二十二.想い
病床から這い出し、心配する家族に少し散歩をするだけだと言って、僕は家を出た。まだ足元が少しふらつくけれど、今日は、どうしても行かなければならないところがある。
永斎様の寺は、森の中を少し行ったところに在る。このふらつく足で歩く森の道々よりも、あの石段を登ることが出来るかと言うことを多少不安に思いながら、僕は見慣れた森に足を踏み入れる。そこら中に咲く、紅い椿の花が見事だった。
森の木々の間に差す、朝の光の清々しさが、酷く僕の胸を締め付けた。椿と弥栄葉が死んだあの日から、もう既に、三日が経っていた。
屋敷の方へ駆けていったあの時、門を入ってすぐ、あまりの煙の濃さに、僕は弥栄葉を見失ってしまった。彼を呼ぼうにも、煙に咽せてしまって無理だった。
煙に対して反射的に流れ出る涙を忌々しく思いながら、炎の中をさまよい歩いた。その間不思議と、屋敷の人間には出会わなかった。
ふと視界の先に、一瞬開けた場所が映った。持仏堂だろうか、その前には二人の人影。
──椿だ
そう直感した。間違える訳がない。この十数年間、あの子だけを追って生きてきたのだから。
僕は、その後ろ姿に向かって走り出した──つもりだった。
足を一歩踏み出した直後、右腕を後ろに引かれたと思った瞬間、首もと、項のあたりに重い痛みが走った。
元々体は丈夫ではない。すぐにその衝撃に導かれるようにして、僕は意識を手放したのだった。視界が閉じてゆくなかで、弥栄葉の顔をうっすらと見た気がする。いや、きっとあれは弥栄葉だった。微かに聞こえた“ごめんな”と言う一言が、今も耳について離れない。
その後、何があったのかを、僕は知らない。意識を取り戻したときには、既に周囲は殆ど焼け跡と化していて、朝靄の中に無数の亡骸が静かに横たわっていた。
立ち上がって辺りを見回すと、ぽっかりと開けた場所に、二人ほど横たわっているのが見えた。そしてそれが実は三人だと言うことに、僕は近付いてみて初めて気づいた。
一人は持仏堂の前の見知らぬ男。そして手前に折り重なるようにして横たわっていたのは──椿と弥栄葉だった。
椿を守るようにして、弥栄葉は彼女を抱きしめる格好で、自身の喉をかき斬って絶命していた。それを証明するかのように、彼の側にはどす黒く濡れた小太刀が、無表情に転がっていた。
僕は、事の顛末を知らない。しかし、おそらく僕の考えていることは、おおよそ、事実に符合しているだろうと思う。
多分弥栄葉は、己にできる最大限の方法で、椿を呪縛から救おうとしたのだ。白く、真っ直ぐで、純粋すぎる彼だから、こんな方法に出るしか無かったのだろう。本当に椿の事だけを考えて、彼女を救いたい一心で──
今思えば、僕と弥栄葉の椿への想いは、それぞれ全く異質な物だった。僕のそれは、間違いなく大好きで尊い、何にも代えられない宝物だった。しかし結局、僕はその程度だったのだ。弥栄葉にとって椿はきっと──己の人生、命、全てを賭けて愛し、護るべき存在だったのだ。それは時として、醜い執着に見えることもあったが、やはり彼は、どこまでも真っ直ぐだったのだ。
森の中を歩くのは、やはり少しばかりきつくて、自然と止まってしまった自身の足に苦笑する。
椿の家族には、結局何も告げなかった。きっと弥栄葉ならそうしたろうし、僕もその方が良いと思ったから。弥栄葉は元々、早くに両親を亡くしていたから、永斎様が親代わりのようなものだった。
寺に着いたら、思い切り泣こう。永斎様に何を言われようと、何を訊かれようと、まずは思い切り泣こう。でないと、僕は、僕独りだけ、過去に取り残されてしまうから。
つッと頬に伝う汗を拭って、ふと顔を上げる。
視線の先、
「──ッ」
朝靄の中に、女が立っていた。驚いて一歩退くと、足元の小枝がぱきりと乾いた音をたてた。
女が振り返る──目が合った。
僕は、はっと小さく息を呑む。
靄に隠れてその顔は見えないが、遠く、クスリと鈴を転がすような涼しげな笑い声が聞こえた気がする。
突如鳥の羽音が静寂を破ると、その瞬間女は、くるりと身を翻し、音も無く森の奥へと溶けていってしまった。
女が立ち去った後しばらくは茫然としていたが、ふと我に返って、僕は呪縛を解かれたように息をついた。ゆっくりと瞼を閉じるとそこには、女の着ていた着物の残像が鮮やかに浮かび上がり、その光景に僕は微笑した。
手を伸ばせば届きそうなそれは、目に痛い程に鮮やかな紅色で──
終
「紅椿の姫」をここまでご閲覧いただき、有り難う御座います。
ずいぶん前に建てた構想を元に執筆したと言うこともあり、作中に描き切れていない点や余計な設定などが見受けられ、とても拙い作品となってしまいました(汗)
また、一年以上に渡る長期間の間に、私自身の文体が変わってしまい、それに伴い作品の文体もごちゃごちゃと統一感の無い物になってしまいました。大変読みづらい作品となってしまったことをこの場でお詫び申し上げます。
私自身この作品で一番重きを置いたのは、心理描写のつもりです。それはとても難しく、まだまだ私自身に未熟な点の多かった事とは思いますが、少しでも椿達の想いが読者様に伝わっていれば嬉しいです。
とても簡易なご挨拶では御座いますが、当作品をここまでご閲覧いただきました程、厚く感謝申し上げます。
ありがとうございました(*^_^*)
10.01.06 天川時雨




