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十八.廻る、廻る─動─

 椿が漠然とした不快感に苛立っている頃、弥栄葉と朔乃は或る武家屋敷を目指して足を急がせていた。

 その屋敷を暮野邸と言う。城下の外れに位置するその建物は、規模こそ小さいが、確かに武家屋敷の体。何となく歴史を感じさせる厳めしい雰囲気を漂わせてもいる。主を暮野貞景くれのさだかげと言い、小規模ながらまとまった一族が住まっていた。

 急がなければ。もうすぐ日が、暮れる。

「──ッ、弥栄葉ッ」

 軽く肩で息をしながら朔乃は前方を行く友の名を呼ぶが、その背中は一向に振り返る気配がない。弥栄葉に振り返る気がないのではない、と朔乃は解っている。単に自分の声が弥栄葉に届いていないだけのことである、とも。何故なら今の弥栄葉のその瞳には、ただ一人の女しか見えていないことを知っているから。

「椿――」

 焦る表情で幼なじみの名を呟く弥栄葉の声は切実。痛いほど朔乃には弥栄葉の想いが伝わってくる。

 朔乃はいっそ、この身体を捨てて駆け出したかった。脆弱なこの身体のせいで、徒歩でしか移動できないことが、自身と弥栄葉を焦らせていることは、朔乃にとって明白な事実だった。

 急がなければ。

 その想いだけが先行して、この上もなくもどかしい。

 暮野がお上に反旗を翻す。

 全ては城下で囁かれる噂がきっかけだった。

 元々暮野は上と、高勝と折り合いが悪いと言う噂だった。高勝は守護大名から下克上の中で成長した戦国大名で、小さいながらにも他の戦国大名の例に漏れず、国人・地侍を家臣化しながらその勢力を広げてきた。しかし暮野は地侍の中でも独立性が強く、己の指導する村落への高勝の介入を許さず、その傘下に入ることを拒み続けてきた。

 その暮野の挙兵の噂。

 単なる小規模武士集団の鬱憤が爆発した、とそれだけの問題なら高勝は見向きもしないだろう。しかし問題なのは、暮野が民間から強い支持を受けていることにあった。下手に潰せば一揆が起きる。暮野は人望があると言う。ならばその人望の下に多数の援軍が参じていてもおかしくはない。そもそも決起の噂が事実であれば、あのような少人数で挑むはずがないのである。

 ならば。

 高勝以外の何者かが暮野を討ってしまえば良い。高勝が手出しをしなければ、暮野が何者かに討たれても、それは暮野の私怨であり、高勝は無関係を装うことが出来る。そうして指導者を失った村落を、庇護と言う名目で堂々と高勝は自領とする事が出来る。

 これはまだ憶測に過ぎず、噂の域を出ないことを弥栄葉と朔乃には否定できない。

 しかし、彼らにとって重要なのは、憶測でも、そこに椿が介入する余地があると言う所にあった。暮野を討つために用意される人員は、目立つことを避けるため出来るだけ少数かつ高勝から遠い人間であることが要求される。椿であれば高勝の人間でも無いし、一人で城一つ落とす程の腕がある。暮野を討つ“何者か”を椿が演じる可能性は十分にある。

 生きる世界を隔ててしまった。だから、どんなに小さな糸口も逃す気は二人にはなかった。

 今日、椿は現れないかもしれない。もしかしたら、噂すら真実で無い可能性もある。しかし二人は、椿が現れるまで、噂が単なる噂として終わるまで、幾晩も足を運ぶつもりで居た。もう後手に回るつもりは無い。

 日が、暮れる、暮れる。

 一心に進み行く二人の若者の目に映るのは、闇に浸食される武家屋敷と──

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