氷城イエロは氷に覆われていく。眠った姫君を優しく守るかのように。
「……これで終わった。あんたの願いも果たした。眠り損ねた俺は、さてどこへ行こうか」
凍てついた城と王国を見下ろして、静かに踵を返す。
あてのない旅をしよう。いつか、王国の罪がそそがれて、目覚める日まで。
**
それから百年が経ったころ、六花の国の噂を聞いた。
罪に塗れた王国の民はしぶとく生き残っていたらしい。
「……そこはやっぱり非情になりきれなかったのかよデスイエロ様」
吐き捨てるように言いながら、どこかでこうなることはわかっていた。
そもそも、俺がこうして生きているのだから。
六花の国の王は穏やかで、国民もみな幸せそうだった。
そんな国をなぜ滅ぼしてやろうと思ったか?
本当に、本当にくだらない理由だ。
「王女の政略結婚」の話を聞いたからだ。
そんなこと、よくある話だ。実際に他の国でもいくつも見てきた。だけど、それを。六花の国の王が行うのだけは許せなかった。
「……また、この国は姫を犠牲にするのか。道具のように扱うのか」
贄姫の前世とレイシアを見てきた俺だけは……どうしても許せなかった。
「はあ。本当くだらねえ。スカアハの力があったって負け戦だろうによ。……それにあのルゥマってガキ、確かにデスイエロの匂いがしたから斬っちまったが、思えば別に眠り損ねたのはあいつのせいじゃねえんだよな。クラージュはむしろ被害者だし」
はあ、とため息をついて剣を磨きなおす。
「けどまあ。グレミハの眠り損ないにカタつけるならあんたたちが適任だろうよ。新たな国の姫君と、氷の神の子ども。罪を抱えず、生きていけ。ただ、グレミハのことだけは、覚えておいてもらうがな」
陽が落ちて行く。その光は凍てついた剣の刀身をただ赤く染め上げて。




