41話 帰ってきた
手紙は、とうとう机の上だけでは収まらなくなっていた。
読み終えたものは内容ごとに分けず、紐でまとめて窓際へ積み、まだ封を切っていない束だけを机の右端へ置いている。それでも新しい箱が届くたびに本の山が押しやられ、禁固が始まった時には広く感じた部屋も、いまでは扉から椅子まで人一人が通れる道を残すだけになっていた。
感謝の手紙も、火計を恐れる手紙も、同じように場所を取る。
レティシアが一通を読み終え、折り目どおりに戻していた時、王城の外から重い鐘が聞こえた。少し遅れて廊下を行き交う足音が増え、遠征へ出ていた主力が王都へ戻ったという報せが届く。
レオンも帰ってきた。
そう聞いてから、扉が叩かれるまでの時間だけが、ひどく長かった。
「レオン殿下です」
扉の外から告げられると、レティシアは手にしていた手紙を机へ置いた。
「入ってもらえ」
開いた扉から入ってきたレオンは、王城でいつも着ている服ではなく、まだ軍装のままだった。埃は落としてあっても、長く馬へ乗っていたためについた皺が外套と上着へ残り、剣帯も外していない。
部屋へ足を踏み入れた兄の目は、机にも窓際の箱にも向かなかった。
「怪我は」
「ない。本当にないぞ」
レティシアは椅子から立ち、両腕を広げて見せた。袖の下にも頬にも包帯ひとつないことを示すと、レオンは顔から肩、足元まで確かめ、ようやく張っていた息を吐いた。
「ならいい」
今度はレティシアが、まだ剣帯も外していない兄の軍装を見回した。自分だけ一度で信じてもらえると思うなと念を押してから、レオンにも怪我がないことを確かめ、二人は近くの椅子へ座った。
そこでようやく兄の視線が部屋を巡り、机から窓際まで積み上がった封書の山で止まる。
「これは何だ」
「手紙じゃ。何人から届いたかは知らぬ。エルンも途中から数えておらぬ」
レオンは箱の数を目で追ったものの、問いを重ねず、レティシアへ向き直った。
「話は聞いた」
さっきまでの軽さが、声から消えていた。
「火計のことか」
「それもだ。第四班が戻らなくなったあと、お前が自分で救援へ向かったそうだな」
「行った」
レオンは妹の顔を見たまま続ける。
「グロムを残した判断も、お前が現場で退路を決める必要があったことも聞いた」
そこで言葉を切った。
「だが、それだけか」
作戦上の理由は、森でグロムにも話した。それでも、自分で行くと決めた理由は、それだけではなかった。
膝の上へ置いた手を見下ろすと、火と煙の向こうにいるトーマではなく、その帰りを待つイルゼの顔が浮かんだ。
「……イルゼの父親がな、配給を隠した罪で王家に処刑されておった。公開処刑で、イルゼも見ておる」
レオンの表情から、わずかに残っていた笑みが消えた。
「それを、戦う前に知ったのか」
「うむ。トーマから聞いた」
レティシアは一度息を置き、言葉を選び直した。
「王家は、もうイルゼから父親を奪っておる。その王家の名を持つわたくしを信じ、トーマは前へ出てくれた。もし、あそこでトーマまで死なせれば、王家がイルゼから父親だけでなく、夫まで奪うことになると思った」
話し終えても、レオンはすぐには何も言わなかった。廊下を通る足音が扉の前を過ぎ、遠征軍の帰還でざわついていた王城の気配だけが、薄い板を隔てて伝わってくる。
「だから、自分で火の中へ戻ったのか」
「火の中というほど、ずっと燃えておったわけではない。煙は多かったが、炭焼き道を――」
「そこを軽くするな」
強い声ではなかった。それでも、言い訳の続きを止めるには十分だった。
レティシアが口を閉じると、レオンは火計が正しかったとも、救援へ向かった判断が間違いだったとも言わず、しばらく妹の顔を見ていた。
「よく帰ってきた」
褒められたのとは違った。責められたのでもない。何を考え、何を選んだかより先に、帰ってきたという事実だけを受け取られた声だった。
レティシアはすぐには返せず、机の上へ置いた手紙へ視線を落とした。感謝も恐れも、帰れたからこそ読めている。
「……兄さまもな」
「俺は火の中へ戻っていない」
「フェルンへ行っておった。帰ってこなければ困るのは同じじゃ」
「そういう話か?」
「そういう話じゃ」
言い切ると、レオンは小さく笑った。
重い話を続ける理由はもうなかった。レティシアが読みかけの手紙を取り直すと、兄も窓際の箱へ手を伸ばす。届く前にその手を押し戻し、宛名が自分なのだから勝手に読むなと告げると、レオンは、これだけあれば一通くらい減っても分からないだろうと返した。
「全部読むつもりか?」
「そのつもりじゃ」
「一か月で終わるか」
「……禁固が延びたら、兄さまのせいじゃぞ」
手紙を読むために禁固の延長を頼む王女はお前くらいだと笑われ、レティシアはすぐさま否定した。
「頼まぬ!」
レオンが声を立てて笑うと、部屋が少しだけ狭くなったように感じられた。
禁固が始まってから、この部屋へ入ってくるのは報告と手紙ばかりだった。兄が椅子へ座っているだけで、王城の外を流れていた時間まで一緒に戻ってきたようだった。
やがてレオンは椅子を引き、扉へ向かう前に足を止めた。
「もう一つだけ言っておく。次に同じことをするなら、せめて俺がいる時にしろ」
四万を焼くことも、火の残る森へ戻ることもだという。兄がいれば止めるだろうと返すと、レオンは迷わずうなずいた。
「止める」
「なら、いる時にする意味がないではないか」
「だから言っている」
最後まで話は噛み合わなかった。
レオンは扉の前でもう一度だけ振り返り、残りの禁固くらいは大人しくしていろと言った。もう半分以上過ぎていると返しても、残りだけでも、と譲らない。
「努力する」
それは以前トーマが口にして、お前に怒られていなかったかと指摘され、レティシアは扉が閉じる前に手元の封書を投げるふりをした。
*
禁固の残りの日々も、手紙は増え続けた。
すべてへ返事を書くことはできなかったが、届いたものはできる限り読んだ。町が救われたと礼を述べる者もいれば、火計を用いた王女を恐れる者もいる。一万を超える死者を出したやり方は認められないと書く者がいる一方で、もっと早くガルドを滅ぼすべきだったと主張する手紙まで届き、その一通にはさすがに長く首を傾げた。
同じ出来事を知っていても、受け取り方はまるで違う。
それでも、どれも何も知らない者の言葉ではなかった。ヴァルナで火が放たれ、多くの兵が死に、ガルド軍が退いたことを知ったうえで、自分なりに考えた結果が紙へ書かれている。
レティシアは賛成と反対へ分けず、読んだ順に紐でまとめた。
禁固が終わる前日には、新しい箱を置く場所もなくなった。
「これは持って帰れるのか?」
荷を確認しに来たエルンへ尋ねると、銀縁眼鏡の奥の視線が、机から窓際、床の箱へ順に動いた。
「リンデへ、すべてですか」
「わたくし宛なのだから、置いていくわけにもいくまい」
エルンは荷車が必要だと答え、書物を減らせば一台でも足りると付け加えた。
「手紙を減らす案を先に出せ」
「殿下宛ですので」
以前、自分がレオンへ言った言葉を返され、レティシアは何も言えなくなった。
*
翌朝、禁固は予定どおり解かれた。
特別な儀式はない。扉が開き、もう部屋の外へ出てよいと告げられただけだった。
一か月ぶりに王城の廊下を歩き、城門を抜けたところで、レティシアは足を止めた。
空が広い。
禁固になる前なら、わざわざ考えもしなかったことだった。窓の枠も、壁の端もない空が、頭上から街並みの向こうまで続いている。
「殿下」
少し先を歩いていたエルンが振り返る。
「どうされました」
「何でもない」
レティシアはもう一度だけ空を見上げ、荷車に積まれた手紙の箱へ目を移した。
「リンデへ戻るぞ」




