二十一.廻る、廻る─会─
音も無く、男は刀を振り下ろす。感情のままに振られるその太刀筋は滅茶苦茶で、椿にとって、避けることは容易かった。
しかし彼女は、一切の反撃をしなかった。男の太刀をひたすら受け流しながら、己の過去を振り返った。己の甘さが神夜を殺し、時を隔てて自分をも殺そうとしていることを、痛く感じながら。
──いっそのこと
「いっそのこと」
椿は、狂気の目で太刀をふるう男の顔を見ながら、独白する。
「血に酔う修羅に成れれば良かったのに」
──戦場に舞う、血に踊る傀儡に
男が大きく袈裟懸けに刀を振り下ろそうとするのを、椿は手元をゆるめて弾いた。男の渾身の太刀に、椿のゆるんだ手元から刀がするりと抜け落ちる。
男がそれを見逃すはずがなかった。その一瞬の隙に、真っ直ぐ刀を椿の胸に向かって突いてきた。
椿には、その太刀の動きが酷くゆっくりと感じられた。避けるつもりは無かった。ゆっくりと、目を閉じる。
──神夜
肌の近くに刃先の気配を感じて、椿は歯を食いしばった。
彼女の脳裏には、幼い日の幼なじみとの記憶、母親から捨てられた日の記憶、生家に金を届ける時の心境、神夜と過ごした日々が巡った。それらはどれも鮮やかで、途方もなく輝いて見えた。
「──捜したよ、椿」
どしゃりと目の前で何かが倒れる音と伴に聞こえたのは、彼女の名を呼ぶ声。
椿は思わず目を開けた。足元を見ると、男の持っていた刀が地面に転がっていて、柄の方に目を移すと、男自身がうつぶせに倒れていた。その背中には、小太刀が深々と刺さっている。
「どうした、椿」
そこでやっと彼女は、声のする方に顔を上げた。
──まさか、そんな
「弥栄葉──」
男の亡骸を足元に、幼なじみは、にこりと微笑んだ。
「弥栄葉、それは、お前が──」
「あァ、コレのこと」
弥栄葉は、ちらりと足元に目を遣ってから、そうだよ、と答えた。
「俺の椿に、やっと会えたんだ。どんな思いでお前を捜したと思ってる。十年以上の月日の中で、俺や朔乃がどれだけ苦しんだと思ってる。それを、やっと見つけたと思ったら、見ず知らずの男に殺されかけているじゃァないか。俺はなァ」
弥栄葉は、尚もその屈託のない無邪気な笑みを湛えたまま、言葉を紡ぐ。
「それだけは、どうあっても許せなかった」
椿は幼なじみの顔から目をそらした。弥栄葉の椿への想いは、彼女にはただ痛すぎて、真っ直ぐに言葉の一つ一つを受け止めることが出来なかった。
「私は──」
急に力が抜けて、椿はその場に崩れるように座り込んだ。
「神夜やあの男だけでなく」
彼女の中に溢れるのは、
「お前たちの運命までも」
逃れようのない、
「狂わせてしまった──」
自責と自信への呪いの言葉。
「私は、私はどうすれば良い。殺してしまった沢山の人の命や、狂わせてしまった月日は、もうかえって来はしないんだ──」
彼女の目に、涙はなかった。今にも泣きそうな顔をしているのに、その目は生気が無く虚ろで、どこか遠くを見ているかのようだった。
弥栄葉はそっと、片膝をつくと、ふわりと椿を抱きしめた。ガラス細工の人形を抱くように、そっと。
「椿、ラクになりたいか」
その問に、彼女はコクリと頷く。
「全ての鎖から、解放されたいか」
彼女は、再び頷く。
彼女を包む、弥栄葉の右手が束の間、離れた。
──刹那、鈍痛。
椿は、ゆっくりと目を閉じる。背中に感じる僅かな重みが彼女に微睡みを与える。まだ開けていたいのに、弥栄葉の顔が見たいのに、瞼が重たくて、抱きしめられていて、彼の顔が見えない。
「──ごめんな、椿」
薄れゆく意識の中、彼が何故謝るのかが椿には解らなかった。ただ自分は、じきに死ぬのだと言うことだけが、はっきりと感じられた。
「こんな形でしか、お前を助けてやれなかった──」
あァ、彼は変わっていなかったと、椿は思った。純粋で、真っ直ぐで、白く汚れを知らない。あの頃から、ちっとも彼は変わらないのだと思うと、彼女は少しだけ嬉しくなって、微かに微笑んだ。ただ、もう一人の病弱で気弱な幼なじみの顔が見られないのが、酷く寂しかった。
「俺を恨むなら恨め。でも、俺は、もうお前の側から離れはしないから」
『なぁ椿、俺の罪も──この雨は、流して……くれる、だろうか』
朧気に浮かぶのは、最愛の人の言葉。
雨が降りそうに無いこの月夜に、僅か苦笑したところで、彼女の意識は途切れた。




