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陸の章 タザワ湖の龍神姫

【ゴザノイシ神社】は()()()()にすると『石に座る』という意味になる。

 社名の由来は、はるか昔にアキタ一帯を収めていた藩主が湖を訪れた際、境内のまるで畳のような平石に腰掛けて休んだ逸話に起因しているそうだ。

 拝殿正面の垂れ幕や入口の石柱に掘られた『扇に日の丸模様のマーク』はその藩主一族の家紋で、現代に至るまで信仰が代々受け継がれている証明だろう。


 神社の御利益としてはご神体が『美の女神』である事にあやかり美容と健康関連。

 美を追求した理由が婚活であったことから恋愛成就、また龍神でもあることから開運厄除けにも効果があるとされている。


「すいません、この神社の御神体である龍神にお会いしたいのですが」

 観音様の力によって疲労感の吹き飛んだ足で神社の石階段を軽快に駆け上がり、御守りの販売や御朱印の受付をしている社務所を訪れた。


 夕方に差し掛かろうとしている今の時間は参拝客もはまばら。

 社務所内に居る若い女の子たちは、まったりした様子で業務にあたっていた。

 髪型や基本的な服装は統一されていて如何にも『巫女さん』って感じだが、袴の色だけが人によって赤や若草色をしている。

 何か意味はあるのだろうか?


「ようこそお参りくださいました。龍姫様の像でしたら……」

 俺に声をかけられた巫女さんは丁寧に頭を下げると、カウンターの下から境内のマップを取り出した。


 イラスト風マップを見るに、この神社は山の斜面に沿う形で建造されている。

 上の方には参拝者のために美容メニューを取り揃えた茶屋や、件の龍神が人間だった頃の姿を模した石像。

 有料エリアには龍の神霊へと変身するきっかけとなった『泉』があるらしい。


 石像は、自分の美しくなりたい部分を撫でると良いとされ、泉の湧き水はデトックス効果があるとされている。

 ただ生憎、どちらも俺には無縁。

 美容に金をかけるなら、俺は食事や娯楽にお金を使いたい派だ。


「あー、そうではなくてぇ……」

「あ、黄金像の方ですか? それでしたら神社を出て県道三九号を走っていただいて、途中三叉路がありますが、そのまま湖沿いを進むと見えてきますよ」


「い、いや、そのぉ……、像ではなく、()()()()……」


「………はい?」

 言っている意味が解らないのだろう、巫女さんは怪訝そうにしている。

 後ろのテーブルで作業していた巫女さんたちにも俺の発言は聞こえていたようで、ヒソヒソと何かを話し合っていた。


 そりゃそうだ。

 幽霊の存在が『当たり前』になっている時代とはいえ、知りうる限り神霊や仏神の存在は流石に認知されていない筈。

 もし知られていたら、もっと世界中で大騒ぎになっている。

 まして髪の毛ボサボサで無精髭のおっさんが突然こんな事を言い出したら、普通は警戒するし相手の精神を疑うだろう。

 霊感ゼロで幽霊がまったく見えず、小学生でも使えるレベルの魔術すら装置なしには扱えない人間がそれを言っている点も、皮肉以外の何物でもない。


 だが神も仏も確かに実在する事は、俺が誰よりも、身をもって知っている。

 俺は「ちょっと待ってくださいね」と前置き、背負っていたリュックを体の前に回して、メイン荷室のジッパーを開いて社務所側に向けた。

 妙なことを口走る男がそんな事をすれば、否応なしに注目が集まる。


「――お勤め中に失礼つかまつる。我ら龍姫にお目通り願いたく参った次第。お取次ぎを」

 リュックから頭を出した招き猫――すなわちトヨを見て、対応していた巫女さんだけでなく、社務所内に居た巫女さん全員が驚きのあまりひっくり返っていた。


—————————————————————————


 巫女さんたちの混乱が取り敢えず収まってから三〇分ほど。

 境内の喫煙所でタバコを吸いながら待っていると、男性の神主が車で駆けつけてきた。


「大変お待たせしました。当代の宮司兼神主の、サタケと申します。本日はようこそお参り下さいました」

「お忙しいところ失礼します。作家をしている平賀です。わざわざお時間いただき有難うございます。いやぁ綺麗な神社ですね、本格的な紅葉の時期ならさぞ壮観でしょう?」

「えぇ。周囲の山々も一面、まるで絨毯のように赤や黄色に染まり、湖面に反射する様は観光客にも大変人気ですよ」

 

 社会人らしく、名刺交換を終えての軽い世間話。

 聞くところによると休憩中だったそうで、巫女さんからの連絡を受けて超特急で戻ってきてくれたそうだ。

 神社の仕事は年中無休。

 まして『宮司』ともなれば日々の勤めもあるから休みもない。

 そんな毎日の貴重な休憩時間を邪魔してしまったことが申し訳なかった。


「とんでもない! 他所からのとはいえ、神自らが御出ましにとあって駆け付けない理由がありません」

「あー……、やっぱり『神様』とかが実在するってのは、関係者にとっては周知の事実なんですね?」

「いえいえ、全ての寺社仏閣でという訳ではありません。【イセ】や【イズモ】といった大きくて有名な神社でも、意思の疎通ができるレベルで顕現される事は先ず在りませんし、その事実を知る者も限られています。行政はある程度ある程度把握しているようですが、それでも『神秘性』が損なわれることで信仰に影響を与えてしまいますので、基本的には口外も制限されています」


 なるほど、巫女さんたちがトヨを見て盛大に驚いていたのはそういう事か。

 しかしそうなると……、俺たちの行動って結構危ういことだったのでは?


「あ、平賀さんは『カミツキ』という立場ですし、大明神さま御身が望んで顕現されているとなれば問題ありません。……それで、大明神さまは何処に?」

 サタケさんは周囲を見回し、見当たらないトヨの所在を訪ねる。


「あ、あぁ~……」

 トヨの居場所を聞かれ、俺はますます申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 タバコの煙を嫌ったトヨは今頃、上の茶屋で巫女さんたちから持て成しを受けている。

 ご厚意から無償提供された団子や饅頭を、一切の遠慮なく貪っているあの情けない姿を見せるのは何とも気が引けるが、かといって会せないのは本末転倒。

 はてさてどうしたものか……。


『――待たせたな、宮司よ』

 俺が思い悩んでいる間に、どうやらトヨの方から戻ってきたようだ。


 しかし声のトーンがいつもと違い、何やら神秘的なものを感じる。


「吾輩が、豊福招来猫多大明神である」

 階段の上の方から静々と降りてきたトヨは人の姿であった。


 ――驚いたことに、いつもの子供姿ではない。

 着物の柄や履物などは何時もと変わらないが、見た目の年齢が妙齢の女性に成長している。

 背丈は俺より頭一つ大きく、胸は見事に膨らみ、髪は艶やかな黒髪のロング。

 淡い口紅でほんのり色づいた唇が、色白の肌によく映えていた。

 暮れ始めた日差しの中、風に髪をなびかせながら現れた『女神』に、サタケさんは「際会(さいかい)に感謝いたします」とうやうやしく頭を下げた。


「龍姫様に、御会いしたいとの事で」

「うむ。可能であるか?」

「お呼びだてする事は可能に御座います。実際に顕現なされるか否かは解りかねますが……」

「御出座しにならないのであれば、それはそれ。頼むぞ、サタケ殿」

「はい、準備いたします。それでは巫女に案内させますので、下の鳥居の所でお待ち下さい」

 サタケさんは俺にも一礼すると、拝殿の方に駆け足で向かった。


「さぁ旦那サマ、参りましょう」

「………」

「……? 旦那サマ?」

「ッ! あぁ、悪い……」

 俺は思わず顔をそらした。

 それを不思議がって、トヨは如何したのかと俺の顔を覗き込んでくる。


 トヨ曰く、俺と彼女の間には『血の契り』とやらが交わされている。

 これは書いて字の如し、俺の血が、とある事がきっかけで彼女に分け与えられたからだ。

 その影響で彼女の人としての姿は、俺が最も『魅力的』と感じる見た目になる。


 あぁ、そうですとも。

 子供姿の時は倫理観と理性で抑えているが、今の大人姿のトヨは正直、超絶魅力的すぎる。

 こんな美女が俺を慕っていると考えると、気恥ずかしくてまともに直視できない。


「……ははぁ~ん♪」

 何かを察したようで、トヨがニヤニヤ笑いながら俺の前に回り込む。


「どうですどうです、この姿は! 美しいで御座いましょう? 魅力に富み、とても官能的で御座いましょう? 良いのですよ、我が身はすべて旦那サマの物なのです! さぁ、吾輩の胸に飛び込んで来て下さいまし!」


 ……前言撤回。

 言動がいつも通りで、やっぱりウザい。

 両手を広げて待ち構えるトヨを無視して、俺は巫女さんに案内を頼んだ。

 後ろの方で「ぞんざい⁈ ご無体で御座いますぅ‼」とトヨが地団駄を踏んで騒いでいる。

 その姿で言動が何時通りなのは、身内としてみっともないから止めてくれ。


—————————————————————————


 道路を挟んだ神社の向かい側。

 湖の波打ち際に建つ朱色の両部鳥居の下で座っていると、たちまち簡易の祭壇が設けられた。


 ただ『簡易』とはいっても鳥居を含めた周囲にはちゃんと目隠し用の陣幕が張られ、階段状の祭壇には三方(さんぽう)に乗せられた米や魚、御神酒、フルーツなどの供え物が乗せられている。

 最上段には花瓶に入った(さかき)、台座付き丸鏡もきちんと用意されている。


 サタケさんが先頭に立ち祝詞(のりと)を粛々とあげているが、その内容は素人なのでイマイチ解からなかった。

 恐らく龍神に対しての日ごろの感謝と『会いたがっている人が居るから出てきて下さい』的なことを言っているのだろう。


 祝詞を唱え終わって幣束(へいそく)(先端に紙垂が沢山ついた棒)が数回降られると、程なく鳥居の真上に前触れなく暗雲かたちこめ始める。

 ゴロゴロと雷も鳴りだし、風も強くなってきた。


『――貴様らか。わらわに直接挨拶しに来たという、殊勝ながらも身の程を弁えぬ者達とは?』

 頭を下げて待っていると突然、偉そう且つ極めて無礼な物言いをする声が周囲に響き渡った。

 前方がピカッと発光し、何かの気配を感じる。

 カチンッときたので声の主を確認しようと頭を起こしかけたが、座らせられた俺とトヨの両脇に控える巫女さんに「許可なく見てはなりません」と咎められて思いとどまる。


「お初に御目(おめ)文字(もじ)致します。当方【辰島】より参りました、名を豊福招来猫多大明神と申す商神で御座います。数日このアキタの地に留まる故、御挨拶に馳せ参じた次第……。御出まし頂きました事、恐悦至極に存じまする」

 両手をついて深々と頭を下げたトヨが、何時にも増してへりくだっている。

 こういう態度もとれるなら、普段からもっとちゃんとして欲しいものだ。


『ほぉ? わらわを気安く呼び出すとは、どこの馬の骨かと思ったが……。『播神(あだしくにのかみ)』としての立場をきちんと弁えているか……。褒めてつかわす。して……そこの見窄(みすぼ)らしく、貧相な人の子よ。貴様は何者か? 信徒ではないな、名乗れ』

「えぇ~……、平賀 學っていう、作家、です……」

 トヨに合わせて、俺もぎこちなく土下座しながら答えた。

 先ほどの物言いといい、ずいぶんな上から目線だ。

 内心ディスられてかなりイラっとしているが、観音様の『平常心で』という忠告を思い出してグッとこらえる。

 こちらとしても、変に機嫌を損ねて被害にあいたくはない。


『作家? 物書きとな? ‥成程『絶世の女神』であるわらわの美しさを聞きつけ、見目麗しき姿を現世に広める一助となりたいという訳か。そうであろう? やはり我が美貌は、この島に留まる器ではないな!』

「ほほほっ」と高笑いする龍神に合わせて、俺も「はははっ」と愛想笑い。


 まぁ取材旅行であることを考えれば、あながち間違ってはいない。

 それに経験上、こういう時は変に否定せず、とりあえず同意しとくのが吉だ。

 その方が相手は勝手に上機嫌になってくれるし、話もスムーズに進む。


『しかし、猫多よ? 其の方、商神と申す割に『神格』がまるで感じられぬではないか。危うくどこぞの低俗霊か何かかと見間違えたぞ?』

「お恥ずかしい限り……。賜りました御役目こそ商神ではありましたが、既にその信仰は潰え、多くの権能を失っております。消滅寸前だった所を、此方の學サマの『血』によって救われ、今は守護神、そして妻として、畢生(ひっせい)お仕えする身で御座います」

『……聞き違いか? 其の方『妻』と申したか?』

「はい」

『その見窄らしい、貧相な人の子と?』

「恐れながら……。學サマは身なりや日々の行儀こそ粗雑ですが、その内に秘めたる『真心』は我が身を捧げるに値する立派な御仁で御座います」

「……フォローする気があるなら、もうちょっとマシな言い方ないか?」

 褒められているのか貶されているのか判らない言い回しに苦言を呈するが、トヨは「事実ですので」と冷淡に言い放つ。


 悲しいかな、心当たりがあり過ぎてグゥの音も出ない。


「それに人と神の婚姻、()()()()()と存じますが?」

『確かに、ある。がしかし、自身で何を宣っているか理解しておるのか? その者、霊力が皆無ではないか。対する其の方は『大明神』の格を授けられた通り、出自自体は悪くないと見える。他の『神々』――何より『主神』が易々と許すとでも?』

「無論、承知の上。覚悟はとうの昔に出来ておりまする」


 そう言ってやや持ち上がったトヨの横顔は、とても真剣であった。

 結婚だ、妻だ云々はともかくとして……、神様が一人の人間を慕うことは、そんな表情をしなければならない程の心構えが必要な問題なのだろうか?


『――人の子よ。面を上げよ』

 暫し何かを考えていた様子の龍神からようやく許しが出たので、俺は下げていた頭を上げた。


『龍神』というからにはどんな厳つい姿かと思ったが……、鳥居の向こう側――湖の水面に立っていたのは、ビックリするくらい普通の少女だった。

 服装はトヨに近く、頭部からは立派な龍の角が一対生えているが、着物の装飾や色はずいぶんと地味。

 見た目の歳は二〇代前半くらいだろう。


 俺にとっての最適解の姿であるトヨを除外したとして、自称していた『絶世の女神』かと問われると……、正直、観音様の方が遥かに綺麗だし、もっと美人な人を見たこともある。

 こう言っては何だが、時代劇に出てくる『村娘A』といった感じで、モブ感が強い。


『おい人の子……、美の女神であるわらわを前にしながら、何やら無礼極まりない事を考えてはおらぬか?』

 龍神少女が眉間にしわを寄せ、俺を軽蔑するかのようなまなざしを向ける。

 角の間ではパチパチと稲妻が走っており、距離がある筈なのに肌がピリピリする。

 本能的に危険を察知して「トンデモゴザイマセン!」と取りつくろうが、龍神少女は『フンッ! 元より貴様のような下郎の鑑識眼(かんしきがん)など期待しておらぬ!』と吐き捨てた。

 これでも一応作家兼、アンティークとかを扱う古物商なんですけど……。


「あー……、それで? 俺に何か?」

 気を取り直し改めて訊ねる、龍神少女は『一つ問う』と神妙な面持ちで俺を向き直った。


『今しがたの猫多の言葉――覚悟を聞いて、貴様はどう思う?』

「どうっと言われましても……。トヨと会ったのは不可抗力で、出会ってからは利益よりも不利益の方が多いですし……。妻だ何だってのも、一方的に言われてるだけで、俺は、その……」

『えぇい、御託を良い! 男ならはっきり申せ!』


 龍神少女が怒鳴ると同時に空がピカッと光り、轟音と共に湖へ大きな雷が落ちた。

 その衝撃で大きな水柱が上がり、周囲の木々が激しく揺れて祭壇も吹き飛ぶ。

 俺も思わず尻もちをつきそうになるが、すかさず立ち上がったトヨに支えられ、何とか踏みとどまった。


 控えていたサタケさんや巫女さんたちがオロオロとして、龍神少女に落ち着くように懇願しているが、龍神は彼らを無視。

 俺を指さし睨みつけた。


『わらわは美を司ると同時に、その権能は『恋愛成就』じゃ。神と人いう立場を抜きにして、女子(おなご)に此処まで言わせておいて貴様はなんとも思わぬのか⁈』

「……それ、言わなきゃ駄目ですか?」

「次は真上に落としてやろうか? 神として命ずる、貴様の想いを答えよ」


 頭上に強いエネルギーを感じる。

 単なる挨拶だけの筈が、思わぬ方向に話の趣旨がズレてきた。

 しかもこのムード、俺がトヨをどう思っているか話さなければ収まらないらしい。


 トヨをチラッと見て後頭部を掻き、気恥ずかしさを押して口を開く。


「……そりゃまぁ、嫌いだったら一緒に居ませんよ。昔ちょっと色々あって精神的に不安定でしたけど、トヨが居てくれたお陰で立ち直るきっかけは出来ましたし。日ごろ身の回りの雑務もろもろ引き受けてくれる事も感謝しています。その気持ちに嘘はないです。好意を向けられていることも……、まぁ悪い気分は、しない、です……」

「だ、旦那サマ!」

 俺の言葉に感動したのか、トヨが満面の笑みを浮かべて体を震わせている。


 ヤバい、言ったことは本心ではあるが、恥ずかしくて死にそうだ……。

 ましてサタケさんたち神社の関係者の前でこんな宣言をさせられて、平気なわけがない。


『初めから素直にそう言え。難儀な男よの』

 稲光が収まり、表情を緩めてからかうように笑う龍神少女。

 失礼なことを考えたことは謝るから、これ以上掘り下げないでほしいと土下座する。


『そうはいかん。『神』の一柱として、貴様と猫多の関係を許すには相応の『(こころざし)』と『試練』を要する』

「別に、誰かに許してもらう様な事じゃ無くないですかねぇ……?」

 羞恥で顔を上げられない俺に『貴様らの為を思って言ってやっているのだ』と龍神少女は急にまじめなトーンで言う。


『何の霊力も持たぬ『無能者』が、神と共に歩みたいというのならば、貴様は今後、多くの神霊から認められねばならぬ。最後には『主神』にもな』

「多くって、どれくらい?」

『決まっておる、八百万(やおよろず)の『神々』だ』

「や、ヤオヨロズ……」

『飽くまで比喩だ。が、それだけ多く労が必要なのは事実。一朝一夕の努力では務まらぬものと心せよ』

「励みましょう、旦那サマ!」

 トヨは目を輝かせて俺の手を取る。

 俺はすでに心が折れそうだよ……。


『先ずはわらわの『御墨付き』を勝ち得てみよ。『志』は既に示された。残るは『試練』のみ』

「何なりとお申し付け下さい! 必ずやご期待に応えて見せます!」

 やる気に満ち満ちたトヨは、胸に手を当て一歩前に出る。

 その様子に龍神少女は『意気込みや良し』と頷いた。


『成れば其の方らには、この地より北北西――アキタの淵にある半島を調べて貰う』

「北北西にある半島……。【オガ半島】の事ですか?」

 俺の指摘に龍神少女は『然り』と答える。


『オガの地は我が対である『神』が収める土地だ。普段互いの近況は、使者に託した文でやり取りをしておる。ところが最近、奴からの便りが滞り、時を同じくしてオガの方角から不穏な気配が発せられるようになった。例年、冬の前にはわらわの元に駆け付ける筈が、今年は未だその兆候もない……』

「無関係ではないと?」

『わらわは、この地を離れることは出来ぬ……。故に、其の方らにはかの地に赴き、奴の無事を確認してもらう。それが叶った時、我ら夫婦の『御墨付き』を授けて進ぜよう』


 さしずめ『単身赴任中の夫の身を案じる妻』と言ったところか。

 神様も文通ってするんだな……。


「お任せ下さいませ! 必ずやご期待に応え、オガの地の不穏な気配の正体も暴いて見せましょう!」

『うむ。……人の子よ、此処に立て』

 呼びつけられたので戸惑いながらも言われるがまま、俺は波打ち際ギリギリに立たされる。


 龍神少女は湖面から滑るように移動。

 目の前に迫ると俺の額に指を置く。

 何をされるのかと思わず身構えるが、龍神少女は『じっとしておれ』と呆れるように俺をなだめた。


『――龍神の名において『印章』を与える。このアキタに留まる間、印が其方を護るだろう』


 不意に、額に強烈な熱を感じ思わず仰け反った。

 まるで額に熱せられた棒でも押し当てられたかのような感覚。

 流石に腹が立って文句の一つでも言ってやろうと思ったが、額のヒリヒリは直ぐに収まった。

 あれだけ熱さを感じたというのに、嘘のように何ともない。


『では期待しておるぞ猫多。そして、平賀よ――』

 動揺する俺を無視して湖に戻った龍神少女の全身が眩しく発光。

 そのまま閃光となって空に飛んでいく。


 光りで眩んだ視界が元に戻るころには、龍神姫の姿は既に湖から消えていた。

 雷雲もすっかり消え失せており、当たりはすっかり黄昏時を迎えていた。

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