肆の章 心血注いだ物語は、誰の心を震わせる
シャトルバスに乗ってボーッと窓の外を眺めていると、不意に森を抜け、アキタの盆地が現れた。
その光景はまさに圧倒的。
降り注ぐ太陽光に照らされて、黄金色の絨毯が風で波打っている。
すべて収穫を控えた稲穂だ。
流石『お米の名産地』という看板に偽りなし。農家の住居であろう建物よりも、田んぼの方がはるかに多い。
これほどの規模ではないにしても、大昔――二ホンが今の群島国家ではなく『列島』だったころは広い土地があったので、秋になると全国各地でこういった営みが見られたのだろう。
はるか昔には二ホンを【黄金の国】と称したイタリア商人が居たそうだが、何も当時の金鉱石産出量だけを例えたのではなく、こうした光景を見たからなのもしれない。
「本日のご予定は、すでにお決まりなのですか?」
暫しアキタらしい情景に見とれていると、抱えていたリュックの大口から、招き猫姿のトヨがひょっこり顔を出した。
人の姿、ましてや分裂状態ではバス代が三人分もかかってしまうので根付に戻るよう言ったのだが
「それでは旦那サマの温もりが感じられませぬぅ!」
と駄々をこねた末に招き猫でリュックに収まった。
「初日は宿までの移動がメイン。村井君が手配してくれた、ここから北東にある【タザワ湖】って湖の近くにある温泉付きホテルだ」
「ほぅ!【田沢】と申されましたか⁉」
トヨが「これは好都合!」と言うので、どういう意味か訊ねる。
「田沢の潟は、その一帯を統治する『龍姫』が住まう地に御座います。そこに足を踏み入れるとなれば、此方から社を参拝し、拝礼するのが礼儀。『我々に敵意は無い』と示すのです」
「敵意って……、随分と穏やかじゃないな。参拝しなかったらどうなるんだ?」
「最悪、外界からの侵略――簒奪者とみなされ、それ相応の報いを受ける事となるでしょう」
トヨは目を細め、いつになく真剣な雰囲気で俺を脅す。
ただ俺は、彼女の表情というより『報い』という言葉に思わず背筋がゾクッとした。
曲がりなりにも神霊であるトヨがそう言うのだ、比喩ではなくガチなのだろう。
事前に読んだ観光ガイドの情報からして、トヨのいう龍姫とは恐らく、湖の畔に建つ【ゴザノイシ神社】で祀られているという『龍神』の事を指しているに違いない。
信仰の喪失で正式な『神』としての地位を失ったトヨの『神通力』ですら家があちこち吹っ飛ぶのに、現役で祀られている神様の力を向けられた日にはどんな目に合うか……。
これは是が非にでも神社による必要がありそうだ。
「神を模して造られた存在が『人』。その人々が歴史上幾度となく戦に明け暮れたように、神もまた信仰や領地を巡って諍いが絶えない……。因果なもので御座いますな。吾輩のような商を司る神には実に非生産的で、理解できかねます」
呆れたように両手の平を上に向け、トヨはかぶりを振った。
まぁ戦争する奴の気が知れない点は俺も同感だが、それ絶対に龍神本人の前で言うなよ?
それこそ喧嘩売ってると誤解されかねん……。
「……ん? でも湖周辺は『禁足地帯』とかじゃなくて普通に観光地だから、人の往来はめちゃくちゃあるよな? 全員が全員、神社を参拝する訳じゃあないのに、人に被害が及んだ話なんて聞いた事ないぞ」
「それはそうです。領地を荒らす不信心の徒ならいざ知らず、人々の信仰あっての我々。これはあくまで神霊同士の話で御座います」
「……つまりなんだ? お前が一緒に居る所為で、俺は他所の神様にまで目を付けられるって訳かよ……」
「ご安心ください。通すべき筋を通せば、むしろ氏神との『縁』を紡ぐ事が出来ます故。そうすれば旅の安全は約束されたも同然。それに万が一、旦那サマに危害を加えようものなら、吾輩が全身全霊で御護りいたす所存!」
身を乗り出して俺の鼻先に迫ったトヨを、俺はグッと押し戻した。
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『タザワ湖共栄プラザ前、共栄プラザ前でございます。お降りの方は、降車ボタンにてお知らせください』
「吾輩に! 是非とも吾輩に押させて下さいまし!」
トヨは両手を目いっぱい伸ばして天井の降車ボタンを押そうとする。
俺は「はいはい……」と呆れつつ、トヨを赤ん坊よろしく持ち上げてやる。
「おぉー、これはこれは……。病みつきになる感触で御座いますなぁ~」
「子供か……」
何ヶ所かの下車地を経由して二時間ほどの乗車時間。
バスは湖に面した、やや寂しい雰囲気を醸し出す土産物店の駐車場に停車した。
紅葉にも、スノーレジャーにも早い季節のためか、ただっ広い駐車場は閑散としていた。
その一方でツーリングには最適な気候と季節なようで、バイクや自転車専用の駐輪スペースは満車状態だった。
交通系ICで決済を済ませてバスから降りた瞬間、すきっ腹を刺激する芳ばしい香りに襲撃され、思わず出処を探す。
見れば土産店の出入口すぐ横に建つ小さい売店で火が焚かれており、そこに味噌や醤油を塗られたきりたんぽや団子、塩を振られた川魚が串にささって炙られていた。
視覚、嗅覚に加えてパチパチと炭火が爆ぜる音、三重のシナジー効果は抜群。
さながら常夜灯に群がる夜虫が如く、自然と売店へ足が向いていた。
売店の大きさは標準的な物置くらいの屋台。
ずいぶんとヒマなのか、中ではくたびれたキャップを被った女性販売員が一人、椅子に深く腰掛け本を読んでいた。
俺を一瞥して存在に気付いた販売員は読んでいた本を閉じると、面倒くさそうに鼻で息を吐きながらゆっくり立ち上がった。
「どうだい兄っちゃ? 焼げでらよ」
アキタ訛りのある口調で商品をいじる販売員の表情は、俺も人のことは言えた義理ではないが、笑顔一つなく不愛想。
退屈で仕方がないといった感じだ。
言葉を選ばずに言ってしまうと『死んだ魚のような表情』をしている。
しかし焼き目の付いたきりたんぽがクルッと回された途端、ふわっと鼻腔をくすぐる旨そうな香り。
口の中に唾液がみるみるたまり、接客態度などどうでも良くなって財布に手が伸びた。
――が、掲げられた値札を見て一気に冷静になる。
一串の値段設定がなかなかの強気。絵にかいたような観光地価格だ。
三種を一本ずつ買ってしまえば、都内でちょっと良いディナー食べるのと変わらないぞ……。
「旦那サマ、何を迷っているのです! 間違いなく食べ頃で御座いますよ!」
財布を握って値札を凝視する俺に堪えかね、誘惑に負けたトヨがリュックから飛び出した。
ヨダレを垂らしながら俺の頭をパシパシ叩き『早く買ってくれ』と促してくる。
本人が言っていた事だが、本来トヨを含めて神霊の活力は『信仰心』といった精神的な物であり、物質的な食事はしなくてもいっさい問題ない。
しかし初めて『食事』をしてから文字通り味を占めてしまい、舌の肥えた今では旨いものを飲み食いすることにすっかりハマっている。
食に目覚めたきっかけが賞味期限切れの素ラーメンだったんだ、そりゃ何を食べてもうまかろう。
「この国には古くより『身土不二』という考えがあり、これは『心身』と『土地』は決して切り離せないという思想で御座います。地物はやはり、その地で食してこそ価値がありまする!」
「尤もらしいこと言って、単純にお前が食いたいだけだろに?」
「うぅッ! ……し、しかし! 地物を食す事は、謂わばその土地と一体になること! この地を参考に書をしたためるのであればこそ、今、食すべきです!」
「やれやれ……」
と呆れつつも、その実、空腹も相まって俺も唾液が止まらない。
せっかくの旅グルメ、確かに楽しまなくちゃもったいないか。
「すいません、この団子ときりたんぽ、あと魚を一つずつ、……?」
何本も焼かれている中から直感でチョイスし指で示したのだが、販売員が動かない。
どうしたのかと目線を上げると、販売員は俺の頭上で舌なめずりしながら両手をすり合わせるトヨを見て、目を丸くしていた。
そこでようやく、俺はハッとする。
そりゃそうだ。
瀬戸物である筈の招き猫が、喋りながらぬるぬる動き、あまつさえヨダレを垂らしてはしゃいでいるんだぞ。
俺にとってはすっかり当たり前でも、他者から見れば仰天するに決まっているではないか。
「あ、いや! コイツはそのぉ……」
ヤバいな、どう説明する?
馬鹿正直に『神様です』なんて説明したところで、正気を疑われるし余計に混乱させるだけだろう。
ここは『恐ろしく精巧な最新鋭ロボット』というくらいが妥当だろうか?
「刮目せい人の子よ! 吾輩の名は商神 豊福招来猫多大明神である! そして此方におわすは、我が夫の君。平賀 學サマであらせられるぞ!」
俺の上から颯爽と飛び降りたトヨは、会計カウンターの上に降り立って仁王立ち。
この化け猫め、余計なことを……。
神様宣言されては、もう誤魔化せないではないか。
「我ら縁あってこの地に赴いた。其方の作りし馳走、しかと味合わせて貰う」
「――ッ⁉ 『ヒラガ』って……、あのファンタジー作家のヒラガ ガク⁉」
頭を抱えていると、何やら思っていたのと違うリアクションが。
トヨではなく、俺の方に反応している?
「あ、あのおい! あだのファンで‼ キウリ カリンっていうす!」
販売員キウリさんはかなり慌てた様子で、屋台からつんのめりながら飛び出してきた。
直前までの仏頂面がまるで嘘のよう。
緊張と感動がせめぎ合っているのか、目を輝かせながら被っていたキャップを脱いで胸元でぎゅーっとねじっている。
目深な帽子と服装の所為で気が付かなかったが、まだ高校生くらいの女の子ではないか。
「ふぁ、ファン? 俺の?」
聞き間違いかもしれないので一応確認すると、キウリさんは「はい!」と元気に返事。
「あ、ああああの! サインいだだげるすか⁈」
屋台の脇に置かれたカバンからキウリさんが取り出したのは、日に焼けて表紙がだいぶ色あせた一冊のラノベだった。
「――良いですよ」
一瞬跳ね上がった心臓と感情を悟られぬよう、平静を装って本を受け取る。
表紙とタイトルを確認して、改めてソレが何かを視認。
やや喉に異物感を禁じ得ない。
作品タイトルは『アキハバラ裏街道 異世界道中記』。
著者名はこの俺、平賀 學。
しかも、よりにもよって、第三巻だ。
ここ数年の通院治療と人間関係、なによりトヨとの出会いによって、俺の心の病はずいぶん落ち着いてきた。
しかし、やはりそう簡単にトラウマは拭えないようだ。
一番精神を病んでいた頃にこの本を目の当たりにしていたら、発狂していても可笑しくない。
それこそ後ろに広がるタザワ湖にダイブしていたかもしれん。
ただ一方で、一〇年以上も前の著書をこうして持ち歩いてくれる人がいることは、なんとも面映ゆい。
「どこに書きます?」
「そ、んだな……、背表紙の裏にお願いするす!」
手渡されたのはまさかの筆ペン。
それも簡易ではなく本格的なタイプの物だ。
歳の割に中々古風だな。
そういえば一度だけ『サイン本』なる物を作ることになって、作家としてのサインを考えた事もあったか?
最近はサインなんて宅配便の受け取りか買い取り書類にする程度、それも『サイン』という名の単なる署名でしかない。
果たして、彼女が期待しているアーティスティックな物を書けるだろうか。
せっかくのファンサ、しゃれたメッセージでも添えてあげたい所だが……。
「時に人の子よ、何故旦那サマの作品を知り、惚れ込んだ?」
近くのベンチに腰掛け書く内容を思案している間に、会計カウンターに座るトヨはキウリさんと話している。
招き猫が喋っている事は、すでに気にならなくなっているらしい。
それはそれとして、確かに気にはなるな。
俺の名に反応したという事は、本名で活動した一〇代後半から二〇代前半の間の作品を知っているという事になる。
同じく俺のファンを公言する村井君でも歳は二〇代半ば。キウリさんでは、世代がやや合わない。
トヨの問いに、キウリさんは「最初の出会いは、学校の図書館だす」と答えている。やはり学生さんだったか。
「おい、生まれもおがりもアキタで、一度も白虎島がら出だ事がねんだ。娯楽っつっても、家で動画配信見るがゲームするぐらいしかねし、遊ぶ場所も全然ねぇ。かで言って、どごが遠ぐにえぐ勇気も無ぐ、毎日退屈だったんだす。んだども先生の作品読んでると、まるで自分が冒険さ出だみだいで、自分も外の世界見だぐなったんだす。バイトして金貯めで……、島がら出るのが目標だす!」
「うむ、存分に励め! やはり人は、夢と希望を抱かねばな!」
トヨは腕組みをし、感心した様子で何度もうなずく。
「あ、もぢろん、先生の本は全部読んでら! 一番好ぎなのは『箱猫DASH』だす!」
いかん……、こんなにも作品を褒められるのが久々すぎて、横で聞いてるだけでも顔や耳が熱くなってきた。
しかも『箱猫』とはこれまた……、最初期の作品ではないか。
そのころの作品から追ってくれていると言われて、喜ばない創作者はいない。
「おやぁ? 旦那サマ、お顔が緩んでおりますよぉ?」
いつの間にか俺の背後に回り、からかうように顔を覗き込んできたトヨの顔面を鷲掴み。
後方に投げ捨て、書き上げたサインをキウリさんに手渡した。
俺の名前である『學』という文字を崩したイラスト調のサイン。
添えたメッセージには、彼女が好きだという『箱猫』の作中に使ったセリフを引用した。
それを見たキウリさんは空にでも飛び上がらん勢いで大喜び。「ありがとうございます!」と頭を深々と下げた。
「苦しゅうない、家宝にするが良いぞ!」
いつの間にか人の姿で俺の隣に復帰してきたトヨは、腰に手を当てふんぞり返っていた。
「なんでお前が偉そうにしてんだよ?」
「妻です故!」
「あぁ、そうですか……」
得意げな表情で胸を張るトヨ。予想していた答えだけに、もはやつっ込む気すらおきん。
「むしろ、旦那サマは謙遜しすぎに御座います。旦那サマの書物には、人の『志』を突き動かす力があるという事。評価され、称えられたのならば、それを素直に受け取れば良いのです。旦那サマは、もっと自信を持ってしかるべきお方なのですから」
「……善処するよ」
多少俺に対するバイアスが上乗せされているが、まぁ曲がりなりにも神様の金言か。
そのアドバイスは心に刻んでおこう。
「――ところで」
頭を下げたままの姿勢で、キウリさんが上目使いでそう切り出した。
「最近はなんも書いでねんだすか? 先生の作品、この本出でがら、一冊も出でねようなんだすけど……」
どうやら俺が一度筆を折った事や、今は別名義で活動している事までは知らないようだ。
……まぁその辺は思い出すのも忌々しい。
事情を知らない若者に、ワザワザ話すような話題ではない。
「アレだすか? ご結婚したがら引退したどが?」
「あぁ、違いますよ? 色々あって、今は別名義で活動してるんです。あと、結婚もしてません。コイツが勝手に言ってるだけなんで」
俺の発言にトヨがいつも通り「に、にゃんとご無体な⁈」と抗議する。
「『血の契り』を交わし、寝所まで共にしたというのに‼」
「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇ‼」
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