二十.廻る、廻る─怨─
そこだけふつっりと切り取られたようだと、椿は思った。
寺の本堂を縮小化したようなそれは、周囲の火が燃え移ることもなく、月明かりの下にひっそりと、その粗末な剥き出しの木板を晒していた。
一瞬、ざわりと肌が粟立つのを、椿は感じた。持仏堂の中に何か居ると、己の勘が告げる。
嫌な予感がして、冷や汗が頬をつッと撫でて行くのを感じながら、彼女は若干引きつった笑みを浮かべた。
──私は、怯えているのか
死ぬかもしれない。ならばそれでも構わないと椿は思う。どこかで捕まって打ち首になろうと、切腹を強いられようと、甘んじてそれを受けよう、己の行いを思えば当然のことなのだから、と。生を諦めているわけでも、それに飽いているわけでもなく、ただ死だけが己の進むべくしてある道なのだと。だから椿にとって死とは、生きる過程に於いての選択肢でしかない。死が怖いわけではない。しかし──
「くッ……」
逃げろと強く告げるそれは、理性ではなく本能。関わらぬ方が身のためだと訴えるのは、長年の経験ではなく己の身体。しかし退いてはならぬと己を叱咤して、椿はやっとの思いで右手に抜刀したまま持っていた刀の露を払った。既にその場での一挙一動が躊躇われる程に、辺りには殺気が立ちこめていた。
「やっと会えた」
不意に、よく通る若い男の声が響いた。
殺気が肌を刺すように刺々しくなる。
「覚えているかい、君は」
そんな言葉とともに、持仏堂の中からゆっくりと出てくる人影を認めて、椿は無意識に刀を構える。
「僕のことを、覚えているのかな──」
人影は酷く緩慢な動きで、辺りの炎の灯りの中にその姿を晒す。
「ねェ」
椿は言葉を失った。
この屋敷の下男であろうその男は、口の端を吊り上げて妖艶に笑う。まだ幼さが残るその面立ち、忘れるわけがなかった。それは、彼女と神夜の運命を別ったあの日の──
「──五年前の、あの時の子供か」
椿が震える唇で呟くと、男は満足そうに頷いた。
「関心だね、覚えていたんだ。自身の行いを覚えておくことは、賢明なことだよ。解ってるね、この五年間ずっと、僕は君のことを想って居たんだよ」
男が一歩踏み出し、腰の物を抜いたのを見て、椿は一歩後ずさった。ちろちろと炎が映り込むそれを片手に、男は一層笑みを深める。
「想って、いた──」
椿が呟くと、男はさも愉快そうに頷いた。
「そう、想って居たんだよ。君のことをね──」
スッと男が刀を構える。
「──殺しても、殺し足りない程に」
恐怖に彩られた瞳で見るその刀身の、何と美しいことだろうと、椿は頭の隅でぼんやりとそんなことを思った。
ざわりと空間が揺れた刹那、音もなく男が大きく踏み込み、真一文字に刀を薙いだ。風を切る音がして、椿は我に返る。視界の端に、鈍く光る、美しい、刀身が──
寸でのところで椿は、男の刀を弾き、素早く後方へ身を退いた。両手に残る鈍痛に、思わず舌打ちをする。掌には、ねっとりと嫌な汗の感覚。
「──そうでなきゃいけない。僕の太刀を弾くくらい、出来なければね」
「──お前が、やったのか」
くつくつと嘲笑を浮かべる男に、椿は途切れ途切れ言葉を紡ぐ。唇はかさかさに乾いて、喋る度に血の味がした。
「何のことかな」
「火を放ったのは、お前かと訊いている」
「御名答、僕だよ」
言いながら男は、ふらりと刀を上段に構え直す。
「な──」
「“何故”なんて、訊かないでよね。解らないかい、僕は舞台を用意しただけ」
「舞台──」
口の中で小さく呟きながら椿は、刀を正眼に構える。
「言っただろう、僕は君を殺しても殺し足りないんだ。この劫火の中で、焼かれて苦しめば良い。それこそ、死と生の狭間で──」
するりと灰が椿の肌を撫でて行く。彼女の背後で、何かが崩れ落ちる音がした。
「母上は、二度と帰ってはこないのだから」
男の頬に、一筋の涙が伝う。
「許さない」
半ば呻くようなその言葉は、椿の中で、五年前の記憶と、奇麗に重なった。




