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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第三部 二つの世界編
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8話 或る誓い

 身体に冷たいものが触れる感覚、背中に走る痛み。


 マトリは再び、瞳を開いて身体を起こした。


「ここは……?」


 辺りを見回すが、真っ暗で何も見えなかった。冷たいのは冷えきった床だろうか。


「閉じ込められている……そういうことか」


 とりあえず辺りを確認しようと彼が立ち上がろうとした時、何かが足に当たり、そして乾いた音を立てて弾け飛んだ。


「……今の感触……まさか」


<今のはここで朽ちた骸の音よ>


「誰だ?」


 背筋に冷たいものを感じて、声がした方向を振り返る。


<そんなに怯えずともよい……>


 冷たい声がして、不意に辺りが明るくなる。髑髏で作られた蠟燭に一斉に灯がともる。


(……っ!)


 を照らし出された彼の足下には無数の骨が、散らばっていた。


<我が名はエムプーサ。この館の主だ。さて、お前も私の糧となってもらおうか!>


 エムプーサはそういうと漆黒の髪を振り乱し、鋭い爪でマトリに襲いかかった!


「っ!」


 彼は素早く身をかわし、エムプーサを睨みつける。


<ほう。ずいぶんと身のこなしが軽いようだな>


「お褒めに預かり光栄です」


 マトリはおどけたように返すが目は笑っていない。気が抜ける相手ではないからだ。


<ではこれでどうだ?>


「しまっ……!」


 地面から伸びる無数の手。それらに体をがっちりと掴まれて、マトリは動きを封じられた。


(剣も……ない……!)


<くくく……>


 エムプーサは彼に近付くと、その爪で服もろとも左肩を切り裂いた。


「ぐあっ!」


 致命傷ではないが、床に血が飛び散り、そして止めどなく腕を流れ落ちてゆく。


 エムプーサは満足そうに笑うと、その傷口から流れる血を舐めとった。


「ひ……!」


 そのざらりとして、ひんやりとした感触にマトリは体を震わせる。


(シェイル……っ……)


<ふふ、いいものだ。若い男の生き血というのは>


「離れろ……っ……やめろっ……!」


<わめいたところで無駄だ。これから少しずつお前のマナは吸われて行く。そしてやがては骸となり、私の糧となるだろう>


「……俺は……絶対にお前の糧になんかならないっ!こんなところで消えるものか……俺は彼女を――」


 立ち去るエムプーサの後ろ姿にそう宣言して。限界が来たように彼はその目を閉じた。


**


「ここね……」


「うわ……いかにもオバケが出そうな気味悪いとこだな……」


 死人館。いつからかそう呼ばれるようになったこの洋館は闇影の森の最深部に位置している。壁にはひびが走り、無数の蔦が無秩序に巻き付いていた。錆び付いて壊れた門からは簡単に中に入ることが出来た。玄関へ続くアプローチには血色の薔薇が咲き乱れ、茨も生えている。いかにも幽霊やバケモノが住んでいそうな不気味な雰囲気が漂っていた。


「ロキ君、ボクすごくここ……怖い」


 イーサは顔をしかめるとロキの服の裾をきゅっと握った。


「そうねえ。お姉さんもここのアートゥルムの多さはちょっとキツいわねえ」


 ニミュエがこう漏らす。実際この場所のアートゥルム濃度は普通の倍以上はあるだろう。


 玄関のドアの鍵は錆び付いていたが、彼らが近付くとひとりでに開いた。


「う……き、気味悪い!」


 その様子を見てプロミネも顔をしかめた。


「お、オバケや幽霊なんてひ、非科学的なものがいるわけな、ないじゃない!さ、さっさとマトリを助けに行くわよ!」


 クルクは気丈にそう言い切るが、その肩は思いっきり震えている。


「クルク、大丈夫か?」


 クラージュはそう言うとクルクにそっと手を差し出す。


「あ、ありがと……クラージュは平気なの?」


「まさか……私も正直怖いよ。でも怯えている訳にもいかないからな」


「そうね。クラージュの言う通りだわ」


 クルクは意を決したように、洋館の中へ一歩を踏み出す。リヒト達もそれに続いた。


 途端に不気味な音を立ててドアが閉まり、辺りは一面の闇へと変わる。


 何も見えない暗闇の中、それでもクルクは一歩を踏み出した。しかし、


「きゃあっ!?」


派手な悲鳴を残してクルクの姿はその場から消え失せた。


「クルク!?」


「お姉さんにまかせて!」


 ニミュエが小さく呪文を紡ぎ、光珠を生み出す。すると目の前の床に巨大な穴が空いているのが見えた。


「深いですね……」


 アルヒェが心配そうにその穴を覗き込む。真っ暗で深ささえもわからなかった。


「大丈夫よきっと。クルクちゃんにはシャレンちゃんがついてるもの。それに常葉くんも。お姉さんたちは別ルートでマトリを探しましょ」


 ニミュエがそう言った直後、


<その必要はない>


 冷たい声がして暗闇の中にひとりの女が現れる。


「誰だ?」


<ここの主。エムプーサだ>


 エムプーサはそう言うと床にバンダナを落とす。よく見るとあちこちに血の染みが見える。


「これ、マトリの……!」


 リヒト達はそのバンダナを見て息を呑んだ。


<マトリと言うのか。まだ死んではおらぬよ。もっとも時間の問題かもしれぬがな>


 エムプーサはそんなリヒト達の反応を嘲笑して、姿を消した。


**


 ――……目を覚ますんだ、お姫様……


「誰……?」


 暗闇の底でクルクは目を覚ました。あれほど高い場所から落ちたというのに体には傷一つない。


「おや、気がついたようだね」


「貴方は……?」


 戸惑うクルクに声の主は微笑んで告げた。


「僕はシェイル。かつてマトリの恋……親友だった男だよ」


「え……?過去形ってことは貴方……」


「そう。僕は簡単に言えば死者ということになるね。この場所は冥府との境界が薄いらしい」


「でも貴方……実体がある……」


「そこは冥府の王ハデス様の計らいなんだ。お姫様と騎士をここで失うわけにはいかないのでね」


 シェイルはそう言うとおどけた様子でクルクに手を差し出す。


「お姫様、お手をどうぞ。騎士を救いたいのでしょう?」


 クルクはその手をとって力強く頷く。


「ええ。助けに行くわ。おとぎ話とは逆かもしれないけどね」


「御意。では少し目を閉じていてください」


**


「う……あっ……」


 体に影の手が触れる度、その部分に冷たい感触が走りマトリは身を震わせる。傷口は塞がる様子もなく、生命は確実に零れ落ちて行く。


「クル……ク……」


 始めは彼女が無事であるならそれでいいと思った。親友も親も失い、もう誰も身内はいない。ここで命が尽きたとしても彼女はまだ若い。自分以外の素敵な男性と恋に落ちて幸せになればいいと。


 なのに、いざ死が目前に迫ってきて思うのはそれとは逆のことばかりだった。


 彼女に会いたい。終わりたくない。他の誰にも渡したくはない。


「俺は彼女が……クルクのことが好きなんだ……」


 それにひとりだけ残される苦しみもよく知っている。あんな思いを彼女にさせたくなんてない。逝く方は大切な者を守れたのだから心残りなどないかもしれない……けど残される側は……背負わなければいけないのだから。


「……嫌だ」


 マトリの口から懇願するような呟きが漏れて、涙が一筋頬を伝う。


「……俺は……こんなところで……死にたくない……っ!」


<マトリ>


 不意に聞こえた懐かしい声にマトリは閉じかけた瞳を開く。


「……この……声は……」


<君の大事なお姫様を届けにきたよ>


「シェイ……ル……?はは、俺いよいよ駄目なのかな。幻聴が、きこえる、なんて」


<影の者は影へ還れ!ハデスゲート!>


 はっきりとそう声がしたと同時に影の手が大きく開いた穴に吸い込まれて消え、マトリの体は宙に投げ出される。


「……まったく危なっかしいね。昔から変わらない」


 その体をシェイルがしっかりと抱きとめた。


「シェイル!?え、俺死んじゃったの?だってシェイルはもう」


「心配しなくてもマトリは死んでないわよ」


「クルク?どうしてここに……」


「……もう……バカバカバカバカあっ!大人なのになんなのよ。子どものあたしに心配ばっかかけて!」


「わ?わわわ?クルク落ち着いて!俺怪我してるから服に血ついちゃうしそもそも上半身裸だし!?」


「どうでもいいわよそんなの!」


 クルクはそう叫んでぽかぽかとマトリを殴った後でその体に抱きついた。


「よかった……無事で……本当に……怖かったんだから……っ」


 そのまま、ぽろぽろと涙を零す。


「姫様を泣かせるとは騎士失格だね、マトリ」


 傷口を止血しながらシェイルはそう言って笑う。


「か、からかうなよ!シェイル!」


 マトリは顔を真っ赤にして


「……クルク、顔上げて」


「嫌よ……だって涙でぐちゃぐちゃ……」


 次の瞬間クルクの唇に柔らかいものが触れた。


「……ほら、生きてるよ。俺。ちゃんと温かかったよね?」


「ーーーっ!」


 クルクは顔を真っ赤にして自らの唇に触れてみる。まだ柔らかい感触が残っていた。


「ふ、ファーストキス奪ったんだからちゃんと責任……とりなさいよ!」


「もちろん、そのつもりだよ。俺も女の子とはこれがファーストキスだしね」


 マトリはそう言うと耳まで赤くして微笑む。


「おやおや、僕がいるのに大胆だね、マトリ」


「シェイル、お前なあ……」


「お姫様、僕の大事な騎士を君に預けるよ。無茶しがちなところがあるから迷惑かけるかもしれないけどね」


「大丈夫よ。ちゃんと無茶しないように見張っておくから」


「……ふたりとも酷いなあ……」


 マトリはがっくりと肩を落とした。


「……さてとお話はこれぐらいにしてだ。騎士とお姫様を出口に案内しないといけないんだけど……」


 シェイルがふたりを庇うように立ち塞がる。


<おや?贄が増えたようだな>


「……エムプーサか……ふたりに手出しはさせない!」


<その気配……お前は生者ではないな?>


「いかにも。けどそれはお前とて同じだろう。心を亡くし尚動き続ける吸血人形ーエムプーサよ」


「……心が無い?シェイル、それってどういう」


「言葉通りだよ。エムプーサは月の子どもの成れの果て。迫害され、死んで行った月の子供達の恨みの結晶。ある月の子どもの女が罪もないのに狩られた。その時に彼女は自らの魂を晶化【クリスタライズ】してお気に入りの人形に埋め込んだ。その人形は彼女の遺志と冥府に漂う月の子どもの遺志を吸い込んで、館に迷い込んだ人間を喰らう人形と化した。喰われた人間の魂は晶化【クリスタライズ】されて、人形の新たな動力源となる。そうやって彼女は生き続けているんだよ」


<私は……人形などではない!>


<弾け!……ミスティ・オーラ!>


 激昂してエムプーサが飛ばして来た魔弾全てをシェイルの生み出した闇の盾が吸い込んで行く。


「……今の技……フィンスと同じ」


「残念ながらお前の技は効かない。マトリ、剣だ」


 シェイルはそう言うとマトリの剣を彼に手渡す。


「マトリ、聖剣術士のお前ならできる。そしてクルク。ふたりの力で彼女を解放してやって欲しい」


「わかった。クルク、俺の手に君の手を重ねて」


「……ええ」


 柔らかい白い光が剣から立ちのぼり、その輝きを増して行く。


<聖なる光よ 彷徨える迷い子達を この地より解き放ち>


<輪廻の輪に乗せたまえ……>


<<ホーリィ・レイン!>>


 ふたりの声が重なると同時に白い光が剣から解き放たれ、上空へ昇って光の雨が降り注ぐ。


<……あ><おお……><還れる……>


 白い光に満たされた世界の中で縛られていた魂たちが光にそっと溶けて、最後にエムプーサの体も少しずつ光へ溶けてゆく。


 温かくて、気持ちがよくて、


――……エムプーサ。もういいの。今までありがとうね。


<マスター……>


 自分を呼ぶ温かい声が聞こえたのを最後に、彼女の意識は途切れた。


「これで解放されたか……そして僕もタイムリミットだ」


 屋敷の窓から白い光が差し込んでいるのが見えた。夜明けが来たのだ。


「シェイル!」


「もう一度君に逢えて嬉しかったよ。またどこかで会えるなら今度は君の恋人として。クルク、勇敢なお姫様。マトリは、騎士は君に預ける。姫と騎士は身分の差で結ばれない物語も多いけどそんなふたりが結ばれる物語があってもいいと思うんだ。だから、どうか幸せに、ね」


 シェイルは最後にそう言って微笑むと朝の光に溶けてしまった。


「……ありがとう。最後まで俺を助けてくれて……」


 その時、館に異変が起こった。


「え?」


 砂になって柱が、扉が、館の全てが崩れて行く。血色の薔薇も枯れ朽ちて、土へと還って行く。主を失った館は役目を終え、後にはがらんとした空き地だけが残った。


「終わった……のか……」


 呟くと同時にマトリの持っていた剣が粉々に砕け、彼自身も気を失ってその場に倒れた。


**


 その夜。


 なんとなく眠れなくてクルクは夜空を見上げていた。


 風は柔らかく、草を揺らす。月はなかった。


「星が……綺麗ね」


 月の光が無い代わりに星はいつにも増して眩く煌めいている。


「……うん、本当に」


 不意に聞こえた声にクルクは振り返る。


「……もう起きて大丈夫なの?」


「昼間しっかり寝てたし、傷も直して貰ったから。ただ、剣だけはどうしようも無いみたいだけど……それはまた考えるよ」


 マトリはそう言って微笑むと、クルクの横に立った。


「本当に綺麗な星空だ……南洋諸島で見上げていた星空を思い出すよ。でもあの頃の夜空は何だか綺麗だけど悲しくて」


「……悲しい?」


「うん。独りで夜空を見上げると、綺麗だって思うのと一緒に寂しい気持ちになるんだ。広い世界の中でひとりぼっちだって」


「……それ、分かる気がするわ。静かな世界の中で一人きりって思うと……怖くなるの」


 睫毛を伏せたクルクを、マトリはそっと抱きしめる。


「でも、今はこうして隣にクルクがいるから。寂しくないよ」


「……そうね。ふたりで見る夜空は……どこまでも優しいわ」


 クルクがそう言って微笑み、ふたりは短いキスをした。ちょうどその時、鋭い光の刃が空を切り裂くように流れて行った。


「流れ星!」


「それにしては数が……あ、また流れた」


 流星はその数を増やして行く。絶え間なく流れ続ける星に、空は真昼のように明るい煌めきを放つ。


「流星雨……!本当に綺麗……」


「もしかしたら解放してあげた魂達からのお礼なのかもしれないね」


 優しい光の雨は一晩中降り続いた。



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