第22話「あの夜の続き」
家に帰ったのは深夜だった。
風呂に入って、布団に入って、目を閉じた。
眠れなかった。
(あの音、まだ体に残ってる。)
BACK-KICKの最初の一音が、頭の中でずっと鳴っていた。目を閉じると、あのフロアの景色が浮かんだ。百二十人が一斉に動いた瞬間。怒号のような歓声。
(俺、あの場所におったんやな。)
信じられなかった。でも本当のことだった。
山田蓮として1982年に生きていて、夜叉羅刻を組んで、BACK-KICKと同じステージに立った。
霧島蓮として生きていた頃、工場のラインで毎日同じ作業をしながら、「俺の人生これでええんかな」と思っていた。音楽が好きで、ギターが好きで、でも何もできなくて、ただ時間だけが過ぎていった。
あの頃の俺に今夜のことを教えてやりたかった。
(お前、凄いステージに立てるで。)
そう言ってやりたかった。
天井を見つめながら、しばらくそんなことを考えていた。
気づいたら朝だった。
翌日の学校で、ZEROが俺の席に来た。
「眠れたか」
「全然」
「俺も」
それだけだった。それだけで十分だった。
昼休み、五人でいつもの公園に集まった。
誰も特別なことを言わなかった。いつも通りの昼飯を食べた。
でも空気が違った。
ZEROがいつもより静かだった。ナルシストで自信家で思い込みが激しいこいつが、珍しくぼんやりとした顔をして空を見ていた。
「ZERO、昨日どうやった」と俺が聞いた。
「どうって」
「家帰ってから」
ZEROはしばらく考えた。
「…眠れんかった。あの音がずっと頭に残っとって」
「俺も」
「悔しかった」
「うん」
「でも」
「でも?」
ZEROは空を見たまま言った。
「なんか、火がついた感じがした」
俺は黙って頷いた。
凱に聞いた。
「凱は昨日どうやった」
「うるさい」
「なんで怒るんや」
「うるさい」
凱はそっぽを向いた。でも耳が少し赤かった。
(こいつも眠れんかったんやろな。)
JUNEに聞いた。
「JUNEは?」
JUNEは少し考えてから言った。
「家帰って、お母さんに『どうやった』って聞かれて、なんて言えばいいかわからなくて」
「なんて言ったん」
「…楽しかったって言いました」
「それだけか」
「他に言葉が見つからなくて」
(わかる。)
俺も同じだった。あの夜のことを誰かに説明しようとしたら、「楽しかった」しか出てこない。でもそれは全然足りない言葉だった。
DEADに聞いた。
「DEAD、昨日帰ってからどうやった」
DEADはしばらく黙っていた。
いつもより長い沈黙だった。
「…ギター、弾いた」
「ドラムじゃなくて?」
「…うちにドラムはない」
「そりゃそうか」
「…でも音が出したくて。親の古いギターがあったから」
「弾けるんか」
「…弾けない。でも弾きたかった」
全員が黙った。
DEADが弾けないギターを弾きたかった。それだけで、あの夜がどれだけDEADの中に残っているかがわかった。
「みんな眠れんかったんやな」と俺は言った。
「当たり前やろ」とZEROが言った。
「当たり前やな」と凱が言った。耳がまだ少し赤かった。
「当たり前ですね」とJUNEが言った。
DEADは無言で頷いた。
五人で空を見上げた。
昼の空だった。青くて、雲が少しあった。
(あの人たちも、最初はこんな感じやったんかな。)
BACK-KICKも、最初は小さなライブハウスでくすぶっていた時代があったはずだ。誰も知らない時代が。
その頃の彼らも、こんな風に誰かのライブを見て、眠れない夜を過ごしたんだろうか。
(そうやって、でかくなったんやろな。)
放課後、スタジオに入った。
誰も何も言わなかった。
でも全員の音が、昨日より少しだけ変わっていた。
あの夜が、全員を変えていた。
言葉じゃなかった。音が変わっていた。
練習が終わって、スタジオを出た。
夕暮れの商店街を歩きながら、佐々木と鉢合わせた。
「お、山田。最近どうや」
「まあ、いろいろあって」
「ライブとかやってんの?」
「やってる」
「どうや」
俺はしばらく考えた。
「夢みたいな夜があった」
佐々木はきょとんとした顔をした。
「なんやそれ」
「うまく言えんねん」
「まあ、楽しそうやったらええわ」
佐々木は笑って、手を振りながら去っていった。
俺は夕暮れの商店街をしばらく眺めた。
(夢みたいな夜があった。)
でも夢じゃなかった。
全部、本物だった。
(まだ足りん。)
でも、確実に前に進んでいる。
昭和の夕暮れが、街をオレンジ色に染めていた。




