20話 彼女の決意
神座ヴァラスキャルヴの奥深く、悠久の檻と呼ばれる場所。仄暗い闇の中で水晶の壁越しにシュリは自らの母、ミトラと対面した。美しかった金色の羽は跡形も無く、代わりに漆黒の竜の羽が生え、その全身は固い竜のうろこで覆われていた。変わり果てたその姿に、シュリは息を呑んだ。そして涙をぽろぽろと零す。
〈シュリ……貴方が無事で良かった……〉
「お母様……」
〈私はもう貴方に触れることはできない。そしてここから出ることは永久に叶わないでしょう〉
「……はい」
最高位である光の精霊が最下位である真闇または冥に属する毒に侵された時、つまりは相反する属性の力を宿した時に例外無く起こる「二重代償」だった。
ミトラの場合は次第に竜に変じていくという形で起こったが、大抵はその場で自我を失った怪物となるか、体が激痛に耐えられずに命を落とすこととなる。リヒトとフィンスが二重代償の条件を揃えながらも生存したというのはとっさにその代償を半分に分けたことと恐らくはバルドルの保護呪文の残滓による例外だ。
〈シュリ、あなたは女王となる覚悟を決めたと聞きました〉
「はい」
泣き濡れた頬を拭ってシュリは真剣な表情で頷く。真っ直ぐ前女王であるミトラを見据えて。
〈私の背負ってきたものを貴方に背負わせたくはありませんでした。少なくともこんなに早くは。けれど、もうそれ以外に道はありません。 そして貴方自身に覚悟があるのなら、私にはもう何も言うべきことはありません〉
ミトラはそう言うと水晶の壁の向こう側からそっと手を伸ばし、小さな金色に光る鍵をシュリの掌へと落とした。
〈この鍵で玉座の裏を調べなさい。そしてその女王の証を持ってベルゲルミルの泉で女王となる儀式を行うのです〉
シュリは鍵を握りしめると、力強く頷いた。
〈そして貴方にもうひとつだけお願いを。いつか私が『闇の真竜』と化した……その時は『葬竜剣アスカロン』を用いて私を殺して下さい〉
「……そんな……!」
その言葉にシュリは戸惑いを隠せなかった。
〈……その時がいつになるかがわからない以上、貴方が本当にその役目を負うのかはわかりません。何よりもまだこの世界にその剣自体が存在していないのだから……ですが、貴方以外の誰かがそれを行うとしても間接的にその使命を伝えるのは貴方です。こんな役目を負わせたくはなかったのですけどね〉
「これが女王としての……私が背負うべきものなんですね」
シュリはそう言うとしばらく俯いたままでいたが、やがて顔を上げた。
「わかりました。母様の全てを、精霊の女王として背負います」
〈ありがとう……シュリ。私の愛しい娘……ずっと愛しています。自我が消えてなくなるまで私はきっと貴方とこの世界とそして転生の魂となったあの子たちの幸せを願い続けるでしょう〉
「それでは、行きます。そして女王になります。……大丈夫、私はひとりじゃありませんから」
シュリは最後にミトラに微笑むと、踵を返して悠久の檻を後にした。
『闇の真竜』そして『葬竜剣アスカロン』。それらが語られるのはまた別の話になる──
**
静かな夜だった。時折吹き抜けていく柔らかな風がさわさわと木々の葉を揺らす。シュリは眠ることが出来ずに中庭に出て蒼い月を眺めていた。
アルスキールはおろか精霊界ソウルエーム全土を混乱に陥れた事実上のミトラの崩御。転生の魂となって人知れず消えていったイージス、マリア、リート、フェリット。
大陽は闇に堕ち、煌めいていた星も星屑となって流れていった。時間にしてわずか1日。しかしその間に全てが変わってしまった。
(明日、私は女王になる。代償として何を捧げるかはもう、決めている)
代償が何かは誰にも言わないと決めていた。それはきっと彼らを悲しませることになるから。
「シュリ?」
「あ、リヒト、フィンスも」
「こんなに月が綺麗な夜は眠れなくてね。兄さんと一緒に月夜のティータイムでもと思って」
見るとリヒトは綺麗なルビー色をしたローズティーが入ったガラスポットと人数分のカップを載せたお盆を持っていた。
「……そうなんだ。席を外した方がいい?」
気を使ってその場を離れようとするシュリに、フィンスは首を横に振る。
「ううん。良かったら一緒に……それにさ、僕ずっとシュリにお礼が言いたかったから」
「お礼なんて、そんな。それよりもその髪は?」
そう言われてシュリはフィンスを見てあることに気付く。長かった腰まであった筈の三つ編みが今は肩にかかるぐらいしかない。
「……捧げたよ。ベルゲルミルの番人のミーミルにね。僕が運命を書き変えた代償に」
フィンスはそう言って薄く笑った。
「ミーミルが言うには僕は本来、あの時に、満身創痍で兄さんに出会って意識を無くした時点で死ぬべき存在だったらしい。 精霊界ソウル・エームに逃げることは出来ても、目は覚まさない運命だったらしい。本来はね──」
そこまで話してフィンスはローズティーを一口飲んだ。
「だけどそうならなかったのはいくつか理由があってね。ひとつはバルドルが……父さんがシュリ達に頼んで僕と兄さんの記憶の書を解放したから。だから兄さんは僕のことを思い出せた。ふたつめはシュリ達が僕らのために動いてくれたから。そして最大の理由は……リートさんが全てを賭けて僕に未来を遺してくれたから。意識がなくて答えることはできなかったけどあの人はね、僕が目が覚めるまで毎日声をかけてくれてたんだよ。だから僕は生きようと思えた」
フィンスはそう言うと寂しげに睫毛を伏せた。
「何かを犠牲にしても生きてやる、なんて決意したけどそれが正しかったのかは僕にもわからない。だけど現に今僕はこうして生きている。……犠牲の上にね」
「フィンス……」
「……あの三つ編みは願掛けで伸ばしていたんだよ。兄さんに会えるようにって。だからその願いが叶った今、もう必要はなかった。だから全部切っても良かったけど ……ミーミルに止められた」
「止められた?」
ミーミルはにっこり笑うとフィンスの鋏を持った手を持って位置をずらして言った。
〈その三つ編みは全部切ってしまわなくてもいいの。ずっと伸ばして来たのだもの、もう貴方の一部になっているわ。 人も精霊もいきなりがらっと変わってしまうのは難しいの。だから少しだけ昔の貴方の姿を留めておきなさい。そしてそこからゆっくりと変わっておいきなさい〉
「何だかわかる気がする。そっか、私もそうしようっと」
シュリはそう言うと結晶花の髪飾りを外した。束ねていた髪が落ち、髪を下ろした姿は以前に比べ大人っぽい。
「リヒト、フィンス。私ね、明日女王の儀式を行って女王になるの。だけどそれだけ。私は私のままでいようと思う。もちろん変わるべきところは変わっていくけど。今のフィンスの言葉でわかったんだ。多分お母様みたいな女王には私はなれない。だから私のやり方で少しずつ理想の女王に近づいて行こうと思うの!」
そう言った彼女の笑顔は眩しくて、大陽みたいだなとリヒトは思った。
「シュリならなれるよ。きっとね」
「多分まもなくスカアハは宣戦布告を出すだろうね。そしてシュリも。戦いを背負う覚悟も君にはあるんでしょ?シュリ」
フィンスの言葉にシュリは頷く。
「うん。だからリヒト達に力を貸して欲しいの。この『精霊戦争』はソウルエームだけじゃなく、ジェンティアをも巻き込んだ戦いだから……」
「ふうん。きちんと……背負う覚悟があるだけでも君はもう女王だね。お仕えしますよ。シュリ様」
そう言って跪くフィンスをシュリは慌てて制する。
「ちょっとフィンス!シュリ様とかやめてよ……まだ落ち着かないし仲間の間でぐらい元のままでいいよ!」
「はいはい」
慌てふためくシュリを見てフィンスは楽しそうに笑う。
今まで、彼が笑う時には常に寂しげに笑っていたのに。だけどこれが本来のフィンスなのだろうとリヒトは思った。
正直、フィンスが弟だということがわかってもリヒトにはまだ実感は無い。だけど、それが事実であるなら一緒に居て少しずつ兄弟らしくなっていければいい。
「たくさん……時間はあるんだもんね……」
蒼い月の照らす夜。リヒトは月を見上げてひとり、呟いた。
**
翌日、スカアハ側から女王の儀式を終えて新女王となったシュリに宣戦布告が届く。
シュリはこの宣戦布告に対し、同様に宣戦布告しここに──
精霊界ソウルエーム、そして人間界ジェンティアの二世界
「白き者」「黒き者」、そして「精霊」と「人間」
それら全ての運命を呑み込んで
『精霊戦争』 ここに開戦。
2部終了 3部精霊戦争編へ続く




