10話 雨は謳う
朦朧とした意識の奥底で、澄んだ歌声を聞いた。
誰かが謳っている。澄んだ声で。
言葉はよくわからない。だけどその響きを、身体のどこかで知っている気がした。
<I An Gins Niar Om Gnos 私は謳う 雨の歌を>
< Erif Ow Tlem Aiar Om Ydolem 焰を溶かす 鎮めの雨よ>
< Siht Dnal Ow Parw Rednet 嘆きの地を優しく包め>
< I An Epoh Htriber 願わくばこの地の再生へのはなむけとなれ>
歌声が消えて代わりに雨の音がした。その旋律は温かく、綺麗だった。
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<ぷろみね、だいじょうぶ?>
「え、常葉?」
プロミネが目を覚ましたのは緑と花の街イーグレーンのホテルの一室だった。
<ぼくもだけど、みんなすごくしんぱいしてた>
常葉はそう言うと、プロミネの手を強く握りしめる。瞳にうっすらと涙を溜めて。
「そうなんだ……ごめんね」
プロミネはそっと上半身を起こし、常葉を抱きしめる。柔らかな感触と、懐かしい森の匂いがした。そして思い出す。焼け落ちていく木々と焦げ臭い匂い。樹霊たちの叫びを。
「……里は?ホッドミミルの森は無事なの?時計樹は」
はっとしたように彼女が叫んだ瞬間、静かにドアが開いて女性が部屋へと入って来た。
見慣れない顔だった。肩に水でできている(?)氷鳥のぬいぐるみ(?)を乗せ、柔らかな表情を浮かべている。身に纏う服は、傘をモチーフにした不思議なもの。年は20代前半ぐらいだろうか。その人はプロミネと目が合うと優しく微笑んだ。少なくとも敵意は感じられないし、常葉も警戒している様子はない。
「貴方がプロミネちゃんね。わたしはアマネルって言うの」
<で、俺がドロップ。何かと天然な主人のパートナーというか……世話役だな>
「……し、喋ったああ?ぬいぐるみじゃないの?」
ドロップが急に喋ったため、プロミネはすっとんきょうな驚きの声をあげる。
<お前の仲間のクルクの盟約精霊だってぬいぐるみみたいなの多いじゃないか……まあ、その、驚かせて悪かったな>
「あ……うん」
「プロミネちゃんはドライアードの里のことが知りたいと思うから話すわね。森を焼いた炎はわたしがしっかり鎮めたからもう大丈夫。長様も無事だし、どうやら亡くなった方はいなかったみたいよ。……樹霊たちが『ともだち』を命を賭けて守ってくれたから」
「じゃあ……樹霊たちは」
プロミネの目から涙が零れた。樹霊は生まれたときからドライアードにとってはいつも傍にいるパートナーだ。樹霊は自らの意志でたったひとりのドライアードを選び、彼らが森に還ると運命を共にするという。
<ぷろみね、なかないで。みんなわらってたよ。ともだちをまもれてうれしいって。じぶんたちがきえてしまっても、おぼえていてくれるならしあわせだって>
「常葉……」
<ほんとはね、ぼくはぷろみねのことわすれるはずだった。だけど、くるくやみんながまもってくれた。きえるはずだったぼくのこころときおくをまもってくれたんだ>
常葉はそう言って微笑む。
「常葉くん、プロミネに何か飲み物を持って来て欲しいってクルクちゃんに伝えてもらえる?」
<うん。>
常葉はそう言うとその場から姿を消した。
「プロミネちゃん、厳密に言うと、今の常葉くんはもう樹霊の長でないどころか、樹霊でもないの。だから森に還ることはきっともうできない。例え、あなたが森に還っても常葉くんはひとりで、永遠に緑精霊の長として森を見守り続けることになるの……」
アマネルは静かな声で事実を告げる。
突きつけられたその事実に、プロミネは思わず息を呑んだ。
「だけどね、自分を責めてはダメよ。……代わりにあの子に幸せな時間をたくさんあげて。あなたが生きている間はね。と言っても、貴方達の命は私よりはずっと長いのでしょうけど」
<俺にはそういう気持ちはよくわかる。クルクの盟約精霊のクリスタリア。あいつも元は人間だ。それでもあいつは、自分が独りで永遠を生きることを知っていて、それでもクルクの傍にいることを選んだんだ。……大切な友人のためにな。だから、受け入れてやれ>
ドロップの言葉にプロミネは頷いた。
「さ、プロミネちゃんも着替えたら食堂に降りていらっしゃいな。みんなが待ってるでしょうから」
<美味いもの食べるぜー!じゃ、また後でな!>
こう言ってアマネルとドロップは部屋を後にした。
そして広い廊下を歩きながら、誰に言うでもなく呟く。
「絆って凄いなあ。簡単に自分を犠牲にできちゃうんだもの。永遠の孤独や、一生の罪を選べるほどに……わたしには、わからないけどね」
<マスター……>
「……なりたくてドリュープ・サルの結界の楔になったわけじゃないもの……本当にただの偶然で、長い寿命と魔力を手にして」
アマネルはそう言うと長い睫毛を悲しそうに伏せた。が、
「……でも今はニミュエとおしゃべりできるからそうでもないよ。ドロップもいるし。それにそういう真っ直ぐな気持ちは嫌いじゃないの。いずれその思いはこの精霊界に想いの虹をかけるわ。シュリ様もプロミネちゃんも……みんなみんな真っ直ぐできらきらしてる。水は透明で、形のないものだけど輝いたものに照らされて形を持つの。そして自分がここにいるとわかる。だから、わたしはシュリ様の助けになりたい」
<どこまでもついていくぜ。マスター。なんったってパートナーだもんな!>
「ふふ。ありがとう、ドロップ」
アマネルは嬉しそうに微笑んで、食堂への歩を早めたのだった。
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「あ、プロミネ。もう大丈夫?」
「うん。心配かけてごめんね。この通りピンピンしてるよ」
ホテルの計らいで短い時間ではあるが貸し切りにされたイーグレーンのホテルの食堂。そこにシュリ達は集まっていた。テーブルの上には美味しそうな料理がところ狭しと並べられ、中央にはアルヒェ手作りのキッシュが置かれている。
「じゃあ主役も来たし、今夜は食べるぞー!いただきまーす!」
カチン。
全員が飲み物の入ったグラスで乾杯し、「プロミネ回復おめでとう会」が盛大に始まった。交わされる楽しげな会話。時折混じる笑い声。だけど、プロミネ、アマネル、ドロップ以外は改めてみな感じていた。この場には、本来いるべき存在が欠けていることを。もっとも、いたところで彼らはあまり楽しげに会話を楽しむタイプでもないのだけど、それでも。
(リヒト……フィンス……)
シュリは誰にも見られないように窓辺へ歩いていくと、そっとその長い睫毛を伏せた。降り出した雨は、夜になっても止む気配はなかった。
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意識の水底。体の感覚はなく、ただ精神だけがくらげのようにゆらゆらとたゆたう世界。そこに僕らはいた。いつからここにいたのかはわからない。記憶はまだひどくあいまいで、自分の名前さえもようやく思い出したぐらいだ。
……僕はフィンス。そして隣で目を閉じたままの大切な僕の兄さんの名前はリヒト。精神体になっても、綺麗なままだと思った。金色の月の光の色の髪。閉ざされている瞼は澄んだ空の色だ。
不意に、気付いた。
誰かが僕と兄さんを呼び続けている。優しい声で、だけど泣きそうな声でずっと。水底の遥か上、ゆらゆらとさざめく水面の方から。
兄さんはともかく、僕の名前まで呼ぶなんてよほどの変わり者に違いないけれど。
水底まで届く一筋の光に、僕は手を伸ばし、そして兄の体を抱えたままで浮上を始める。
「このまま消えるなんて……僕は嫌だ。まだ何も僕の願いはかなっちゃいない。だから」
きっと兄さんだって同じだ。
「望んでやる。もしも許されないとしても、誰かや何かを犠牲にしても生きることを望んでやるよ!」
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「お?今手がぴくって動いたぞ?」
「え、ほ、本当ですか?」
研究室兼医務室で、ディアンは嬉しそうにそう言った。
リヒトとフィンスの体は石素が必要量供給され、安定して来たために水槽から出されてベッドの上に横たえられていた。ディアンの見立てでは、もういつ目が覚めてもおかしくはない状態だ。
「今日か明日あたり、目が覚めるんじゃないか?もっとも、動けるようになるにはまだ時間がかかるし、アダマスが見つかるまでは定期的にマナを注入しないといけないけど」
「アダマス……なんですけどわかりました」
「本当か?」
ディアンがその先を言うのをためらったのは、グロアが酷く浮かない顔をしていたからだ。
「わかったし、石素の提供者もいます。だけど、その方が提供を決めた……いいえ、可能になった理由は」
グロアから全てを聞いたディアンもまた、ただ言葉を失うことしかできなかった。
**
その頃、どこか遠い場所の薄闇の中。
激しい雨音が反響する部屋で、ひとりの青年が緋色の瞳を開いた。
「クロワ、良かった……目が覚めたのね。わたし……わたしっ!」
「え……リアン?」
泣きながら青年に抱きついて来た少女、リアンの顔を、青年はよく知っていた。
そして、彼は思い出す。残酷なその事実を。
――自分が、死んだ筈の存在であるということを。




