十九.廻る、廻る─駆─
紅い閃光が駆け抜けてゆくのを、弥栄葉達は見た。突然のことに、二人の足はぴたりと歩みを止める。それは、太陽が山の向こうにその身を沈める直前の出来事だった。
「朔乃……」
呆然としたような弥栄葉の呼びかけに、朔乃もまた紅い閃光が走ったその跡を見つめながら、コクリと頷く。
「見つけた」
それは静かな、しかし紛れもない歓喜の一言。
弥栄葉ははやる気持ちを抑えきれず、閃光の軌跡を追いかけようと足を踏み出したが、それと同時に右腕に痛みを覚え、振り返る。見ると朔乃が行かせまいと腕を強く掴んでいた。
「──ッ、朔乃、お前、放」
必死で止める朔乃の手を振り切ることは、体格の差から考えても弥栄葉にとって容易いことだった。案の定少し力を込めて突き放すようにすると、朔乃の手はするりと離れた。それを機に、弥栄葉はまた屋敷の方角へと足を踏み出す。しかし、
「弥栄葉ッ」
立ち止まったのは、己を呼ぶ朔乃の声があったからではない。
「――何だよ、ありゃぁ」
朔乃の声とほぼ同時に屋敷からわき上がった、阿鼻叫喚の声と、真っ赤な──紅蓮の炎。
その紅は、毒々しいほどに紅々と、しかし美しく、艶めかしく、屋敷を包んでゆく。
二人はしばらく、ただ呆然と空の藍に溶けるように立ち上る朱を見ていた。別に炎が恐ろしい訳ではない。あの場所に行かなければならないと、己の意志が告げている。しかしそれを本能が制するのだ。今足を踏み出せば無事では戻って来られないと、そう警鐘を鳴らす。
椿が──
椿が──
椿が──
やっと会える、やっと。
やっと、
やっと、
やっと。
最初に足を踏み出したのは朔乃だった。それに連鎖するかのように、弥栄葉もまた足を踏み出す。歩みを始めた足はもう止まることを許されず、次第に速度を速め、炎へと一心に駆け始めた。互いに競うように、ただ一心に駆ける。
屋敷に近づくにつれて、夜風に乗って流れてくる煙が、灰が、胸に充満してゆく。せき込みながら、目が痛くて涙を流しながら、二人はただひたすらに駆ける。
屋敷の門は、もう目の前だった。
※※※
「──ッ、くそッ」
弥栄葉と朔乃が屋敷に向かって走り出した頃、椿は思わぬ事態に苦戦を強いられていた。
門前の男を抜刀と同時に一太刀で斬り倒し、屋敷内に一気に踏み込んだまでは良かった。そこまでは、何の問題もなかったのだ。しかし、そこから事態は一変した。
周囲に燃えさかる炎は、今や椿の衣の色よりも更に紅々と、その勢力を広げている。最早どこに人が居るのかも解らない。何故突如としてこのような火災が起こったのかも、火元がどこであるのかも、何に注意すればよいのかも、どこに行けばよいのかも、今は状況のいっさいが解らなかった。
それでも、椿は炎の壁に向かって駆ける足を止めはしなかった。戦場で立ち止まることは死を意味する、例え予想外の事態が己を襲ったとしても。周囲の気配に気を配りながら、椿は駆ける。
「──くッ、はッ」
煙のせいで呼吸はままならず、涙で視界はぼやけている。微かに人の気配がして、闇雲に刀を薙いだ。薙いだ先に、確かな感触。炎とは違う生温かいものが、椿の腕から肩にかける袖を濡らした。
──死ぬのだろうか
不意に過ぎる不安に、椿は自嘲した。らしくないと、己に言い聞かせる。
──落ち着け
活路は有るはずだ。こんなとき、あの人なら、神夜ならどうする。
──仕事に感情は命取りだ
迷うな、死を恐れるなと己を叱咤する
──面をかぶるように己の感情を隠せ
立ち止まり、すっと目を閉じる
──敵に隙を気取られるな
気を張りつめる
──俺達は戦場の神の傀儡だ
開いた瞳は血に狂う修羅のそれ
──己の直感だけを信じろ、決して視覚に惑わされるな
己の直感に耳を傾ける。ざわりと肌が泡立つ。
不意に風が吹いて頭上を見上げると、正面に月が見えた。夕刻に踏み込んでからそう時間は経っていないはずだから、月は酉の方角にあるはず。だとすると、進んできた方角も酉の方角と言うこと。思い出せ、この屋敷内、酉の方角には何があった。
頭に叩き込んだ図面を、思考の底から拾い上げる。
「──持仏堂」
そこに何かがある。己の直感がそう告げている。方角が解った今、この場から逃げ去ることは容易だった。しかし、己の直感がそれを許さない。
「──何か、ある」
この火災、何かおかしい、椿は呟くと真っ直ぐに月を見つめながら走っていった。




