第8話「ベースとドラムが来ない、来た、怖い 」
凱が加入して三日が経った。
ベースとドラムが来ない。
張り紙は楽器屋だけじゃなく、CLUB NOVAの入り口にも貼らせてもらった。それでも電話がかかってこない。かかってきたと思ったら「ボーカルやりたい」だった。ZEROが即切りした。
「ベースとドラムって書いてあるやろ」
電話口でそれだけ言って、ガチャンと切った。
(ガチャン、て。)
現代なら電話を切るときは静かに終話ボタンを押すだけだ。でもここは1982年。受話器を置く音がでかい。怒ってる時はより一層でかい。
「張り紙増やすしかないな」
俺がそう言うと、ZERO、凱が同時に頷いた。珍しく意見が一致した瞬間だった。
翌日の放課後、三人で手分けして街中に張り紙を貼って回った。
楽器屋、レコード屋、CLUB NOVA、喫茶店、本屋の入り口。行く先々でお願いして、断られて、また次の店へ。自転車で街中を走り回った。
(これ、めちゃくちゃ非効率やな。)
現代なら五分で終わる話だった。SNSに投稿して、ハッシュタグつけて、拡散されるのを待つだけ。でもここは1982年。足で稼ぐしかない。
三件目の喫茶店で断られた帰り、凱が言った。
「お前、たまに変なこと言うな」
「え、何が」
「さっき『シェアしてもらえたら』って言ってたやろ」
(言ったか。)
「あ、広めてもらえたら、って意味で」
「なんやそれ」
「いや、なんか口癖で」
凱は怪訝な顔をしたまま自転車を漕ぎ始めた。危なかった。
ZEROは何も聞いていなかった。自分の張り紙の出来栄えを眺めながら「我ながらいい文言や」と一人で頷いていた。
(こいつは大丈夫か。)
結局その日だけで十二枚の張り紙を貼った。手が紙臭くなった。ふくらはぎが痛かった。
(現代ならスマホ一台で済んだのに。)
二日後の夜、家の電話が鳴った。
「もしもし、張り紙見たんですけど」
「はい、ベースかドラムですか?」
「ベースです」
「経験は?」
「二年くらいです」
「今度会えますか?」
翌日の放課後、CLUB NOVAの前で待ち合わせた。
現れたのは、丸顔の男だった。髪は短くて、見た目は至って普通だ。ギラギラした感じが全くない。今まで来た連中の中で一番普通の顔をしていた。
「岡田純です。よろしくお願いします」
丁寧だった。今まで来た連中の中で一番まともな挨拶だった。
(助かる。こういう奴が一人おると場が締まる。)
ZEROが値踏みするように眺めた。
「弾いてみて」
「あ、はい」
純はベースケースから楽器を取り出した。アンプなしの生音で、黙々と弾き始めた。
悪くなかった。というかかなり良かった。音の粒が揃っている。リズムがぶれない。
凱が腕を組んで聴いていた。表情は変わらないけど、目が真剣だった。
弾き終わって、純は少し緊張した顔で俺たちを見た。
「どうでしょう」
ZEROが即答した。
「合格」
純はほっとした顔をした。
「ありがとうございます」
「ステージネームは?」
純は少し考えてから答えた。
「JUNEで」
「JUNEか」
「本名そのままなんですけど、英語にしたら洒落てるかなと思って」
俺と凱は顔を見合わせた。
(本名そのまま英語にしただけやん。)
でも何も言わなかった。言える立場でもなかった。恋とか凱とか言ってる俺たちが何を言うんだという話だ。
「よろしく、JUNE」
「よろしくお願いします」
JUNEは丁寧に頭を下げた。礼儀正しかった。こいつが一番まともだという確信が深まった。
残るはドラムだけになった。
それからさらに四日、ドラムからの連絡がなかった。
「ドラムって少ないんかな」
俺がそう言うと、JUNEが答えた。
「楽器がでかいし高いし、練習場所もないし、始めるハードル高いと思います」
「確かに」
「あと運ぶのも大変で」
「確かに」
ZEROが腕を組んだ。
「どうする」
「張り紙、もっと増やすしかないんじゃないですか」
JUNEの言葉に、俺と凱とZEROは顔を見合わせた。
また街中を走り回る未来が見えた。
(しんどい時代やな、ほんまに。)
その夜遅く、家の電話が鳴った。母親が出て、すぐに俺を呼んだ。
「蓮、電話。なんか、声が低い人」
(声が低い。)
俺は受話器を取った。
「…もしもし」
電話口から、地の底から響くような声が聞こえてきた。
「張り紙、見た」
(低い。低すぎる。)
「は、はい。ドラムですか?」
「そうだ」
それだけだった。他に何も言わない。
「あ、じゃあ今度会えますか」
「いつでもいい」
「明日の放課後は」
「わかった」
ガチャン。
(切るのも早い。)
俺はしばらく受話器を持ったまま立っていた。母親が心配そうに覗いてきた。
「大丈夫?」
「たぶん」
翌日の放課後、空き地に四人で集合した。
時間になっても誰も来なかった。
五分過ぎた。
十分過ぎた。
「来えへんのかな」とJUNEが言った。
「来る」とZEROが言った。
根拠のない自信だった。でもその三十秒後、空き地の入り口に人影が現れた。
でかかった。
身長は180以上ある。髪は黒くて短い。目つきが鋭い。というか、目を開いているのか閉じているのかよくわからないくらい細い目だった。全身黒い服を着ていて、表情が全くなかった。
(こわ。)
男はゆっくりと歩いてきた。俺たち四人の前で止まった。
無言だった。
しばらく沈黙が続いた。
ZEROが口を開いた。
「張り紙見てくれた?」
男は小さく頷いた。
「ドラムですか」
また小さく頷いた。
「名前は?」
「…黒木」
「下の名前は?」
「…猛」
「ステージネームは?」
男はしばらく考えた。五秒くらい考えた。
「…DEAD」
(DEAD。)
俺とJUNEと凱は顔を見合わせた。ZEROだけ「ええな」と頷いていた。
「叩いてみてください」とJUNEが言った。
DEADは無言でスティックを取り出した。ドラムセットがないので、代わりに空き地の端にあったビールケースを並べ始めた。誰も頼んでいないのに、黙々と並べた。
(何してんの。)
ビールケースが四つ並んだ。DEADはその前に座って、スティックを構えた。
そして叩き始めた。
ビールケースの音が空き地に響いた。
(うまい。)
というかうまいどころじゃなかった。ビールケースを叩いてるだけなのに、グルーヴが出ていた。リズムが体に刺さってくる感じがした。
凱が目を丸くしていた。JUNEが口を開けていた。ZEROが腕を組んで頷いていた。
DEADは叩き終わって、スティックを下ろした。
そしてまた無言になった。
「合格です」とJUNEが言った。
DEADは小さく頷いた。
「なんか喋って」と俺は言った。
DEADは俺を見た。
「…何を」
「なんでもええから」
DEADはしばらく考えた。十秒くらい考えた。
「…よろしく」
それだけだった。
(四文字。)
でもなぜか、それで十分な気がした。
帰り道、JUNEが小声で俺に言った。
「あの人、大丈夫ですかね」
「大丈夫やと思う。たぶん」
「たぶん、ですか」
「うん、たぶん」
JUNEは少し不安そうな顔をしていた。
(俺も少し不安やけど。)
でもあのドラムは本物だった。それだけは確かだった。
五人揃った。




