53 黒窓3
「ちょっと静かにしてくれないか」
その貴族は優雅に低い声でルーベンを注意した。スラリと背が高くキリッとした感じの三十代位、黒髪で褐色の肌の端正な横顔の男はルーベンを見下ろす。
「なんだお前は、私を誰だと思っておる!」
酔った救いようも無いお馬鹿なルーベンはテーブルを叩くと勢い良く立ち上がる。
「ここは静かに食事をする場だ。仮に、この国第一位派閥の者であったとしても騒がしくするのは恥ずべき行為だと思うが?いやむしろ問題であろうな」
この男はルーベンを知っているらしい。男の言葉にお馬鹿ルーベンは怯んだ。
「わ、私はその様な者ではない。だが仮に、そうであったしても其方にこの様に言われる筋合いは無い!」
どうやら酔がまわりすぎ、お馬鹿さは重症らしい。
「ではこの状況をどうなさいますか?騎士でもお呼びになりますか?私は構いませんよ」
全く動じずルーベンを冷たく見下す。
「ぬぅ、その顔忘れんぞ」
やはりマズイと思ったのか救いようも無い小物の酔っぱらいルーベンはふらつく足で階段へ向かおうとこちらへ来る。私の横を通る時にワザとぶつかってくるとひと睨みし階段へ向かった。最後に二、三段踏み外したようで一階が少しザワついていた。
セスが続いて階下へ向うのを見送った後、振り返るとルーベンを追い払ってくれたお客の貴族がこちらを見ていた。
正面から見た男の顔は美しく吸い込まれそうな深い翠の瞳を持っていた。
「あの……ご迷惑をおかけしました。その上助けて頂きまして……」
胸がドキドキとし男から目を離せない。
男は自分の席からステッキを取ると私に近寄り、ぶつかられた時に外れたのか肩紐をゆっくりと直してくれた。
「あ……恐れ入ります」
なんだか恥ずかしくなり横を向いた。
「大丈夫であったか?つまらぬ貴族が多くて由々しき事だな」
さっきルーベンに注意した時と違い優しい声でそう言った。急に顔が熱くなり頬を手で押える。
「さっきの方をご存知なのですか?」
お馬鹿ルーベンの事なんてどうでもいいが間が持たず聞いてみた。
「知ってはおらぬが聞いた事がある、救いようが無い……とな」
その噂は正解です。
「そなた……」
男は急に私の方に手を伸ばすと髪を指でそっと滑らせた。そして耳元に口を近づけると囁く。
「元の色の方が美しいと思う……」
そう言って静かに去って行った。
ちょっとぼうっとしてしまい立ち尽くしているとパフが窓を突く音で我に返った。
男に触れられた髪を確認するとカツラの黒髪に赤い髪が混じっていた。働いているうちにはみ出してしまったらしい。慌ててそれを直し仕事へ戻った。
そこから滞りなく店は営業を終え最後の客が帰った後サッと片付けを済ませると終了となった。セスが着替えを終えた私とジルドに今日一日分の給料をくれた。
「頼んだのはこっちなんだからこれはいらないわ」
私が返そうとするとセスが笑って受け取らなかった。
「ロージーはけっこう使えたしジルドも頑張ってるって事でいいさ。ロージーならまた来てくれていいよ。じゃあな」
そう言って帰って行った。
「疲れたな、オレ手がボロボロだよ」
皿の洗いっぱなしで白くふやけた手を見ながらジルドが言った。
「私は足が疲れた」
浮腫んで痛い足を擦っているとパフが飛んできた。肩に止まるとじんわり回復をかけてくれる。
「ふふっ、ありがとう。ジルドにもお願い」
パフは少し不満気な顔をしながら彼にも回復をかけた。
「うわ……なんだこれ……まさか……回復も使えるのか」
「内緒よ、誰にも言わないで」
キレイになった自分の手を真剣な顔で見ながらジルドは頷いた。
「誰かに言うにはデカ過ぎる秘密だよ」
攻撃の魔術を使える魔術師もいるし、回復の魔術を使える魔術師もいる。だけど両方の魔術を使える魔術師は稀だ。タイラーにだって攻撃の魔術が使える事は言ってない。
パフ以外にこの事を知っているのはジルドだけって事になる。エルロイ伯母も知っていたが彼女はもういない。
案外ジルドを信用してるのかな?
さほどの抵抗も無くパフがジルドに回復をかけたという事はそういう事だろう。
これからしばらく一緒に旅をするならいずれバレる時が来る。だったら今のうちに話しておいた方が気持ちが楽だろう。それでなくても話せない事は多い。
並んで歩き出しジルドが宿へ送ってくれる。
「独りでも大丈夫なのに」
「まぁ、そうかも知れないけど……気持ちの問題だろ。女性を夜に一人で歩かせるのは落ち着かない」
「良い人だね、ジルドって」
「普通だろ」
数分で宿へつくと扉が開くのを確認してジルドは帰って行った。
中では厨房でまだ明かりがついていて、ジョバンニが片付けをしているようだった。
「すみません、遅くなってしまって」
私の為に鍵をかけられなかっただろうと思い、声をかけた。ジョバンニが厨房から手を拭きながら出て来た。
「お帰り、ジルドから聞いてたから大丈夫ですよ。この時間ならいつも起きてるからね」
扉に鍵をかけまた厨房へと向かう。
「あの、お世話になりましたが明日立ちます」
「それも聞いています……その……例の件なんですがね。本当にやるんですか?」
孤児にお金を貸す事をジョバンニはまだ危惧しているようだ。
「はい、ジョバンニさんには面倒な事ですか?だったら他に……」
彼には宿を経営する仕事がある。邪魔になるなら無理は言えない。
「いや、実際この宿もカツカツだ。他の仕事が合間で出来るのは有り難いよ。子供に金を渡すだけだしね」
「ちゃんと使い道と返す方法を聞いて下さいね」
忘れちゃいけない大事な事を確認した。
「あぁ……そうだったね。本当に返しに来ると思っているのかい」
ジョバンニには信じられないらしい。
「本当の事言えば私もわかりません。多分全部は無理でしょうね。でも、知ってます?孤児達って仲間同士助け合って暮らしてるんです」
キキはニコロの面倒をみていた。ニコロが来る前は誰かがキキの面倒をみていたのだ。
「だからあの子達に借りたお金を返せば、また誰か自分と同じ境遇の子達が使えるんだって教えておけばいつか大人になった時、きっと思い出して返してくれるんじゃないかって、そう思ったんです」
全部じゃなくていい、あの子達のうちの誰か一人でも返せるくらいの生活が出来るようになって欲しい。
「そうかい……夢みたいな話だね……」
ジョバンニはジッと私を見つめた後厨房へ戻って行った。
私も部屋へ戻りベッドに座るとパッタリと横になった。
「疲れちゃったね」
パフは私の肩から椅子の背に飛び移った。
「ねぇ、パフ、気づいてた?あの貴族のステッキ」
「ポッポ」(なんだ?あの貴族って、ロージーが見惚れてぼうっとしていた色男か?)
「ちょっと、別に見惚れてたわけじゃ……」
まぁそうなんだけど。だって凄く格好良くて……いやいやそうじゃなくて。
私は起き上がるとパフを膝に呼んだ。
「そこじゃなくて、ステッキにあった印章のことよ」
男が持っていた黒いステッキの握りの下あたりに緑の帯に金色で描かれていた向かい合うグリフォン。あれはセバスチャンのティーセットに描かれていた物と同じだった。
すぐに思い出せず男を逃してしまったのは失敗だった。きっとあの貴族はなにか知っていたはず。
「ポッポ」(私は見ておらんが、その印章がどうした?どこの物か知っておるのか?)
「知らない。でもきっとセバスチャンと関係あるはず。だけど、もう追えないし。誰かに知らせることが出来たら良いんだけど」
国王陛下か、ラウリス様か……
「う〜ん、ちょっと嫌だけどパフがラウリス様に知らせてくれる?私が手紙を書くよ」
「ポッポ」(であればタイラーにさせればよかろ。『黒窓』を見張れと言えばいいのであろ。簡単だ、任せろ)
「ちょっと、タイラーは今忙しいって言ってたじゃない」
「ポッポ」(それはラウリスも同じだ。結局命じて下っ端が行くのだから同じであろ。だがいつまでも戻らぬ秘書など探さぬのでは無いか?)
そうなのかな?気になっているのは私だけ?
だったらもういいか、知らせなくても。




