第5話「こいつしかおらんやろ」
次の日の放課後、俺はまた駅裏に向かった。
ライブはない日だったけど、あの場所が気になっていた。というより、昨日の木下が気になっていた。あの馴染み方は普通じゃない。あのシーンに、すでに何か繋がりがある。
CLUB NOVAの階段を降りかけたところで、声をかけられた。
「お前、昨日もおったやろ」
振り返ると、木下が立っていた。昨日と同じ制服姿。でも今日は髪を少しだけ整えている。目つきが鋭い。でも敵意はなかった。
「うん、初めて来てみて」
「ギターやるって言うてたな」
「聞こえてたん?」
「あの人声でかいから」
木下は笑った。思ったより愛嬌のある笑い方だった。
「俺、木下勇。ボーカルやってる」
「山田蓮。ギター」
「バンド組んでんの?」
「まだ。これから探そうと思って」
木下はしばらく俺を眺めた。値踏みするような目だった。でも昨日の古株の男と違った。あの男の目は威圧だったけど、木下の目は純粋な好奇心だった。
「歌、聴くか?」
「え?」
「俺の歌。聴くかって聞いてんねん」
唐突すぎた。でも断る理由もなかった。
「聴く」
木下は路地の端に移動して、壁にもたれた。そして何の前置きもなく、歌い始めた。
アカペラだった。伴奏も何もない、ただの路地裏での一人の歌声。
最初の一フレーズで、俺は動けなくなった。
(なんやこれ。)
音程が完璧だった。声量もある。でもそんな話じゃない。声に色があった。暗くて、深くて、でもどこか甘い。聴いた瞬間に夜の景色が浮かんだ。
雨の降る路地とか、誰もいないライブハウスとか、そういう景色が。
俺の頭に、ある声が浮かんだ。
現代で死ぬほど聴いたあの声。RUNA SEAのボーカル、川村龍一。初めて聴いたとき、世界にこんな声を持つ人間がいるのかと震えた。あのときの感覚に似ていた。
いや、違う。
似ているんじゃない。同じ種類の衝撃だった。
(こいつ、本物や。)
歌い終わって、木下は当然のような顔をして言った。
「どやった」
(どやった、て。)
「…上手い」
「上手いじゃなくて、すごいやろ」
(こいつ…。)
「すごい」
「せやろ」
木下は満足そうに頷いた。謙遜というものが存在しない男だった。
俺はまだ少し、足が震えていた。
路地裏で、伴奏もなく、ただ壁にもたれて歌っただけだ。なのにあの声は、俺の中の何かを直接鷲掴みにしてきた。
現代のビジュアル系がオワコンと笑われていた時代に、俺はそれでも好きだと言い続けた。あの音楽の何が好きだったのか、うまく言葉にできなかった。
でも今わかった気がした。
こういう声だ。こういう熱さだ。言葉じゃなくて、声そのものが感情を持っているような、あの感じだ。
「お前のギター、まだ聴いてないけど」
「まだギター持ってないねん。買う金貯めてるとこ」
「ふーん。まあバンドやるなら一緒にやろうや」
(早い。)
「え、それだけで?」
「それだけでって何が?俺の歌聴いたやろ」
「聴いたけど」
「十分やろ」
(確かに十分やけども。)
俺は少し考えた。この男のナルシズムは筋金入りだ。一緒にいたら確実にしんどい場面が来る。でも、あの歌声は本物だった。
バンドのボーカルは顔でも愛嬌でも性格でもなく、声で選ぶべきだ。それは霧島蓮として生きた二十年で学んだことだった。
「わかった。一緒にやろう」
「決まりやな」
木下は右手を差し出してきた。握手を求めていた。
俺はその手を握った。
「ところでステージネームとかどうすんの」
「もう決めてる。ZEROや」
(即答かい。)
「お前は?」
俺は少し考えた。
「…恋」
「恋?」
「恋」
木下…ZEROはしばらく俺の顔を見てから、ぷっと吹き出した。
「ZEROと恋て、なんやねんそれ」
「うるさい」
「まあええか。よろしく、恋」
「よろしく、ZERO」
路地裏に夕日が差し込んでいた。どこかから飯の匂いがしてくる。
(バンド、始まるんか。)
俺はそれだけ思った。
あの声と一緒に、この時代を駆け抜けることになる。




