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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第二部 精霊界編
22/51

7話 緑と花の街

 ぴちょん。


 どこかでひとつの雫が落ちたことを彼は悟った。はじまりを告げる雫が落ちれば、やがて波紋は広がって全ての世界を飲みこんでいくだろう。


「うーん……冷たい……」


 青年が目を覚ますと、額が塗れていた。どうやら実際に天井から雫が落ちたらしい。


「その位置は朝になると霜が溶けて落ちてくるからそこで寝るなって言っただろ?あちこち濡れてる」


「あ、本当だ。」


 黒髪の少年の言葉に青年が改めて服を見ると、なるほど水滴によって染みが出来ていた。


「ロキ君は気が利くよね。正直ボクよりずっとしっかりしてる!」


 彼はそう言うとロキの手を掴んで、嬉しそうに笑った。


「あー、わかったから離せ。あと、イーサ。そう言われても僕は別に嬉しくないから」


「そう?謙遜しなくてもいいのになあ。」


 イーサはきょとんとした表情になって手を離した。薄紫色の髪に青と緑の瞳。整った顔立ち。黙っていれば間違いなく美青年だが、話し始めると実年齢より遥かに年下に思える。


 それには理由がある。かつて巨人族は精霊達に逆らった一族であり、その純血の末裔であるイーサはロキよりも昔からこの白氷牢塔に囚われ続けていた。外の世界との交流もなく、話し相手もいなければ究極の世間知らずになるのは必然だろう。


 初めの頃は巨人族への恨みを持つ精霊達による虐待もあったらしいが、ミトラが精霊の女王になってそれらの行為はすぐに禁止された。事情により白氷牢塔からの解放こそ出来なかったが衣食住はきちんと保証され、牢塔内は自由に歩くことができるようになった。


 イーサいわく、「本当にいい時代になったね。昔は色々辛かったんだよー」とのことだ。


「お腹空いたね。食堂まで食べにいこっか」


「……ああ」


 ロキはイーサと共に食堂へと降りていった。なんだかんだ言って、独りだったロキには彼の存在は有り難かった。そして多分、これからも。


 **


 一方その頃。


 シュリ達は緑と花の街イーグレーンを目指して鉱石船「セーレイズ」の船上にいた。鉱石船は自然界に満ちる自然素マナを媒体となる石に宿すことで動力にし、海を駆ける不思議な船だ。ジェンティアでも自然素マナの科学活用の研究は行われてはいるが、まだ始まったばかりで実用化には至っていない。主な理由は媒体の方の研究が遅れていることと、高純度の石が入手しにくいことにあると言われている。


「すごいわ。そして速度も速い。自然素は廃棄物を出さないエネルギーだし……環境にも優しいのね」


 船上のベンチに座り、鉱石船のパンフレットを見ながらクルクは目を輝かせている。


「この旅が終わったら媒体の方の研究をしなくちゃ……そして生きてるうちにジェンティアでも鉱石船を走らせてやるわよ! ……まずは自然素と媒体用の石の石素相性を調べて……」


「クルクはすっかり研究者モードだね」


 マトリは左手にソフトクリーム、右手にクレープを持ってその様子を微笑ましそうに見ている。そして辺りに誰もいないのを確認してから左手のソフトクリームを彼女に差し出した。


「はい、これ。セーレイズ限定販売のマリンソフトだって」


「わ……綺麗な水色……ありがとう。あ、お金は払うわ」


 そう言って財布を捜し始めたクルクを、


「いいよ。これはおごり。感謝してるんだ。俺も堂々と甘いものが食べられるようになったからね」


 マトリはそう言って制し、クルクの隣に腰を下ろした。


「……マトリってなんていうか……海が似合うわよね」


 海の様な群青の髪に、白い服、赤いバンダナ。瞳は紫と海の色。見た目と性格は爽やかな潮風のような。


 口には出さないけれど、クルクは心の中でそう思った。


「そうかな?俺の住んでいたところも確かに海には近かった……いや、海に浮かぶ島だったけど」


「……口にチョコついてるわよ」


「え」


 クルクはハンカチを取り出すとマトリに渡した。セーレイズ限定販売でイルカの模様が刺繍されている。


「それ、マトリに似合うと思って。……べ、別に変な意味はないわ。ただ……いつものお菓子のお礼!じゃあね!」


 クルクは頬を染めながら早口でそう言うとその場を立ち去った。


「……律儀だなあ。」


 ひとり残されたマトリは手の中のハンカチを見ながら微苦笑した。


 **


「着いた!緑と花の街イーグレーンだよ!」


 精霊界ソウルエームの東部、アールタラから海を隔てたさらに東の大陸の北部に緑と花の街イーグレーンはある。 一年を通じて温暖な気候であり、それを活かした花や植物の栽培が盛んなことと、石畳の街のあちこちに花壇があり、住宅のテラスやバルコニーにも花がふんだんに飾られていることからこう呼ばれるようになった。


 イーグレーンの南部にはホッドミミルの森があり、森の精霊であるドライアードが聖樹である『時計樹』を守りながら花の栽培で生計を立てて暮らしている。


「……のわりには花が少ない様な気がするんだけど……」


 シュネルに言われて改めてシュリは周囲を見回す。花の盛りの季節だというのに咲いている花はまばらだった。


「……本当だ。おかしいな。イーグレーンのシンボルの花時計も動いてないみたいだし……」


「貴方達、旅の人?」


 花時計を覗き込んでいるシュリ達にひとりの少女が声をかけてきた。


 明るい茶色の髪にビリジアンの瞳。木の蔓で作られた髪飾りや装飾は彼女がドライアードであることを示している。年齢はシュリ達とあまり変わらないように見えた。


「そうなんです。貴方は?」


「あたし?あたしはプロミネ。見てわかると思うけどドライアードよ。ここには調査のために来たの」


「調査?」


「貴方達も見たでしょ?この街の花がほとんど咲いてないってこと。シンボルの花時計も時計樹と連動して動かなくなってたし」


 プロミネの言葉にシュリ達は頷く。


「今、時計樹と連動って言ったよね。じゃあ『時計樹』に何かあったの?」


 シュリの問いにプロミネは頷き、深いため息をついた。


「そうなの。『時計樹』は私たちドライアードの聖なる樹。そしてただそれだけじゃないわ。『時計樹』というのは緑<シカイ>のマナの要。見た目はただの樹みたいに見えるけど、内部に巨大な砂時計のようなものがあって、絶えず回転することによってホッドミミルの森のマナを循環させているのよ。だからこのイーグレーンに咲く花は精霊界で一番美しいとされているの。そして花が枯れたのはその循環が止まったから」


「話はわかったけど……動力は何なの?」


 クルクの問いに、


「鉱石船に乗って来たんでしょ?動力的にはまったくそれと同じよ。ただ比べ物にならないほど大きいけどね」


 プロミネはさらりと答える。


「じゃあ鉱石を媒体にしてマナを宿してるってことなのね。マナによってマナを循環させる……そしてそれが止まるということはマナの枯渇が起こったということ?」


 クルクの言葉に彼女は驚いたように目を丸くする。


「驚いた。貴方鉱石船の仕組みを完全に理解してるのね。学者さんかなにか?」


「そうね。あたしはクルク。学者といっても差し支えはないと思うけど」


「そうなんだ。じゃああたしはラッキーだったね!」


 プロミネはそう言ってクルクの手をがしっと握った。その力は思いのほか強い。


「あたしね、一応ドライアードの中では高い身分で、時計樹にゆかりのある一族らしいの。だから時計樹の調査を任されたんだけど……」


 彼女は鞄から古びた文献を大量に取り出してクルクに手渡す。


「正直知識はさっぱりなのよね。辞書を見てもまったく解読できなくて。でもクルクやシュリ様がいるなら心強い!」


「ちょっと……は、話が急すぎませんか?」


 戸惑うアルヒェやシュネル、マトリをよそに、


「凄いわ……精霊界の文献をまさかこの目で見れるなんて!これは……精霊言語で書かれてるようね!」


「わかった。精霊界の一大事は私にも無関係じゃないし、協力する!」


 シュリとクルクはすっかりその気になっている。


「……えっと……協力しようか?アルヒェ、シュネ」


 アルヒェとシュネルはマトリの言葉に仕方ない、と言ったように頷いた。


 こうしてシュリ達はプロミネに協力することになり、クルクの文献の解読が終わるまでイーグレーンのホテルに滞在することになった。


 **


 一方その頃。


「ザリチェとタルウィはおるか?」


「スカアハ様、ここに」「は、はい。い、います」


「熱と渇きを司るおぬしらにはおあつらえむけの仕事じゃ。ホッドミミルの時計樹、その中にある界軸石を狂わせろ。守護者であるドライアードはおぬしらの属性には弱い」


「はっ」


 ザリチェと呼ばれた紅い髪の女悪魔は疑うこともなく命令に従ったが、タルウィはおずおずと質問をする。


「あ、あの。あくまで……狂わせる、んですか?壊しちゃ……だめなんですか?」


 タルウィの問いにスカアハは笑う。


「そうじゃな。おぬしらの力なら壊すのは容易じゃろうて。ただ、界軸石というのはその名の通り世界のマナの要じゃ。精霊界にも人間界にもあると言われるが…… それを壊してしまうとこの世界からマナが消え失せてしもうて、我らにとっても都合がよくないのじゃ。全ての生き物はマナから成っておる。わらわたちも同じじゃからな」


「は、はい。よくわかりました……ぶしつけな質問を……す、すみませんでした……」


 タルウィはそう言うと恥ずかしそうに袖で顔を覆う。


「何、謝る必要はないぞ。疑問に思うことを素直に聞くのは大事なことじゃて。知識はいくらあっても邪魔にはならぬ。ましてや我らは世界の支配者になろうというのじゃ。 それにはこの世界を知っておくことも不可欠じゃろう。人間界ジェンティアも含めて、な」


 スカアハはそう言ってタルウィの頭を優しく撫でる。


「では、行って参ります」「い、いってきます……」


 ザリチェとタルウィが任務に向かった後、タナトスはスカアハの居室を訪ねた。


「タナトスよ。『彼』の様子はどうじゃ?そしてその『彼女』は?」


「どうもこうも……『彼』はまだ傷が癒えてはいません。意識さえ戻っていませんから。『彼女』の方はずっと彼のそばに付き添っています」


 タナトスの言葉にスカアハは小さく頷く。


「わかった。なに、まだ実戦投入は先の話じゃ。恐らく今は動けずにいるリヒトとフィンスとやらが回復した後になるじゃろう。 あせらずに傷を治せ。そうでなくてはディアンが研究しているという融石魔術も試せんじゃろう?」


「わかりました。『彼』と『彼女』は私が責任を持って回復させましょう。しかし人間というのは残酷ですね。このふたりは『月の子ども』であるだけでこのような致命傷を『銀月の騎士』と名乗る者たちから負わされたのです。私はこの瞳で見ました。ふたりとも何もしてはいなかったのに……」


 タナトスはそう言うと哀しそうに睫毛を伏せた。


「……人間とは昔から変わらぬ。自分と違うものを差別し、下に見て蔑み、力で押さえつけて優越感にひたる。そういう存在じゃからな。 そうでなければ10年前の『異端狩り』などはとてもできまい。闇精霊のわらわが言うのも何じゃがな……あれはさすがにやりすぎじゃ。無実の者がどれほどいたか」


「スカアハ様……」


「すまぬな。歴史をひもといていたら出来事に感化されてしまったようじゃ。どのみちわらわがしようとしていることも無実の者を巻き込み戦乱を起こすことなのに……もしも『心喰らい』という現象の原因がそうじゃとするならそのために何かを犠牲にしてでもそれを止めねばならぬだろう」


 スカアハはそう呟くと疲れたように目を閉じた。


「……すまない、話しすぎたようじゃ。わらわは少し眠る」


「はい。では私も下がらせて頂きます」


 タナトスは一礼をすると、スカアハの居室を後にしたのだった。



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