40話 禁固
禁固が始まって三日目、レティシアは同じ一行を三度読んでから本を閉じた。
書物まで取り上げられたわけではなく、机には未読の本が積まれ、紙も筆も自由に使える。窓を開ければ王城の庭が見え、決まった時刻には食事も運ばれてきた。
ただ、外へは出られない。
リンデにいれば、共同倉庫へ行くだけで新しい帳面が届き、道へ出れば昨日とは違う穴や荷車が見つかった。売り場では値札が変わり、畑では誰かが水路へ鍬を入れる。何も起きていないように見える日でさえ、歩けば必ず、まだ知らないものが一つはあった。
ここでは、朝に見た庭が昼になって明るさを変えるだけだった。
「一か月は長いのう」
声にしても返事はない。レティシアは閉じた本の上へ両腕を重ね、窓の外へ目を向けた。庭師が植え込みの端を整え、切った枝を籠へ集めている。何をしているのかは見えても、窓から指示を出すわけにはいかなかった。
次の本へ手を伸ばしたところで、扉が叩かれた。
「殿下。エルンです」
「入れ。……今度は、きちんと待ったな」
返事のあとで扉が開き、いつもの帳面を抱えたエルンが入ってくる。
「緊急報告ではありませんので」
それだけで少し笑いそうになったが、レティシアは椅子へ座り直した。
「何じゃ。見張りに来たのか」
「報告です」
それなら座れと椅子を示したものの、エルンはすぐ終わると言い、机の端で帳面を開いた。
「ガルド軍は国境の向こうまで撤退しました。現在、組織だった再侵攻の動きは確認されていません」
続いて報告されたのは、カレドの現状だった。生存者の確認と負傷者の手当てが続き、周辺の町から食料と人員が送られ、家を失った者のための仮住居も用意され始めている。
「町は戻せそうか」
「すぐには。家屋だけでなく、倉庫や家畜も失われています。家を直しても、そこで暮らしを再開するための物が足りない者もおります」
レティシアは机の上で指を組んだ。
カレドより先へ行かせずに済んだ。それを成功だと思う気持ちは、会議で答えた時から変わっていない。成功したからといって、カレドで失われたものまで小さくなるわけではなかった。
必要な物と人数は残さず記録してほしいと頼むと、すでに内務へ提出済みだという。
「早いのう」
禁固中の殿下を待つ必要はないと、エルンは当然のように答えた。
「少しくらい、わたくしがおらず困ってもよいのではないか」
「困るのはカレドの住民です」
反論する言葉が見つからず、レティシアは組んだ指をほどいた。
エルンは何事もなかったように次の頁へ移り、戦後の民情について報告を始めた。ガルド軍撤退の報せは王都から地方へ広がり、いまや民の話題はレティシア殿下一色らしい。
「……なぜじゃ」
「殿下が四万を退けたからです」
「五十人で、じゃろ」
その五十人を集め、火計を命じたのも殿下だと、エルンは淡々と返した。
どこから逃げても戻される。レティシアは椅子の背へ身体を預けた。
「それで、何と言われておる」
エルンは帳面へ目を落とした。
「国を救った王女」
「悪くない」
次の行へ視線が移る。
「五十人で四万を破った王女」
「五十人を先に申せ。わたくし一人で戦ったようではないか」
エルンはさらに頁を下った。
「ガルドを焼いた悪魔」
「待て」
思わず身を起こすと、エルンが顔を上げた。
「何じゃ、それは」
「実際に使われている呼び名です」
「わたくしが一人で四万人へ火を投げたようではないか」
「問題は、そこでしょうか」
「ほかに、どこを問題にせよというのじゃ」
エルンは答えず、帳面を一頁めくった。そこには、先ほどまでより細かな字が並んでいる。
「恐ろしいと話す者もおります。同じ国の王女が、あれほどの火を使ったことを不安に思う者、敵であっても一万を超える死者が出たことへ疑問を持つ者、殿下を英雄とは呼べないと話す者もおります」
今度は、レティシアも口を挟まなかった。
ただし、現時点では称賛する声の方が多いという。
「なぜじゃ」
「ガルド軍が、自分たちの町まで来なかったからでしょう」
答えは簡単だった。
レティシアが守ろうとしたものを、戦場の外にいた者たちも、自分の家や家族として見ている。だから礼を言う者がいる。同じ事実を見て、火を使った王女を恐れる者もいる。
エルンは英雄とも悪魔とも書かず、どちらの声も同じ頁へ残していた。
民情の報告を終えると、エルンは扉脇の低い台へ視線を向けた。紐でまとめられた封書が、十通ほど置かれている。
「殿下宛の手紙です」
「……全部、わたくしに?」
「はい。まだ増える見込みです」
どれほど増えるのか。今回ばかりは、エルンの帳面にも答えがなかった。
*
エルンが帰ったあと、レティシアは封書の束を机へ運び、紐をほどいた。
一番上には、見覚えのない町の名と、知らない女の名が書かれている。封を切って紙を開くと、文章は短かった。
ガルド軍がカレドを越えたと聞き、家族で逃げる支度をしたこと。幼い子供がいて、どこまで歩けるか分からなかったこと。撤退の報せが届いた夜、久しぶりに家族全員で眠れたこと。
最後に、ありがとう、とだけ書かれていた。
レティシアは読み終えた紙をすぐには畳まず、机の端へ広げたまま、次の封を切った。
二通目も感謝だった。三通目には、戦える者がいない家で、荷をまとめながら報せを待っていたと書かれている。町の名も、書いた者の年も違ったが、自分たちのところまでガルド軍が来なかったという一文は、何度も形を変えて現れた。
三通目を読み終えたところで、レティシアは少し困った。
王女として式典へ出れば、決まった言葉で礼を受けることはある。だが、これを書いた者たちは、火が使われ、多くの兵が死んだことまで知ったうえで、それでも感謝を送ってきている。
四通目の冒頭は、これまでと違っていた。
『私は、殿下を英雄とは呼べません』
読む手が止まる。
ガルドの侵攻は許せず、自分の町が救われたことには感謝している。それでも、一万を超える兵が死ぬやり方しかなかったのか、敵にも帰りを待つ家族がいたのではないかと書かれていた。
最後には、答えを求めるつもりはない、と添えられている。
レティシアはその紙を、感謝の手紙と同じ場所へ置いた。
次の封書には、もっと短く、はっきりした言葉があった。
『怖いです』
火計を用いた王女が、この国にいることが怖い。次にその火が、敵ではなく自国の民へ向けられないと、どうして信じられるのか。
「向けるわけなかろう」
思わず声が出た。
返事を書く相手は、ここにはいない。
書き手は、ヴァルナで何を見て、なぜ火を使ったのかを知らない。四万を止めるためだったことも、カレドより先へ進ませないためだったことも、レティシアの胸の中まで見えるはずがない。
説明すれば分かる者もいるだろう。
説明を聞いても、怖いと思う者はいる。
その紙も、別の場所へ分けず、同じ束の上へ重ねた。
礼も、疑問も、恐れも、どれも自分がしたことへ向けられた言葉だった。
窓の外が暗くなり、灯りを持った者が入ってきても、レティシアは封を切る手を止めなかった。その日のうちに、届いた十通をすべて読んだ。
*
翌日には、十五通が届いた。
さらにその次の日、扉を開けたエルンの後ろには、封書を詰めた箱を抱える者が立っていた。
「……増えすぎではないか?」
エルンは箱を机へ置きながら、昨日より増えたとだけ答えた。
「見れば分かる」
机の上へ置ききれなくなった分は窓際へ積まれ、本の山が少しずつ壁の方へ追いやられていった。
最初は一束だったものが二束になり、箱になり、禁固の部屋で場所を取り始める。外へ出ることは禁止されていても、外から届く声まで止めることはできなかった。
レティシアは新しい箱を自分の方へ引き寄せ、その日も一通ずつ封を切った。




