6話 穏やかな日々の終わり
夜が明ける。降り積もった雪が世界を白く染めていた。
「……」
強く唇を噛む。涙がこぼれないように。
六花の国ネージュフィオーレ。世界の北の果ての小さな王国。
遠い昔、人々に迫害された者たちが最後に辿り着いた安息の地といわれている。
もっとも彼らに安息はなかっただろう。この地には古き氷の神がいたから。
六花の国はかつて、氷の王国グレミハと呼ばれ、姫を生贄にしていた。
感情と体を純粋なままに保ち、氷の神に捧げることでかわりに外敵から六花の国を護っていたのだ。
もっとも、今となってはそれも御伽噺に近い。ある代の王は姫を魔女だと侮辱した。その際の氷の神の怒りで王家の血統は一度、途絶えた。そして国の都もかつての都に比べ、南下した。
短い北国の春には花の彩りが増えた。
良質な雪が降るこの地域では雪ひよこの卵が一年を通じて特産品として売られている。雪ひよこの卵プリンは甘くとろける絶品スイーツとして王家にも献上され、庶民も普通に口にしていた。
もうひとつの主食は三方を海に囲まれたこの国ならではの豊富な魚介類。極北ガニの鍋、極北サーモン料理。王宮の料理人は腕が良かったからどの料理もすごく美味しかったのを思い出す。
だけどそれらは喪われてしまった。
いつもと同じ朝はもう永遠にやってはこない。
鳴り響く警鐘で目を覚ますと、首都は焔の赤に染まっていた。
王宮も間も無く落ちると、大臣から告げられた。
「ルゥマ、クラージュを頼む。地下通路から氷壁へ逃げなさい」
「……わかりました。でもひとつだけお聞かせください。この国を滅ぼした者の名を」
「……スレイフ=ダイン。六花の騎士団長だ」
「クラージュ様、早く」
「……どうかご無事で」
ルゥマに手を引かれ、後ろ髪を引かれながらも地下通路を駆ける。
「ダイン。豪快で素行は少し問題のある方ですが、剣の腕も本物で国民にも慕われていたのに何故……」
思考すると足が止まってしまうので、なるべく考えないようにしてはいたのだが。
「……少し嫌な話を聞いたんだ。数日前氷壁に魔物が出て、ダイン団長は傷を負ってしまったらしいけど、そこから急に性格が変わったらしい。俺には元王家の血が流れているから、太陽聖堂の神託で選ばれた王など相応しくないって喚いてたらしい」
「魔物に傷を?気になるところだが、叛逆の事実はもう変わらない。いずれわたしが彼を討つことになるだろう。亡国の……王女として」
「クラージュ、そんな顔しないで。クラージュには笑っていてほしい。僕はそんなクラージュがす、」
地下通路の出口に近づいた途端、衝撃波に弾き飛ばされた。
かろうじて受け身を取り衝撃を逃してレイピアを構える。
「ダイン!」
「おそろいで何より。ただオレの目当ては――」
「クラージュ!こいつの狙いは僕だ!だから……氷壁の奥に転移門がある。今から鍵を託すから逃げて!」
「な……」
冷え切った唇と唇が触れる。
「……クラージュには婚約者もいるし、本当はこんなことしたら重罪だろうけど、許して……行って!そして生き延びてクラージュ……!」
一瞬の触れるだけの別れのキスを交わして、涙を堪えて氷壁へと駆ける。
ダインは追ってこなかった。
「……どうしてあなたは僕を狙うの?僕は戦闘能力も低いただの守護騎士。クラージュを狙う方が国家を手にするにはいいと思うけれど」
真っ直ぐな目で槍を構えながらルゥマはダインに問う。
「……驚いた。お前自分のことについて何も知らねえのか」
ダインは黒い大剣を構えて呆れたように言う。
「仕方ないじゃないか。僕は父親も母親も知らない。覚えているのは凍てついた森でクラージュに会ったことだけ」
「……ルゥマ。お前流石に氷壁に関しての知識はあるよな。氷壁はかつての名を氷城イエロ。姫が贄として軟禁されてた場所だ。意味はわかるか?」
少し考えてルゥマは告げる。
「確か、恐ろしい氷の神……今は氷の精霊と言われてるけど……デスイエロの力が強く宿る場所だけど」
「で、お前今鍵として自分のマナをクラージュに与えたな。それがどういう意味かもうわかるだろ?」
「まさか、僕はーーっ!?」
その言葉を告げる前にダインの大剣がルゥマの体を切り裂いていた。
「……なあ、【氷の精霊】の子よ」
「か、はっ……」
渇いた声と共に血が白い雪を染めていく。
「クラージュはもう喰らったのか?」
「僕は、生贄なんて、いらない。人間として生きてきたから……クラージュ……には……ふれても……いない……よ……」
「……そうか……」
「うあっ!」
ダインの大剣がルゥマの右手を穿つ。
「……なあ、見てみろよ。今からこの右手がどうなるか」
「……え……」
ぱきん。
不意に傷口が凍り出し、徐々に塞がっていく。
「……なあ。わかっただろ、お前人間じゃねえんだよ。さっきかっさばいた腹ももうそこまで痛くないはずだ」
「……僕は……クラージュのそばにはいられないってこと、か……だけど、氷の精霊の子だというのなら」
ルゥマが歌う。澄んだ声に呼応して吹雪がその強さを増す。
「クラージュの……六花の国を……ネージュフィオーレを守り抜く」
「てめ……うおっ!?」
――眠れや 眠れ 愛しい子らよ
雪の繭にて しばし微睡めーー
ダインの視界は白く閉ざされ、もう何も見えなかった。
**
氷壁――正式な名を氷城イエロ跡。
痛む体を引きずってクラージュは最奥の転移門へたどり着いた。
「……わたしは生きなければ。生きて必ずダインを倒し、そして再び六花の国ネージュフィオーレを蘇らせる」
転移門に手を触れる。淡い雪色の光が彼女の体を包んだ。
意識が消える前に歌が、聞こえた。
吹雪を呼ぶ澄んだ声にはどこか聞き覚えがあるような気がしたーー
**
「おはよう、リヒト。フィンスもよく寝れたか?」
柔らかい朝の日差しの中で赤髪の青年ーーシュネルはそう言って微笑んだ。
「うん。トマーテジュースがすごく美味しかったから、トマーテの精霊に会う夢を見た。赤くて、葉っぱを生やした小さな鳥みたいな精霊」
「僕は兄さんと甘い聖夜を過ごしてたかな。夢で残念」
寝具を片付けてリヒトたちは出発の準備を始めた。
「しかしさすが太陽聖堂。ふかふかのベッドだったなー」
シュネルはいつも通りに明るくそう言って部屋の扉を閉めた。
リヒトたちは聖夜祭のゲストとして呼ばれたこともあり、太陽聖堂のゲストルームに一泊していた。太陽聖堂のエントランスで女性陣を待っていると、クノスペに声をかけられた。彼の後ろには紫の髪を三つ編みにした女性が立っている。
「リヒトたちはこれから出発だよね。ちょっと頼みがあるんだけど」
「頼み?その女の子の関係か?」
シュネルの言葉にクノスペが頷く。
「うん。この子はクラージュっていうらしいんだけど、何でもこの子の国ーー六花の国ネージュフィオーレが滅ぼされたらしいんだ。現地の斥候の情報とも一致してるから間違いないと思うけど、今は猛吹雪で海が凍ってしまって船では行けなくなってしまっているんだ。襲撃の前に妙な魔物を見たという話もあったし……リヒトたちに調べてもらいたいんだ」
妙な魔物と聞いてリヒトは頷く。
「わかった。妙な魔物が気になる。スカアハ軍の魔物かもしれないし、クラージュさん、案内を頼める?」
「もちろんだ。さん付けはいらない。クラージュでいい。六花の国ネージュフィオーレは北の果てだ。時間がかかるのは承知している。それまでにダインを……討つ力を手に入れなければ……」
「ぴよ」
クラージュが拳を握りしめた瞬間、服の中から一羽の白い鳥が出てきた。
「……ひよこ……ああ、これは雪ひよこかな」
フィンスはそういうと雪ひよこをそっと撫でた。
「ああ、雪ひよこだ。氷壁で迷子になっていたのでな。可愛いだろう?卵もとても美味しいんだ」
「ぴーよっ」
雪ひよこはぱたぱたと羽を羽ばたかせてフィンスの肩に乗る。
「おや、僕に懐くなんて変わり者だね?でも嫌いじゃないよ。よろしく」
「ぴ」
こうしてクラージュと雪ひよこを加えたリヒトたちは六花の国ネージュフィオーレへと向かうのだった。




