2話 記憶の書――緋
「来ると思っていたわ。久しぶりね、シュネル。そしてクノスペ」
「久しぶりです。ムネモシュネさん」
シュネルとクノスペのふたりは他の仲間達と別れて再びアールタラに来ていた。 精霊界ソウル・エームの東部。古き精霊の言葉で「時測り」の名を持つ街、アールタラ。
『時紡ぎの書庫』があることで知られる石畳の街。
時は少し、遡る。
人間界ジェンティアにばらまかれた号外。
──大陽聖堂 指名手配犯を逮捕。 一週間後に公開処刑を行う──
その新聞記事を固く握りしめて、シュネルは独り、雨に打たれていた。 全ては予想していたこと。助け出すための作戦も練った上での決行だった。
でも、それでも彼は怖かった。 彼女という存在を失うことが。
頭では冷静にならなければいけないとわかっている。そもそもそのためにこうして雨に打たれているのだから。
(……アルヒェ……)
銀色の髪と緑の瞳を持つ、強くて優しくて、だけど誰よりも儚げな少女。 いつからか彼女を守りたいと思い、そのために強くなろうと決めた。
(本当に俺の勝手だけどな……だけどもう想いを閉じ込めることは出来ない)
目の前で繋いだ手が離された時、それでも気丈に微笑む彼女を見た時に、思い知った。
(俺はアルヒェ、君が好きなんだ)
(だからこそ、たとえどんな形になってもこの想いを伝えたい。それまでは君を失う訳にはいかないんだ!)
不意に目頭から雫が零れ落ちた。雨で体温を奪われていく身体とは対照的にその想いの欠片は熱くて。 それはまさに消えない想いと情熱を現しているようだった。
不意に優しい声がして、何かが被せられる感覚があった。
「シュネル、いつまでもこんなところにいたら風邪引くよ?」
「……クノスペ?お前なんでこんなところに……」
振り向いたシュネルはクノスペの姿を見て息を呑んだ。
「って、お前その傷!」
「……」
クノスペの肩には深い傷があり、血は止まる様子を見せない。薄明かりの中で、黒いものが水たまりに落ちていくのが見えた。
「……こうするしかなかったんだもの。だって、ボクは……シュネルを殺すなんて絶対にできないから……」
「……詳しくは聞かない。けど、とりあえず来いよ。傷の手当しないと」
シュネルはそう言うとクノスペの手を引いた。
「え、だめだよ。ボクはシュネル達の敵なんだよ?」
「……お前はあの時ノナと違って何もしてなかったんだから敵じゃねえよ。大丈夫、俺の仲間達はいきなり傷付いた相手に刃を向けるような奴じゃないから」
「……うん、わかった……」
クノスペはふらつきながら、シュネルと共に小屋へと向かった。
「はい、これでいいわ。しかし無茶する子の隣にはやはり無茶する子がいるものなのねえ」
「あ、ありがとう……ございます」
小屋に連れて来られたクノスペを見ると、ニミュエは何も言わずに傷の治療をしてくれた。 あれほど酷かった傷口は綺麗にふさがっている。
「お姉さんが思うに、クノスペちゃんは【緋鳥の民】よね?アルヒェちゃんや、シュネルちゃんもそうなんでしょう?」
「……はい。シュネルもアルヒェも詳しい記憶はないはずです。あの時に暁の緋鳥――フェニックスはボク以外の記憶を封じましたから」
クノスペは観念したように頷くと、紅の緋鳥が彫られたルビーのペアのペンダントを取り出してシュネルに渡した。
「これは、緋鳥の神子と騎士との契約の証。今度はシュネルがあの子を、アルヒェを助けられるように」
「あ、ああ」
シュネルはまだよく事態が呑み込めないといった様子で戸惑いながらそれを受けとった。
「シュネルちゃん。貴方がアルヒェちゃんを助けたいのなら、どうやらその記憶を思い出す必要があるみたいね。目を閉じて。ふたりをアールタラへ送ってあげる」
「……はい」
目映い光に包まれて、ふたりの姿はその場から消えた。
**
「これが貴方たちの記憶の鍵よ。」
時紡ぎの書庫の応接間で、ムネモシュネは緋色の羽のついた鍵をふたりに手渡した。 ふたりは鍵を受け取ると記憶書庫へと足を踏み入れる。
「……これは、鏡?書庫なのに本はないんだね」
書庫の中には本棚らしきものは一切なく、鏡張りの床と、ゆらゆらと揺らめく景色だけがそこにあった。
「……そっか、クノスペはここに来るの初めてだもんな」
「あ、鍵が!」
クノスペ、シュネルの持っていたふたつの鍵が浮かび上がり、緋色の光を放つ。 同時に床が光り出し、鏡張りの床に本のページが浮かび上がる。
<シュネル、クノスペ……このふたりにまつわる記憶を解放。この空間にいる者たちを記憶の書の中へ転送します……>
「本のページが光り出した?」
<転送待機中……50%完了……100%。準備完了。実行します!>
次の瞬間、白い光が部屋を満たし、そして何も見えなくなった。
**
風が啼いている。大粒の雨がふらついた足取りで歩くふたりの子どもの背中を容赦なく打ちつけていた。
「大丈夫だ、クノスペ。もう少し行けば洞窟があるはずだから」
「ごめんね……シュネル」
「大丈夫だって!それより足、大丈夫なのか?」
クノスペの足首は捻ったらしく真っ赤に腫れていた。シュネルの方も全身に擦り傷がある。足取りも少し怪しい。
「シュネルだって……本当は足……」
「これくらい平気だって!……さあ、着いた」
ふたりの子どもは疲れ果てたように、洞窟の隅で目を閉じた。
それから少しして、人知れず洞窟の奥に不思議な炎が灯った。 そしてその炎はやがて、銀色の髪と碧色の瞳を持つ幼い少女の姿となる。
「……わたしは……そうだ……あのこたちを……たすけるの」
少女は洞窟の奥から、シュネルとクノスペのいる場所へと歩いていった。
「……もう……だいじょうぶだよ……ふぇにっくす、ちからをかして……」
その場に辿り着いた彼女はそういうとふたりに向けてそっと手を翳した。 途端に白く美しい炎の羽が降り注ぎ、ふたりの傷を癒していく。 そして光が消えると同時に、少女もその場で気を失った。
「これはあの時の……夢じゃなかったのか……」
シュネルはうっすらと覚えていた。美しい銀色の髪の少女が傷を癒してくれたことを。ただ、あくまで彼は夢としか思っていなかったが。
「うん、夢じゃないんだよ。そしてあの子こそが、のちに村長の手で【アルヒェ】と名付けられた子なんだ」
「え?」
改めて思い出してみると確かにあの少女はアルヒェと同じ銀色の髪と碧色の目をしていた。纏う雰囲気も似たものがある。
「つまりボク、クノスペとシュネル、そしてアルヒェは幼なじみなんだよ」
場面が切り替わった。
「襲撃を予知した?それはまことか、クノスペ」
「はい。暁の緋鳥が私にそう告げました。これより三日後に襲撃者がやってくると。目的は緋の聖女と緋の神子だと」
「……暁の緋鳥もお前も嘘はつかぬだろう。まずシュネルの家族をここから逃がす。そしてアルヒェを」
「はい。そのようにお願いします。そのために今晩、暁の緋鳥はふたりの力と記憶を……封じます」
クノスペの言葉に村長は息を呑んだ。
「しかし、お前達は友人同士ではないか。記憶を封じるということは……」
クノスペは首を横に振ると続けた。
「……構いません。私はあのふたりに生きていて欲しい。暁の緋鳥はあのふたりを守るためにそう決めました。そして私も。 これより私は【偽りの緋の神子】となり、囮になります。緋鳥はそのための力を私に授ける手筈になっております」
「……」
「ふたつの緋鳥の証は私が守り抜きます。そしてどんな目にあっても生き抜いて、必要になれば彼らにこれを返しましょう」
**
周囲が暗転し、部屋の景色が最初に見たものに戻る。
シュネルは何も言わずに、クノスペの細い体を抱きしめた。
「ごめん……」
「……本当はボクの名前さえ忘れてしまう筈だった。だけど残ってしまったんだね……泣かないで」
「……俺、気付いてなかった。俺やアルヒェのためにお前が全部背負ってたことに。正直こいつなんで女装なんてしてるんだとか思ってた……」
「……ボクにとってシュネルは【ひかり】なんだ。だから何をしてでも……心と身体を汚してでも……守りたかったんだ」
「……バカ。お前、本当昔から無茶し過ぎなんだよ!大人しそうに見えてやること意外と大胆で……俺だって心配してたんだからな。 再会した時のお前の言葉で大体察しがついたから」
「シュネルだって同じだよ。昔から本当無茶してばかりで心配でたまらなかったよ……でも、まあ、お互い様か」
クノスペはそう言って微苦笑する。
「ま、そうだな。それに多分、俺はこれからまた無茶をするから」
シュネルはそう言っていたずらっぽく笑う。
「……うん、それでこそボクの好きなシュネルだよ。緋鳥祭壇に行くんでしょ?」
クノスペの問いに、シュネルは力強く頷く。
「ああ。俺も俺の使命を果たすよ。案内してくれ、クノスペ」
**
「……う……」
冷たい地下牢の床の上でアルヒェは目を覚ました。
(あたし……は……)
途切れ途切れの短い夢を見ていた。
あちこちで響く剣戟の音。
美しい銀色の髪と緑の瞳を持った戦乙女と邪竜との戦い。
邪竜に翼を引き裂かれ、竜の巣に落ちていく戦乙女。
邪竜に真闇のマナを注がれる戦乙女と、彼女が最後にヒンメルファルトで貫いた邪竜。
白い炎の翼に守られた魂。
洞窟に迷いこんだふたりの子どもの会話。
フェニックス、と呼びそして傷を癒した銀色の髪の幼い少女。
その少女の名前は──
「……全て……思い出しました」
アルヒェはゆっくりと身体を起こして、そして自らの腕でその身体を抱きしめる。
「あたしは邪竜ファーブニルに穢され人に堕ちた戦乙女ヒルドの魂がフェニックスの力で人の形を取ったもの……人間なんかじゃ……ない。 そしてあの時あたしが助けたのがシュネルとクノスペ……」
ずっと不思議に思っていた。
あの背中の羽のように見える傷は何なのか。どうしてコーアが異形化した時に『ヴァルキリーのマナ』と言ったのか。
ミトラが<アルヒェ、貴方はよく知っている筈です。精霊が真闇に穢されるということがどういうことなのかを…>と言った理由。
その全てが今、繋がった。 そしてもうひとつ気付いたことがある。
(……シュネル……)
今だから言えることだが、アルヒェはシュネルと出会った時に不思議な感覚を覚えていた。 どこか懐かしいような優しい感覚。ほんの一瞬だったから気にも止めなかったけれど。
(ああ、あたしはきっと昔から、優しいシュネルが──貴方のことが)
(あたしはシュネル、貴方のことが好きなんです)
「だから、あたしは……貴方が昔くれた言葉と貴方を信じます。シュネル」
──俺は受けた恩は忘れないから。だからな、いつかアルヒェがピンチになったら絶対俺が助けてやるよ──
子どもの戯れ言を信じているのかと笑われるかも知れない。だけど、あたしにとっては大切な約束で言葉だから。
アルヒェは冷えた両手を組み合わせ、見えない月にそっと祈る。
同じようにシュネルも雲間から見える月を見上げて彼女のことを想っていた。 あれほど酷かった雨はいつの間にか止んでいた。




