7話 闇影の森
これは六花の国「ネージュ・フィオーレ」を目指す旅の途中に偶然迷い込んだ不気味な森に関する一連の物語。
はじまりからして、この物語は奇妙だった。
次の街へ向かうべく美しい森を順調に北に向かっていたはずのリヒト達はクルク、マトリと不自然に離れ、はぐれたふたりはいつのまにか薄暗く湿った森の中を彷徨っていた。
時折生温かい風が吹いて、ぞくりとする。
クルクは森に迷い込んだ時から嫌な予感を感じていたが、それでも救いだったのは今手を繋いでいる相手がいることだった。近くにいたはずのリヒトたちの姿は見えない。
この場所にいるのはマトリとクルクのふたりだけのようだった。
「クルク、大丈夫?森の中は歩きづらいし、それに不気味で嫌な感じが強いから」
「そうね。大丈夫と言いたいんだけど、なんだか森の奥に誘い込まれている感覚があるわ。そもそも、ここはどこなの?」
マトリはしばらく考えて、ある可能性を口にする。
「御伽噺というか、怪談に出てくる【ある森】がある。暗く深い不気味な森、最奥の洋館に住まう美しき女吸血鬼エムプーサ。迷い込んだら喰らわれる。その森の名は「闇影の森】」
「御伽噺の場所が実在するってことなの?」
クルクは眉をしかめる。その森の名前はたしかに本で見た。だがそれが実在するという記述など見た覚えがない。
「うん。御伽噺にはだいたいモデルがあってね。もちろん必ず実在するわけじゃないんだけど似たような伝説が残ってる土地ってやっぱりあるわけなんだ。シェイルから聞いたことがあるんだ」
ある夜のこと。満天の星の下でシェイルは酒を飲んだ後でマトリに語った。
「そういえば、君は知っているかな。【闇影の森】が実在するということを」
「【闇影の森】?よく知られた御伽噺のひとつ、かな。迷い込んだら出られなくなる森とその森の最奥に住まう女吸血鬼エムプーサ」
シェイルは静かに頷く。
「そう。その森のことだ。少しだけ前の話だけど、任務の関係である地方に行ったときに僕はそこに迷い込んだ。綺麗な森を歩いていたはずなのに、気が付くと辺りは薄暗くて嫌な気配がして、生温かい風が吹いた後、骸骨の群れに囲まれた」
「え……ど、どうやって脱出したの?」
マトリの問いに、
「脱出、できたのかがよくわからない。変な話だけど、あの後から魂の半分が今もあの館に囚われているような気がしてたまらないんだ。根本的にあの館は、生と死の境界が薄い」
シェイルは真剣な表情で答えた。
**
「シェイルが実際に亡くなったのはその少し後だ。だから余計に覚えているけど、もし半分でも魂が残っているならもう一度会いたい気持ちも、ないとは言えない」
「マトリ」
幼い頃に故郷を喪っているマトリにとって、シェイルの存在がどれほど大きかったのか想像するのはクルクにはたやすい。事実、クルクも旅の中で一番の親友を喪ったからだ。
「……ごめん。早くここから出ないと。向こうから風の流れを感じるからきっと――」
マトリは何かに気づいたように足を止め、背にクルクを庇う。
「……ど、どうしたの?」
「しっ……クルク、俺から離れないで!」
「……な、なにこれ?モンスター?」
いつの間にか、マトリとクルクの周囲を無数の骸骨が取り囲んでいた。スケルトン、ゾンビ、ヘルボーン。みな武器を手にしている。
「……どうするのよ?」
「戦うしかないって言いたい所だけど、さすがに数が多すぎる」
「……じゃあ逃げるしかないわね。常葉!」
<わかってる。葉隠!>
舞い落ちる木の葉が束の間骸骨たちの視界を遮る。
**
「ふう。まけたかな」
「そう……だといいんだけど」
マトリが腰のポーチからミントキャンディを取り出してクルクへと手渡す。
「はい」
「ありがとう」
クルクはそう言ってキャンディを口に放り込む。憂鬱な気分がほんの少し楽になった。
「とりあえずリヒト達と合流しないとな。クルク、もう走れる?」
「ええ。じゃあ……」
そう言ってふたりが立ち上がった瞬間。
「クルク!伏せて!」
森の奥から一本のナイフが飛んできた。咄嗟にマトリはクルクを庇う。
「ぐっ!」
「マトリ!」
結果、ナイフは彼の肩に刺さる。彼はすぐにそれを抜き捨てた。幸い傷は浅い。
しかし、
「っ……う……」
マトリの様子が明らかにおかしい。
「ちょっと、どうしたの?大丈夫?」
「ふふ。やはり人間にアートゥルムは効くのですね」
「何なのよ……あんた……!」
クルクの剣幕にも動じることなく、現れた女性は優雅に名乗る。
「わたしはブロダイウェズ。花には毒を持つものもあるってご存知かしら?」
「毒……?」
「そう。麻痺毒。私は戦うための力を持ちませんから。あとは闇影の森のエムプーサにお任せしますわ」
「……クルク……逃げ……」
「エムプーサは美しい男性が大好物と聞きます。もともと手を汚すのも趣味には合いませんし。ああ、ほらそろそろお迎えが来ますわ……ではわたしはこれにて」
「待ちなさいよ!」
ブロダイウェズが去るのと入れ替わりに大量の骸骨が目の前に現れる。彼らは武器を真っ直ぐふたりに向けていた。
「……す、凄い数……!」
「……仕方ないか。骸骨さん達、俺をエムプーサさんのところへ連れて行くんだ。だけど、代わりにお願いするよ。クルクを……この女の子を見逃して欲しいって」
「な……何言って……」
マトリの言葉にクルクは息を呑む。連れていかれるということは、つまりは――
「……大丈夫だよ、クルク。そんな顔しないで。俺を信じて」
「……戻って来たら絶対ひっぱたいてやるんだから!」
目にたくさん涙を溜めて、クルクは踵を返す。骸骨達はマトリの要求を呑んだらしく、彼女を追ってはこなかった。
「ふう。……大丈夫だよ。俺は嘘はつかないから。それにね……」
クルクの姿が見えなくなったのを確認してから、マトリはその場に崩れ落ちた。
「もう全身が麻痺して、剣も握れない。抵抗は……できないんだ」
骸骨達は力なくだらんとしたマトリの体を持ち上げると、そのままいずこかへと消えた。
(大丈夫。リヒト達ならきっと……それにクルク……もう君を独りにしたくはない……気付いたんだ)
瞼が重くなる。マトリはそのまま意識を手放した。
**
幸い、リヒト達とクルクはすぐに合流することが出来た。今は常葉の力を使って、エムプーサの館を探っているところだ。
「大丈夫ですか?クルクさん」
息が荒い上に、浮かない顔をしているクルクにアルヒェが尋ねる。彼女にはあちこち擦り傷もあった。
「あ、あたしは大丈夫……だけど」
「……マトリさんのことですか?」
心の中を見透かされたような言葉に、
「……うん」
彼女は素直に頷く。
「……どうしてマトリはあんなこと……だって……相手は人食いなのよ?必死に生きて来たのに……死んじゃったらどうにもならないって……一番知ってる筈なのに……!」
彼女を優しい目で見つめながら、アルヒェは問う。
「クルクさんがマトリさんの立場だったらどうしますか?」
「え、そ、そりゃもちろん全力で相手を守るわ。だって、」
「それが理由ですよ。クルクさんはマトリさんが命をかけても守りたい人なんでしょうね」
アルヒェの言葉に、
「な、ななな何言ってるのよ?あたしなんて子どもだし……」
クルクは耳まで真っ赤にする。
「愛に年の差なんて関係ないですよ。きっと。もしかしたら性別さえ関係ないのかもしれない。クルクさんのその気持ちはとても透明で純粋なもの。大切にしてください」
「……し、正直よくわかんないの。でも、マトリといるとあたしの心の中があったかくなって。笑顔になるの……幸せなの。そう……感じるの」
「あたしもわからなかったんですよ。正直。だけどシュネルに助けられた時、彼が人格を失う危険を冒してまであたしを助けてくれた時、そして彼が戻らないのかと思った時に、気付いたんです。あたしはシュネルのことを愛しているんだって」
「……認めるわ。あたしはマトリが好き。失いたくない。だから、絶対に助ける。エムプーサなんかにあげないんだから!」
<見つけたよ!この森の奥深く。死人館って呼ばれてる洋館>
「ありがとう常葉。みんな行くわよ!」
クルクはそう言うと先頭に立って歩き出した。




