11話 叶わぬなら傷として
北の果て。忘れられた氷の森の奥深くに聳える凍てついた大樹。
そこに宿る妖精の王子は、北の国の王女と出会ってしまった。
彼は、全てを忘れて、人間の少年の姿で大樹の前に倒れていたらしい。
「……大丈夫?」
差し出された手は温かく、彼は温もりというものに初めて触れた。
かつて今よりもまだ北の凍てつく山脈の中には巨大な王国があった。
ネージュ・フィオーレ、六花の国は、元々はその地でグレミハという名で生まれたのだ。
建国神話「雪解けの娘」
昔、白い髪に赤い瞳とふかい青の左右違う瞳を持つ娘がいました。
娘はその外見から【忌み子】とされ、生まれ育った里の神に捧げられる生贄に選ばれたのです。
娘は必死で逃げて、逃げて、靴をすり減らし、体にいくつも傷を作りながら、小さな森に辿り着きました。
さて、この森にはデスイエロと呼ばれる少年の姿をした氷の神様がいました。
神様は死と氷の神として人間たちに恐れられていました。
本当は生贄にされた娘たちをこっそり逃してやったり、迷い込んだ人間を助けたりもしていたようなのですが、その事実を伝える者がいなかったのです。
また、デスイエロは人間のことは嫌いでした。彼の眷属とされるバーグはかつては不吉の象徴とされていたのですが、そのためバーグを傷つける者が多かったからです。
「……おれに手を出せないからって、力のないバーグのひなをぼこぼこにしやがって」
彼は傷ついたバーグのひなに氷のかけらを飲ませ、眷属にすることにしました。
傷が深く、命の火が消えるということを感じ取ったからです。
「……眷属になったから、もう大丈夫だ」
ひなは嬉しそうにぴい、と鳴きました。
「……面白いことを思いついた。おれが傷ついたバーグのひなに化けて、人間どもを少しこらしめてやろう」
ーーこの時の彼の気まぐれが、娘の運命と神様の運命を大きく変えることになるのです。
娘は凍てついた森を彷徨っていました。不思議なことに風はなく、肌を刺すような冷たさも感じません。音はなく、奇妙に静まり返った世界。
「あら?」
そんな世界で娘は傷ついたバーグのひなを見つけます。
「……大丈夫よ、すぐに良くなるからね……」
躊躇なく服を割いて、ひなのフリッパーに巻きつけ、治癒のルーンを使うとすぐに傷は癒えました。
「ほら、これで……大丈夫……」
娘は優しく微笑むと、かわりに倒れてしまいます。
「なんなんだこいつは……そんな身体でルーンなんか使うから……バカじゃないのか……」
身体は傷だらけ、それに加えて娘は高熱を出していました。
「……おれの森で死なれたら困るから、特別だからな!」
神様は少年の姿に戻ると、自分の家へ娘を連れて行きました。
数日後、目を覚ました娘は自分がふかふかのベッドに寝ていることに気づきます。
ベッドの横には温かなスープが置いてあり、「食べろ」と書き置きがありました。
「誰かが助けてくれたのね。バーグのひなが助けを呼んでくれたのかしら」
娘は椀をそっと手に取って、スプーンでひとくち。
「美味しい」
柔らかく煮込まれた野菜のスープは娘の疲れ切った体を癒してくれました。
「……目が覚めたか」
「貴方がわたしを助けてくれたんですね?もしかしてあの時のひなかしら」
「何故、助けた。バーグのひなは不吉とされる。人間はいじめる時以外では近寄ろうともしない」
「私も不吉とされる【忌み子】だから、放っておけなくて」
「【忌み子】?そんなに綺麗な朝と夜の瞳の色と雪と氷の色をしているのに?」
「えっ」
娘は息を呑みました。そんな言葉をかけられたのは生まれて初めてだったから。
ぽろぽろと落ちる雫に、神様はどうしたらいいのかわかりません。
「おれはおかしなことを言ったのか?お前は傷ついたバーグのひなを助けてくれた。だから、お前を傷つける気はないんだが」
「ふふ。人間は嬉しい時にも泣くのです……デスイエロ様。貴方に愛された娘は朝と夜の色の瞳を持って生まれてくる。本当だったんですね」
「バーグを、自分より弱い者をいじめる人間は嫌いだ。そして人間がおれを嫌っていることも知っている。でも、お前は嫌いじゃない」
「ふふ。私も人間なんて大っ嫌いです。好きでこの髪と瞳に生まれたわけじゃないのに【忌み子】と呼ばれて、氷神さまの贄にされました。今年は吹雪がすごいからって、そんなのバーグをいじめたんだから因果応報だと思うんですよ」
娘はそう言って微笑みます。
「おれの贄ならおれのものになれ。かわりに守ってやる。お前たちの一族をずっと」
「私には帰る場所もありません。だからずっと貴方のそばに……」
娘は【雪解けの娘】の名を持つ妖精になり、凍てついた森は北の果てで唯一の花が咲く森に変わり、やがてその森の近くに大きな国ができたと言われています。
ーーそう、六花の国のはじまりは、美しい恋物語。
ーー氷の王国にあの暴君が現れるまで。
巫女姫を【魔女】と貶めた暴君は氷の神の怒りにふれた。
【雪解けの娘】は悲しんで、森は再び凍てついた。
罪で凍てついた王国は今も静かに眠り続ける。
だけど、それでも。
【雪解けの娘】も氷の神も王国の民までは憎めなかった。
ーーだから、僕が生まれた。
凍てついた王国を捨て逃げ延びた民が再び王国を起こす時、それを見届け、守る者。妖精と力を使い果たして精霊になった氷の神の子。妖精の王子。
凍てついた森に人間の姿で生まれ落ちた存在。
「本当なら出会わないはずだったんだ。クラージュとは」
ーーそれでも、出会ってしまった。
ーー住む世界が違うのに。絶対に一緒にはいられないのに。
「大丈夫?」
「……ここは?あなたは、だれ……?」
凍てついた森にふさわしくない薄手の服を纏った僕に、君はそっとマフラーを巻いてくれて。
「……とりあえず城に行きましょう。風邪を引いてしまうわ。私はクラージュ。六花の国の王女クラージュ・フィオーレ。あなたは?」
「……ルゥマ」
それから城での療養を経て、護衛騎士の見習いになって、年が近い者ということでクラージュの専属になって。
ーーそして、恋をしてしまった。
凛々しい姿に、年相応の脆さに。身分の差よりももっと大きな理由で叶わない恋を。
ーー僕はいずれ、妖精王になる。そうなれば全てを忘れるために千の眠りにつく。
愛しいクラージュ。君の声も顔も忘れてしまう。
そして千年後に目覚めた時に、人間である君はもうどこにもいない。
ダインにつけられた傷は、もうほとんど塞がっている。
だけど、心が痛い。ああ、もうこのまま眠ってしまえたらいいのに。
もう一度会ったなら、きっと想いを口にしてしまう。
千年の眠りに持っていくにはこの想いは重すぎるから。
口にした想いも、別れの定めもクラージュに深い傷を残すだろう。
それでも、僕は。
「わがままで、自分勝手だけど願ってしまう」
世界から消えて、忘れ去られるのなら、せめてーー傷としてでも君の記憶にだけは残りたいと。




