38話 助けに行く
「俺が行く」
第四班が戻っていないと分かった途端、グロムは武器を取り直した。レティシアは首を振る。
「おぬしは残れ。まだ戻った者が四十人以上おり、ガルド軍が本当に退いたかも分からぬ。ここで何か起きた時、全体を動かせる者が必要じゃ」
「なら、お前が残って別の奴を出せばいいだろ」
「第四班を最後まで残すと決めたのは、わたくしじゃ。沢が使えぬなら、どこから回り、どこで退かせるかをその場で決めねばならぬ。七人には道と敵を見てもらう。判断する者まで人任せにはせぬ」
レティシアは待機地点へ集まった者たちを見た。グロムは言い返さず、煙の上がる森と、待機地点へ集まった者たちを見比べた。第四班を探しに行きたい気持ちは同じだった。それでも、五十人を連れてきた以上、目の前にいない者だけを見て、戻った者たちを無防備にはできない。
「山狼衆を七人借りる」
「俺が選ぶ」
「頼む」
グロムは振り返り、名前を呼ばずに指で七人を選んだ。示された者たちは短剣や弓、水筒を確かめ、すぐレティシアの周りへ集まる。
「エルンは残れ」
「殿下」
「ここで何が起きたかを残す者が要る。敵の動きが変われば、グロムと一緒に全員を退かせよ。わたくしが戻らぬ時も同じじゃ」
エルンは何か言いかけたが、抱えている帳面へ一度目を落とし、顔を上げた。
「承知しました。ただし、戻られない場合の記録まで書くつもりはありません」
「ならば、わたくしが戻るまで欄を空けておけ」
レティシアは沢の方角へ向きかけ、足を止めた。あそこはもう退路ではない。火から逃げたガルド兵が入り込み、第四班も使えなかった可能性が高い。
「炭焼き道を使う。沢の反対側から、最奥の岩場へ回るぞ」
七人のうち一人が、斜面の上へ続く木立を見た。
「準備の時に倒木をどかした道か」
「うむ。第四班があちらへ逃げた保証はないが、沢を正面から進めば、逃げてくるガルド兵とぶつかる。高い場所へ上がったなら、炭焼き道の方が近い」
迷っている時間はなかった。
「行くぞ」
八人で森へ入った。
*
火計の跡は、街道へ近づく前から森の中に残っていた。幹の片側だけを黒く焦がした木、根元でまだ赤く燻る落ち葉、熱に炙られて丸まった草。煙は高い場所へも流れ込み、息を吸うたび喉の奥へざらついた苦みが残った。
山狼衆の一人が先へ出て枝を払い、別の一人が足元の崩れを確かめる。準備の時に人一人が通れるだけの幅を作った道は、煙の中ではさらに細く見えた。斜面の途中に、ガルド兵が一人倒れていた。仰向けの身体は動かず、手から離れた剣が落ち葉へ半分埋まっている。
レティシアは顔を確かめなかった。見なかったことにしたのではない。自分が命じた火の中で、この兵が倒れたことだけは分かる。いま足を止め、何者だったのかを知ったところで、その先にいる者を探す時間が減るだけだった。
「殿下、こちらです」
先を行く男が張り出した枝を持ち上げる。炭焼き道は斜面を横切りながら尾根へ続き、途中からは手をつかなければ越えられない岩が増えた。短い脚では一度で届かない場所もあり、レティシアは差し出された腕を借り、上がり切るとすぐ自分の足で次へ進んだ。煙が目へ染みる。袖で口元を覆いながら歩いていると、先頭の男が不意にしゃがみ、後ろへ手を上げた。
「止まれ。声がする」
全員が動きを止める。木が燃える音に混じって、遠くから誰かの声が届いた。
「――こっちだ!」
聞き覚えがあった。
「トーマ!」
返事まで、ほんの少し間があった。
「レティシア王女!?」
レティシアは炭焼き道を外れ、声のした斜面へ上がった。岩場の上に人影が見える。一人、二人と数えながら近づき、最後にトーマを見つけたところで、胸の奥へ詰まっていたものがようやく少し下りた。
「全員おるか!」
「います。第四班、全員です」
「ならば、なぜ戻らぬ!」
「沢を取られました。あそこへ降りるたびガルド兵が増えてきて、道がなくなったんです」
「なくなったのではない。敵に取られたのじゃ!」
「それを、道がなくなったって言うんじゃないですか?」
「言わぬ!」
言い返せるなら、まだ動ける。レティシアは人数をもう一度確かめてから、岩へ背を預けて座る男に気づいた。右脚が布で固く縛られ、立とうとするたび、膝から下へ力が入らない。
「怪我人か」
「沢へ下りる途中で斜面から落ちました。肩を貸せば少しは進めますが、長く歩くのは無理です」
トーマが答える。
「沢へ戻れなくなった時、置いていけばほかの者だけでも逃げられたであろう」
「そうですね」
トーマは負傷した男へ一度だけ目を向け、それ以上の説明をしなかった。誰も置いてこなかった理由を、言葉へ直す必要はなかった。
「ならば、全員で運ぶ。炭焼き道へ入れば一列にしか進めぬから、負傷者を先へ入れ、後ろから交代で支えよ」
山狼衆へ指示を出そうとした時、下の斜面から枝の折れる音が続けて聞こえた。一度ではない。誰かが、こちらへ上がってくる。七人が一斉に武器へ手を伸ばした。第四班の者たちも、疲れた身体を岩から起こす。
「ガルド兵です」
岩場の端を見張っていた男が言う。
「さっきから火を避けて何人も上がってきています。隊列はありませんが、道を探している」
レティシアは炭焼き道の入口と、立てない男を見た。ここで敵を倒すために来たのではない。全員を連れて帰るために来た。
「負傷者から先に入れよ。第四班が続き、救援の者は最後じゃ」
山狼衆の一人が斜面の下を見た。
「敵はどうする」
「道へ入るまで止める。それ以上は追うな。こちらが退けば、あれらも火から逃げる道を探すだけじゃ」
下から、一人のガルド兵が姿を現した。煤で顔を黒くし、鎧の一部を捨てている。それでも手には剣が残っていた。その後ろから別の人影も上がってくる。
「道だ!」
こちらを見つけた兵が叫んだ。
「急げ!」
レティシアが振り返る。第四班の二人が負傷者の両脇へ入り、肩へ腕を回させて立たせる。右脚が地面へ触れた途端、男の顔が歪んだ。
「歩かせるでない。身体ごと持ち上げよ。前が詰まれば、後ろから押してでも進める」
「殿下は?」
トーマが負傷者の後ろへつきながら尋ねる。
「最後まで人数を見る」
「また、最後に残るんですか」
「誰が道へ入ったか分からなくなれば、探し直すことになるであろう!」
「それはそうですけど、早く来てくださいよ!」
「口を動かす暇があるなら前を押せ!」
トーマは笑ったのか咳き込んだのか分からない声を出し、そのまま炭焼き道へ入っていった。
岩場の端で剣がぶつかる。山狼衆の二人が最初の兵を押し返し、狭い斜面へ上がらせない。倒すためではなく、入口へ近づけないための一撃だった。退いた兵へ後ろの者がぶつかり、二人とも足場を崩す。
「第四班、全員入ったか!」
「あと二人!」
入口から声が返る。レティシアは岩場に残る人影を数えた。第四班が二人。山狼衆が七人。自分。
「第四班の二人、先へ行け!」
示された二人が炭焼き道へ入る。山狼衆は少しずつ後ろへ下がりながら、迫る兵を斜面の下へ押し戻していた。
「救援、三人入れ!」
「殿下より先に?」
「数えておる! 早く行け!」
三人が入口へ消える。残る山狼衆は四人。自分を含めれば五人。
下から上がってきた兵は、もう最初の一人だけではなかった。炎から逃げてきた者たちに隊列はなく、鎧を脱ぎ、盾も槍も捨てている。それでも手に刃が残っている限り、こちらには危険だった。
「あと二人、入れ!」
指示された二人が下がる。岩場に残るのは、山狼衆二人とレティシアだけになった。
「おぬしが先じゃ!」
「王女を置いて帰ったら、頭に殺される!」
「わたくしを置いて死んでも殺されるぞ!」
「どっちにしろかよ!」
男は悪態をつきながら入口へ下がった。レティシアはその背が道へ入ったことを確かめ、最後の一人へ腕を伸ばす。
「もうよい、来い!」
「先へ入れ!」
「わたくしが先では、誰がおぬしを数える!」
最後の男は迫った剣を一度だけ受け、刃を外へ弾くと、後ろへ飛ぶように炭焼き道へ入った。レティシアも続く。
「走れ!」
誰も振り返らなかった。炭焼き道は、一人ずつ通るだけでいっぱいになる。前の者が倒木を越えれば次が続き、負傷者のところで列が詰まると、後ろから伸びた腕が身体ごと押し上げる。追ってくる足音はしばらく聞こえていたが、道が細くなり、張り出した枝と崩れた土が続くにつれて遠ざかっていった。
それでも止まらない。森を抜け、待機地点へ戻るまで、レティシアは前に続く背中を数え続けた。
*
「戻ったぞ!」
先頭の声に、待っていた者たちが一斉に立ち上がった。グロムが走ってくる。
「第四班は!」
「全員おる。怪我人が一人じゃ」
負傷者を運んでいた者たちが地面へ座らせ、手当てのできる者がすぐ脚の布をほどき始めた。エルンも帳面を持って近づいてきたが、レティシアは報告より先に周囲へ目を走らせた。
「数えるぞ」
「今か?」
「今じゃ。動くでない!」
第四班。救援へ出た山狼衆。先に戻っていた第一、第二、第三班。水桶のそばにいる者、負傷者の手当てへ回った者まで、一人ずつ指で追う。途中で数が合わなくなった。
「待て。おぬし、先ほどあちらにおったであろう」
「水を取りに行ってました」
「勝手に動くでない! 最初からやり直しじゃ!」
誰かが笑いかけたが、レティシアが睨むと口を閉じた。もう一度、端から数える。今度は合った。
負傷者はいる。煤だらけの者も、袖を焦がした者も、煙を吸って咳き込む者もいる。それでも、欠けてはいなかった。
「全員です」
エルンの帳面でも、同じ数になったらしい。レティシアはそこで初めて息を吐いた。グロムが周囲を見回し、笑う。
「五十人で四万を相手にして、死人なしか」
「まだ勝ったと決まっておらぬ」
「お前、本当にそういうところだぞ」
何が悪いのか聞き返しかけたところへ、森の外から馬が駆けてきた。偵察に出ていた男が、止まりきる前から声を張る。
「ガルド軍、退いています! 森へ入っていた部隊も、西へ下がり始めています!」
待機地点に歓声が上がりかけた。レティシアは背後を振り返る。ヴァルナの森からは、まだ煙が上がっている。あの向こうには帰らない者が大勢いて、こちらには五十人がいる。
全員いる。それで十分だった。
「……帰るぞ」




