第20話「東京から来た化け物たち」
二股事件から二週間が経った。
麻子はもうCLUB NOVAに来なかった。当たり前だった。でも、来るたびに「よかったよ」と言ってくれた声が、たまに頭の中で再生された。
(はぁ、、)
そのたびに俺は心の中でそう言った。
ライブは続けた。月二回のペースは変わらなかった。客は少しずつ増え続けていた。五十人を超えた日もあった。
そんなある夜、ライブが終わって楽屋で着替えていると、スタッフが来た。
「山田、店長が呼んでる」
(店長が?)
五人で顔を見合わせた。
「全員か」とZEROが聞いた。
「全員」
店長室というほど大げさな部屋じゃなかった。狭い事務所に、でかい机と椅子があるだけだった。
店長が腕を組んで座っていた。
「座れ」
五人で並んで座った。
店長はしばらく俺たちを眺めた。
「お前ら、最近ええな」
「ありがとうございます」とZEROが言った。
「客が増えてきとる。ライブのたびに数えてるんやが、着実に増えとる」
「はい」
「自分たちで気づいとるか」
「気づいてます」と俺が言った。
店長は頷いた。
「それで、話があるんやが」
全員が黙った。
「来月、東京からバンドが来る」
「東京から」と凱が言った。
「BACK-KICKっていうバンドや。知っとるか」
その瞬間だった。
俺の全身に、電流が走った。
(BACK-KICK。)
頭が真っ白になった。
BACK-KICK。現代でも語り継がれる伝説のバンドだ。ビジュアル系の歴史を語るとき、必ず名前が出る。何十年経っても色褪せない音楽を作り続けた。俺が生きていた時代でも、若い世代がSpotifyやApple Musicで聴いていた。
そのバンドが、今この時代には、まだ無名だ。
まだ誰も知らない。でも俺は知っている。
(このバンドが、これからどうなるかを。)
伝説になる前の姿を、俺は今ここで見ることができる。
それがどういうことか、うまく言葉にできなかった。
歴史の教科書に載っている人物が、突然目の前に現れたような感覚だろうか。でもそれより、もっと個人的な感覚だった。
現代で何度も「この人たちの成り上がりの過程を見たかった」と思っていた。インタビューを読んで、昔の映像を漁って、どんな時代を経てあの音楽が生まれたのかを想像していた。
その過程が、今ここにある。
(俺、その場にいられるんか。)
「知らんです」とZEROが言った。
俺は何も言えなかった。
「東京のインディーズシーンでトップのバンドや。関西にはまだあんまり知られてないけど、本物やで」
本物。
この時代でトップということは、これからもっとでかくなるということだ。俺は知っている。この時代の誰も知らないことを、俺だけが知っている。
「そのBACK-KICKのイベントを来月うちでやることになった」と店長が言った。「対バンを二組入れようと思っとる。お前らどうや」
全員が静止した。
ZEROが俺を見た。凱が俺を見た。JUNEが俺を見た。DEADが俺を見た。
なんで全員俺を見るんだという話だが、俺はまだ固まっていた。
「出ます」
最初に口を開いたのはZEROだった。
「即答でええんか」と店長が言った。
「出ます」とZEROはもう一度言った。
店長は少し笑った。
「ええ度胸や。ただ、BACK-KICKは本物やで。今のお前らより数段上や。それでもええか」
「それでもええです」
ZEROは一切迷わなかった。
店長は俺たちを順番に見た。
「他のメンバーは」
「出ます」と凱が言った。
「出ます」とJUNEが言った。
DEADは無言で頷いた。
「俺も出ます」と俺が言った。
自分の声が、遠くから聞こえる気がした。
店長は頷いた。
「わかった。来月末や。しっかり練習してこい」
事務所を出た。
廊下で五人が顔を見合わせた。
ZEROが口を開いた。
「BACK-KICKって、本物なんか」
「本物や」と俺は言った。
「なんで知っとるんや」
「…知らん。でも本物や」
凱が腕を組んだ。
「まあ、誰が来ようと関係ない。俺たちは俺たちのライブをするだけや」
みんながその言葉に頷いていた。
俺も頷いた。
でも俺の心の中は、みんなとは全然違う場所にあった。
廊下の壁にもたれた。
(BACK-KICKや。)
嬉しいとか、興奮するとか、そういう言葉じゃ全然足りなかった。
うまく説明できない感覚だった。
現代で生きていた頃、俺はBACK-KICKの音楽が好きだった。でも「好き」という言葉より、もっと大きな話だ。
あのバンドが歩んできた道のりを、俺はずっと羨ましいと思っていた。無名の時代から、少しずつシーンに認められて、やがて伝説になっていく。
その過程を、リアルタイムで体感した人間がどれだけ羨ましかったか。
インタビューを読んで、昔の映像を漁って、「この時代に生きたかった」と何度思っただろう。
でも今、俺はその時代にいる。
しかも、同じステージに立てる。
(どういうことやこれ。)
本当に、どういうことかわからなかった。
工場で死んで、1982年に転生して、バンドを組んで、泥臭くやってきた。全部がこの瞬間に繋がっている気がした。
(死んで良かった、、、良かったのか?、、、)
ZEROが俺の隣に来た。
「お前、顔色おかしいで」
「そうか」
「具合悪いんか」
「違う」
「じゃあなんや」
俺はしばらく考えた。
どう説明すればいいかわからなかった。
「…俺が一番行きたかった時代に来れた気がして」
ZEROはしばらく俺を見た。
「意味わからんけど」
「俺にも意味わからん」
「でもそういうことか」
「そういうことや」
ZEROは静かに笑った。
それだけだった。
それだけで十分だった。
帰り道、俺は一人でずっと考えていた。
来月末、BACK-KICKが来る。
まだ伝説になる前のBACK-KICKが、この小さなライブハウスに来る。
その成り上がりの過程の、ほんの一ページに、俺たちは今立っている。
(やったるか。)
胸の中が、静かに燃えていた。




