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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第三部 二つの世界編
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1話 急襲

「っ……!」


 冷たい三日月の光がぼんやりと照らす仄暗い闇の中で。


 夜に溶け込むような髪の色をした少年は、傷口から紅の血を地面に零しながら金色の瞳で相手を見据えていた。


「これは残念。私としては傷つけたくなどなかったのですがね」


「何者だよ……てめえ……」


「そうですね。私の名はフルイドと申します。」


 科学者のような白衣を身に纏い、不気味な雰囲気を持つ男だった。白衣のあちこちには血のような染みが見える。


「……何が目的だよ?」


 震えを押し殺して少年は問う。


「貴方自身ですよ。界秘幻郷の【黒の夢守】さま」


「……!何故そんなことを知ってんだよ?人間じゃねえのか……」


「……人間です。しかしある組織にいたもので禁忌や古の伝承には詳しいのですよ」


「……」


「……しかしもうひとりの【白の夢守】さまはどちらに?」


 この問いに彼は体を固くした。戦闘能力を持つ自分はまだいいが、もうひとりの方がこの得体の知れない男の手に落ちるのは危険だ。


(……凪)


 あまり感情を出す方ではなく、無機質な印象さえ受けるもうひとりの【夢守】。 そもそも彼がこの世界に無理矢理降りて来たのは凪を護るためでもあった。


「……わーったよ。どのみち今の俺じゃてめえにはかなわねえし。【穢れ移し】をした奴らはなんか知らんが魔物になる有様だ。 この乱……無茶苦茶不本意だが捕らえられてやるよ。ま、せいぜい寝首かかれないように気をつけるん……だな……」


 威勢良く言ったはいいものの乱の体力自体はもう限界だったようで、彼は力なくその場に倒れた。


「ふふ……」


 フルイドは冷たい笑みを浮かべ、気を失った乱をそっと抱え上げる。


「……これで無尽蔵に魔物が作れるわけですか。もっとも素体、彼自体の強化は必要でしょうけど」


 ぐったりとしている乱に彼の狂った計画は聞こえない。


「まずは手始めに六花の国 ネージュフィオーレでも魔物軍で滅ぼしてしまいましょうか。リーダーはダイン辺りでいいでしょう。 くく……くくくっ……そしてやがては精霊界に攻め入りあの三人の『裏切り者』たちに裁きを……!」


 フルイドはそう言うと冷たい三日月の下で狂ったように笑い続けた。


**


 柔らかな朝の日射しがカーテンの隙間から射し込んでいる。 男装を身に纏う黒髪の人物はカーテンを開いて、ひとつ溜め息をついた。


「……リート……」


 精霊でない彼女は精霊界ソウルエームで何が起こったのか細かくは知らない。 しかし日蝕が起きたこと、そしてリートから少しだけ事情を聞いていたことで察しはついた。


 リヒト、そしてフィンスが無事であること。


 精霊界ソウルエームで何らかの異変が起こったこと。


 そして最後に、リートがもう存在していないこと。


「だけど……リヒト……フィンス……貴方達が無事であることだけはとても嬉しいです」


 大陽教会の長、そして断罪の牙の手によってフィンスとリヒトが瀕死の重傷を負い精霊界に逃れたことも 、そしてその後無事に目を覚まして元気でいることもリートは彼女にだけは教えてくれた。


「今の私にはもう……育ての母を名乗る資格もないでしょうけれど。それでもあの子達の幸せを、私はー」


 そう言って朝の日射しの中で瞼を閉じた彼女の姿はとても美しかった。けれど同時に、そのまま溶けて消えてゆきそうな雰囲気も持っていた。


「ナハト様、朝食の支度が整いました」


 ノックの音で彼女の意識は現実へと引き戻される。


「わかった。今行く」


 彼女はカーテンを閉めて踵を返すとドアの方へ向かった。


(そう、今の私は『ナハト』。月の揺籃の長。彼らの育ての母であった『エーレ』はあの時に共に死んだのだ)


 そう自らに強く言い聞かせながら。


**


「……ふわあ」


 大きくあくびをして、クノスペはベッドから体を起こした。床には脱ぎ散らかしたままの衣服が散らばっている。


(あーそうか。昨日は疲れてそのまま寝ちゃったのか。皺にならなきゃいいけど)


 彼は(見た目は女にしか見えないが男。いわゆる男の娘というものだ)衣服を横目に眠気覚ましのために風呂へ向かった。 お湯がわくまでの間、彼は部屋に戻り衣服を壁に吊るすと衣装棚を開けた。 かなり長めのぶかぶかしたシャツ一枚だけを羽織り、部屋の外の郵便受けをみると号外が入っていた。


「……日蝕により各地で大騒ぎ……か……」


 彼が号外をテーブルに置くと、ちょうどいいぐらいにお湯がわいた。


(……シュネル……)


 石けんで体を洗いながらクノスペはぼんやりと幼なじみのことを考える。


 断罪の牙のノナからリヒトとフィンスが瀕死の重傷を負い、シュリや精霊達の手で精霊界に逃れたということは聞かされている。しかしシュネルがどういう状態なのかまでは聞かされなかった。


(……無事……だよね?)


 本来敵対する立場である自分がシュネルのことを思うのはいけないことなのかもしれない。 もちろん、こうして断罪の牙にいるのは事情があってのことだけど出会ってしまえば戦うしかないだろう。


(……会いたい。一目だけでも会えたら。無事だってわかればそれでいい……のに……)


 クノスペの瞳から涙が一粒こぼれて、お湯に溶けた。


「クノスペ、開けろ」


 玄関の方から声がする。クノスペは急いで体を拭いてシャツを羽織ると玄関のドアを開けた。 そこに立っていたのは冷たい雰囲気を持つ青年だった。銀色の髪と灰色の瞳。


「……イリュウ様」


「ノナ様がお呼びだ」


「少し待ってください。この格好ではさすがに」


 戻りかけたクノスペの腕を、イリュウの腕が掴んだ。


「お前の格好などどうでもいい。むしろ裸の方が逃げられないから良いかも知れんな」


「な……」


 イリュウはそう言うと手にした短剣でクノスペに斬りかかる。間一髪避けたが髪が一房床に落ちた。 そして着ていたシャツも肩の部分が裂かれて、袖が床に落ちる。


「……俺は元々お前が気に喰わない。この場で斬り捨ててやってもいいんだがな。来い」


「……っ」


 イリュウはそう言うとクノスペを掴み、転移して消えた。


**


「ふふ。あらあら。こんなに急がなくてもよかったのよ。イリュウちゃん。男の娘の裸なんて興味ないわ」


 転移した先は大陽聖堂の最上階、アスセナの部屋だった。


「そうね。自らの身体をお金にするような穢らわしい存在なんて見たくもないわ。ノナ、早く命令をしちゃって。 そして放り出しちゃってちょうだい。」


 ノナとアスセナはそう言って蔑むような目でクノスペを見た。


「そうね、アスセナがそう言うなら。指令はひとつだけよ。わたしたちはこれから黄悠の門に行って精霊界から帰って来たリヒトちゃん達をとっつかまえるの。 その後はアスセナの指示でアルヒェ、リヒト、フィンスの三人を火刑にするわ。アルヒェは……コーア殺しの殺人罪。あとふたりは適当な罪をなすりつけてね」


「な……!」


(滅茶苦茶だ……こいつら……)


「それはいいんだけど、妨害しそうな存在がいるのよ。クノスペ、そしてシュネルちゃん。貴方達は『緋鳥の民』なのよね?」


 ノナの問いにクノスペは血の気が引いた。ずっと隠していたはずなのに。見た目ではわからないはずなのに。


「うふふ。図星かしら。そして貴方、シュネルちゃんのことが好きなんでしょう?だから、とびきり残酷な任務を与えてあげる」


 ノナはそう言うとクノスペの顎を掴み、その耳元で囁く。


「貴方の手でシュネルちゃんを殺しなさい」


「さ、もういいわ。イリュウ。この穢らわしい豚を元の家に飛ばしなさい。」


「は」


 イリュウが手で空を切るとクノスペの姿はその場から消えていた。


 床に倒れたまま、クノスペはしばらく呆然としていたが、やがて意を決したように立ち上がる。


 そして、胸に手を当てて力強く言った。


「誰が『偽りの聖女』であるアスセナ……お前に従うものか……緋鳥の民の真の神子を護る。それが偽りの神子のボクの役目。 命に代えても……彼とそしてアルヒェは護り抜く。それが性別を偽り身体と心を汚してまでも生き抜くことを決めたボクの覚悟だ」


 クノスペはそう言うと裂かれたシャツを丸めてゴミ箱に放り込む。そして壁にかけられた衣服を纏った。


「……これがボクの勝負服、だもんね」


 そしてツインテールのつけ毛をつけると、部屋の引き出しの奥から小さなペンダントをふたつ取り出した。 紅の緋鳥が彫られたルビーのペアのペンダント。緋鳥の神子と騎士との契約の証。


「シュネル、君にこれを返さないとね。今度は君があの子を、アルヒェを護れるように」


 クノスペはそう言うと少しだけ寂しげに微笑んだ。


**


「ところで、シュリ。これからどうするつもりなの?」


 精霊界ソウルエーム。精霊の女王の居城神座ヴァラスキャルヴ。その中庭でリヒト達は作戦会議兼お茶会を開いていた。


「そうだね。とりあえず人間界ジェンティアに戻ってみようと思うの。大陽教会や断罪の牙の動向も気になるし」


 シュリの提案にフィンスが頷く。


「それがいいだろうね。それに、個人的に気になる人もいる」


「え、何々?気になる人?」


 思わず身を乗り出すプロミネに、


「残念。君が思っているような感じの人ではないよ。けど、大事な人であることには変わりはない」


 フィンスはそう言うと目を細めた。


「そういえば、フィンスは、その……僕と離れた後はどうしていたの?」


 リヒトに問われて、フィンスは驚いたように目を丸くする。


「へえ、兄さんが僕に興味を持つなんて。……僕のこと弟として認めてくれた?」


「正直言うと、記憶が戻った今でも実感はあまりないんだけど……だけどこれから少しずつそうなっていくことはできるのかなって」


 リヒトはそう言うと柔らかく微笑んだ。


「うん……そうだね。僕も色々焦りすぎていたみたいだ。思い出せないなら力ずくでも思い出させてやろうと思っていた時期もあったんだけど」


「ち、力ずくって……」


「色々考えてたよ?ここで話すとアルヒェが卒倒しそうな感じのこととか」


「フィンス……目が笑ってないんだけど……」


 その様子を見てリヒトは背中にぞくっとする何かを感じた。


「……大丈夫だよ兄さん。もう無理矢理そうするつもりはないから。それに……」


 そういうとフィンスはリヒトに抱きつく。


「もう……離ればなれにはならないんだよね。そして僕は……兄さんの傍にいていいんでしょう?」


「フィンス……」


 リヒトはフィンスの頭にそっと触れる。


「ずっと寂しかった。会いたかった……こうして触れて、本当に生きているんだって存在しているんだって感じたかった……」


 フィンスの緋色の瞳から涙が溢れ出す。同じようにリヒトの瞳からも雫が落ちた。


「大丈夫。僕はここにいる。そしてフィンスもここにいていいよ。これから一緒に旅をして、お互いの色んなことを知っていこう」


「……ありがとう……兄さん……」


 フィンスとリヒトが落ち着いてから会議は再開された。


「僕は兄さんと別れた後は『月の揺籃』っていうところにいたんだ。そこでナハトさんって人に育ててもらった。 その後戦闘訓練や能力の制御訓練を受けて、僕はその人の懐刀として各地の『心喰らい』の調査と浄化を行っていたんだ」


「なるほど、それであの時あたしに『心喰らい』を倒すための適切なアドバイスができたんですね」


 アルヒェは納得したように頷く。


「僕にはもちろん兄さんを捜すという目的もあった。ナハトさんから兄さんが生きていることは聞かされていたからね」


「じゃあ、何かわかったの?」


「それが……全く。クルクが言っていたようにマナバランスが崩されて起こっていることぐらいしかわからなかった。 あとは『心喰らい』は常に強力な『真闇』イーシェのマナ=アートゥルムを纏ってるぐらい。あれは闇よりもっと強いよ。ごめんね、シュリ。役に立てなくて」


「真闇か。闇精霊、つまりは『黒き者』にしか使えない力だよね。闇<シェレカス>はあくまで光に属する闇だから」


 イーサの言葉にクルクは頷く。


「なるほど、闇ではなくその上位か。ここは推測の間違いを認めるわ。けどそうだとしても、ひとつひっかかることをスキアーが言ってたの覚えてる?」


<そんな怖い顔しないでよ……ボクらだって心喰らいについてはよくわかってないんだからね……>


「そういえば。あたしたちは何となく『心喰らい』は闇精霊の長、存在を知ってからはスカアハですけど、が起こしているのだと思ってました」


「精霊界も人間界も大体そういう認識だろうな。」


 ロキもアルヒェに同意するように頷く。


「スカアハ以外で冥を操れる強力な力の持ち主……お姉さん、知っているような気もするのだけど……思い出せないわね……」


 ニミュエはそう言うと困ったような表情を浮かべた。


「……とにかく、人間界ジェンティアに戻ろう。あ、でも……」


 シュリはあることを思い出して眉をひそめる。


「指名手配されてたんだったね……私たちって……」


「あー……」


 リヒト達はそのことを思い出して頭を抱える。


「ああ、もうアスセナうざい!」


 毒づくクルクをマトリがそっと制す。


「クルク。多分みんなそう思ってるけど、ほらアルヒェの気持ち……」


「……いえ、気にしないで下さい。だけどあたしはやっぱり、アスセナ様の真意が知りたい。危険なのはわかってます。それでも」


「アルヒェ……」


 俯いたアルヒェの肩をシュネルがポン、と叩く。


「確かめに行こうぜ。どのみちアスセナが誰と組んでるのかは知っておくべきだと思う。で、本当に悪い奴ならぶっとばして改心させればいい」


「そうだね。それに今後のことを考えると敵としては大陽聖堂――アスセナは真っ先に潰すべき相手だ。指名手配が解かれない限り俺たちも分が悪い」


「マトリに賛成よ。個人的に一発ぶん殴りたいのもあるけど……危険を承知で乗り込むわよ!」


「みんな……ありがとう……」


 アルヒェは仲間にぺこりと頭を下げる。


「けど、作戦は立てておかなくちゃね。あの女は月のこどもとアルヒェ個人を憎んでる。そう考えると【黄悠の門】で待ち伏せしている可能性が高い。 そして僕と兄さん、アルヒェは確実に捕まると考えていい。だからシュネル達はとりあえず別の門から人間界に戻った方がいいね」


 フィンスの作戦にシュネルは頷く。


「わかった。俺は指名手配されてないし『蒼水の門』を使うことにしよう。あそこなら村にも近い」


「とりあえずマトリは僕たちと一緒に来て欲しい。僕たちだけではさすがに怪しまれる。そしてラルムも」


<はいです!>


 ラルムが姿を現し、フィンスの肩にぴょこん、と乗った。マリアが遺してくれた精霊だ。


「マトリは指名手配されてないからラルムとともにシュネル組に情報を伝えて欲しい」


「わかったよ」


「さて、これで作戦は整ったけど……一番危険なのはアルヒェ、君だよ」


 フィンスの問いにアルヒェは首を横に振る。


「わかってます。正直怖いですけど、きっとみんなが助けてくれるって信じてますから」


「わかった」


**


 そして翌日。人間界ジェンティアにはこのような号外がばらまかれることとなる。


――大陽聖堂 指名手配犯を逮捕。 一週間後に公開処刑を行う――



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