弐の章 久しぶりの一人旅
二階部屋の修繕工事を翌日に控えたある日の事。
自室を失ったため一階の廊下で寝ていた俺は、端末のバイブレーションで目覚めた。
端末の画面には『3:30』の表記。
日もまだ登っていない。
室内の光源はキッチンでつけっぱなしにしている電灯くらいで、外からも船舶や車のエンジン音はほとんど聞こえなかった。
いそいそと布団を畳んで着替えると、階段下の納戸からあらかじめ用意していた馬鹿でかいリュックサック(キャスター付き)を引っ張り出す。
長らく使っていなかったが、手縫いで念入りに修理したベルトも健在。各種ストラップ、伸縮する持ち手の稼働にも問題なしだ。
リュックを背負い、胸元のチェストストラップを締めてヒップベルトも固定したら準備万端。あとは店側の出入口から出発するのみ、……なのだが、難所が一か所。
外出するにはどうしても、居間を――それも神棚の前を経由しなければならない。
廊下からこっそりと、姿勢を低くして居間の様子をうかがう。
トヨは招き猫姿で、神棚の座布団にどっしりと鎮座していた。
真正面を見つめる無機質な瞳と目線が合いドキッとしたが、俺の顔を見た割には無反応だ。
泥棒よろしく、音をたてないように忍び足。慎重に前を通り過ぎてから、試しにトヨの顔の前で手をヒラヒラと振ってみた。
「………寝てるか?」
小声で呟くかが、相変わらず虚無顔で微動だにしない。
どうやら意識はまだ眠っているらしい。
昨日の昼食後、不意にかかってきた村井君からの電話。
「明日のチケットとホテル押さえましたよ」といういつもの能天気な言葉に、俺はようやく取材旅行の件をトヨに伝え忘れていることを思い出した。
というか俺自身、二階の件でバタバタしていて旅行のこと自体すっかり忘れていた。
その後の夕食の席で伝えようかとも考えたが、トヨの性格的に話せば『連れていけ』と騒ぐに決まっていたので、結局、今回は黙って出発することにした。
せっかく息抜きなのに、彼女と一緒では気が休まらない。
家を数日とはいえトヨ一人にするのは不安ではあったが、工事の関係で店は臨時休業中だし、業者への対応の手順、要望も置手紙として残してある。
何かあれば電話して貰えばいいし、いざと成れば村井君も駆け付けてくれるだろう。
今は不安になるより、久々の一人旅を楽しもうではないか。
家のどこにいても来客が解るようにと、大きな音が出やすい引き戸が今日ばかりは憎らしい。
少しでも音が鳴らないよう、ゆ~っくりと慎重に戸を閉めて外側から施錠。
戸に耳を当てて中から物音がしない事を確認し、ようやく寝起きの背伸びと共に安堵の深呼吸を一つ。
『残暑』というにはあまりに居座りすぎた暖気の所為で中々紅葉していなかった街路樹もようやく変色を始めたようで、ゆっくりとだが冬の気配を肌に感じる。この時間帯だと一枚羽織る物が欲しいくらいだ。
夜道を黙々と歩き出しながら腕時計を確認。時刻は始発電車までまだ二時間以上もある。
しかし【トウキョウ駅】裏手の港から出る『空港行シャトル船』に乗るには、始発を待ってはいられない。何の嫌がらせか、始発電車の駅到着時刻が、ちょうど船の出航時間と同じに設定されているのだ。
俺がこんなにも早く家を出発した理由は、トウキョウ駅まで歩くためだ。
もちろんタクシーを使えばもう少し寝ていられるが、節約できる部分は節約し、現地で使えるお金を確保するのが俺流の旅。
最寄りの駅前に架かる【ヨツヤ見附橋】を渡り、【コウジ町】をずっと直進。
皇居のお堀に突き当たったら、あとは反時計回りに回れば良い。久しぶりの徒歩移動とはいえ、案外道は覚えているものだ。
もう出来ないと思っていた旅の始まりに、懐かしさから思わず笑みがこぼれる。
この大きなリュックを背負っての移動も数年ぶりだろうか?
コレにキャンプ用品を詰めて色々なところに行っていた二〇代の頃が歩くほどに思い起こされた。
……が、時間とは残酷なもので、流石に足腰の衰えを禁じ得ない。
着替えとネタを書き込む用のノートくらいしか入っていない筈なのに、すでにリュックの重みで足の裏や膝がやや痛くなってきた。
最近は定額制で二十四時間通い放題のジムなどもあるのだし、この旅が終わったら検討するとしよう……。
そんな事を考えながら、端末からラジオアプリを起動。同時にワイヤレスイヤホンのスイッチを入れた。
俺には旅をする際、ルーティンにしいる事がある。それは旅先のラジオ局を聴くことだ。
本来であれば実際にその地域に赴いてラジオの周波数を合わせる必要があるが、最近ではラジオアプリの登場により全国どこにいても聞きたいラジオ局を聞くことが出来る(課金は必要だが)。
全国放送を見越したテレビに比べて、ラジオは地元の人々に向けたローカル情報が多く、地域イベント、ラジオパーソナリティの喋り方などからその地域の風土なども感じ取れる。
これは事前知識としても、作品のネタとしても大変役立つのだ。
『……――の異常現象調査の為、政府は周辺を『霊障特区』として封鎖し、専門機関の派遣を決定しました』
ラジオはちょうどニュースを放送していた。
俺としてはまさに聞きたかった情報なのだが……、しかし『霊障特区』とは穏やかではない。
書いて字の如く、特区指定された地域ではオカルト的要因で人体に悪影響を与える事象が発生している事を意味する。
原因は様々で『悪霊化した幽霊』や『暴れまわる動物霊』、『コントロール不能に陥った魔術装置』なんかが定番。
俺としては『調子に乗った神様の暴走』ってケースを加えたい所だ。
国内外問わず発生する事象ではあるが、二ホンは国土が小さい島国な所為なのか、海外に比べて発生頻度や密度が多い。
非常に興味深いが問題は、具体的にどこで起こった事なのかを聞き逃してしまった事だ。
今聞いているラジオは東北地域をネットするラジオ局。目的地のアキタで起こってないといいんだが……。
いざ到着して『近づけません』って時ほど悲しいことはない。
ヒマな時にアーカイブ配信で確認しておこう。
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ラジオを聴きつつ、時折すれ違う皇居ランナーに道を譲りながら歩くこと一時間強。
白み始めた空の下に、豪華絢爛な建物がお目見えする。
皇居の真正面に位置し、赤レンガをふんだんに使って『ルネッサンス美術』を二ホン風にアレンジした、まるで一国の城を思わせるトウキョウの象徴の一つにして【二ホン】の玄関口。
【トウキョウ駅】に到着だ。
水陸を走る在来水上線や島々を横断する新幹線、そしてシャトル船が発着する港とも直結するターミナル駅で、恐らく国内では一番規模もでかい。
その歴史は『西暦』と呼ばれた古代から続き、外観のレンガや内部の天井絵は現存するものでは最古の歴史的遺物。休日には駅構内施設や外観を巡る解説ツアーも定期開催されている。
『駅ナカグルメ』のスポットとしても人気で、昔行きつけだった油そば店もココのレストラン街にある。
先ほど案内板を見たらまだ健在の様子、思い出したら無性に食べたくなってきた。
しかし、こんな時間ではもちろん営業してないし、はるばる徒歩でトウキョウ駅まで来たのも食事の為ではない。
本命は駅舎の地下から直結する【ヤエスフェリーターミナル】。駅はあくまで通過点だ。
これから乗船するのは高速船ではあるが、空港までは約一時間半の船旅となる。今のうちに朝食を買っておくとしよう。
エスカレーターに乗りながら下層を覗き見れば、既に多くの人が行きかっているのが見える。
フェリーターミナルのおにぎり屋やサンドイッチ店、弁当屋はこの時間からも営業しており、案の定、俺のように船内で食べようとするお客ですでに込み合っていた。
海外、異星からの観光客が圧倒的に多く、二ホン語がほとんど聞こえない。
『ここに二ホン人は、俺だけなんじゃないか?』と錯覚するほどだ。
特に混雑しているのが、二ホンを代表するソウルフードのおにぎり屋。
片手で食べられて腹持ちもよく、手も汚れにくいという点が大人気の要因だ。
一説によると、二ホン人の胃腸は小麦のでんぷん質よりも白米のでんぷん質を効率よくエネルギーに変換できるように進化をしているらしい。
小麦アレルギーの人でも食べられるエネルギー源なので米粉パンなんかもよく売れている。
さてさて……、あの人混みをかき分けて争奪戦を制する秘訣は、あらかじめ買うものを決め、それを目指して邁進する事。
どの角度から進入すれば、より効率的にたどり着けるかも考えなくては。
空腹度合いからして三つは欲しい。
一つはシンプルに塩むすび、それと好物である梅シソ、あともう一つは……。
『――鮭いくらにしましょう!』
「鮭いくらかぁ……。やや高いけど、せっかくだし悪くないか。……はぁ⁈」
いる筈のないトヨの声が聞こえて、ビックリして振り返る。
だが当然そこにトヨの姿はなく、後ろで同じように買うものを思案していたであろうサラリーマンがギョッとした様子で俺を見た。
「な、何か用ですか?」
目の前の男が奇声を上げていきなり振り返ったんだ、怪訝になるのも無理はない。
「あ、いや、その……、すいません……。何でもないで、」
「まもなく早朝分、完売いたしまーす! お求めの方はお急ぎくださーい!」
長蛇の列をレジであくせく捌く店員がそう叫ぶとサラリーマンはハッとして、しどろもどろしている俺を押しのけ店内へと駆けていく。
買い損ねるわけにはいかないと、俺も慌ててその後を追い人海へと飛び込んだ。
無策かつ衝動的に飛び込んでしまった故、案の定揉みくちゃになりながら、おにぎりを確保する羽目になった。
ただ目的の物はちゃんと手に入ったし、鮭いくらも何だかんだゲット。
偶然にも貯まっていたポイントが使えたので実質的な出費を抑えられ、しかも会計時のくじ引きでお茶も当たってかなりラッキーな結果となった。
しかし居もしないトヨの声が聞こえるとは、我ながら彼女に依存しているのだろうか?
彼女の居る生活が当たり前になってきたとはいえ、なんともまぁ……。
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