↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レティシア ~小さな王女の国づくり~  作者: yurihina
2章 最初の外交
29/42

29話 報告と援軍

 十月最初の朝、王城の長卓には、四月から九月までのリンデが積まれていた。


 革紐で閉じられた王家の記録。その間に、紙の端が丸まり、訂正の墨が何度も重なった村の帳面が混じっている。共同倉庫で机から机へ渡され、人の手を経てきた帳面だけが、整った会議室の中で少し場違いに見えた。


 財務大臣は、その一冊を開いた。


「六月以降、リンデの倉から王家が動かせる備蓄は減っています。上半期の納入額も、当初の見込みへ届いておりません」


 読み上げる声に、責める響きはなかった。


 頁がめくられる。干し肉を作りすぎて売れ残った月、翌月には値を下げすぎ、塩と薪を引けば加工した者の取り分まで失った記録。品を渡したあとに帳面へ書き忘れ、売れた数と受け取った銅貨が合わなくなった日も、訂正線ごと残されている。


「こちらは道路補修です。試行開始時の予定にはなかった支出となります」


 別の帳面が開かれ、石を運んだ者へ支払った額と、道を使う者たちが負担した費用が示された。以前なら王家の側へ残っていた金や品の一部は、余剰を作った者や、公共の仕事へ出た者の手元へ移っている。そのぶんだけ、王家が直接持つ財産は減っていた。


 どの数字にも、間違いはない。


 最後の頁まで確かめると、財務大臣は帳面を閉じた。


「以上が、四月から九月までの上半期決算です。試行開始後の四か月も含まれています。訂正される点はございますか」


 エルンの指が手元の集計へ掛かった。


 説明を足そうと思えば、いくらでも足せる。干し肉は次の月に量を変えた。記入漏れも、見つけたあとに確認の仕方を直している。道路補修は予定外でも、荷車が沈む場所を使う者たちが自分で決めた仕事だった。


 だが、それらを並べても、いま長卓に置かれた数字が別の数字になるわけではない。


 レティシアは小さく手を上げた。


「ない。いま申されたことは、すべて事実じゃ。品を作りすぎ、値も誤り、帳面が合わぬ日もあった。王家が動かせる備蓄と金も、試行前より減っておる」


 長卓の向こうで、いくつかの顔が上がった。


「じゃが、わたくしが願ったのは、最初から間違えぬ仕組みを一日で作ることではありませぬ。一年だけ試し、失敗した時に何を直せるかまで確かめる時間です。まだ始めて四か月、約束の一年は終わっておりませぬ」


 王はすぐには答えず、財務大臣が閉じた帳面へ手を置いた。革表紙の下には、失敗も、その後に書き足された直し方も同じように残っている。


「約束は一年だ。試行開始から一年が経った時点で改めて判断する。それまでは続けよ」


 レティシアは椅子から頭を下げた。


「ありがとうございます」


 財務大臣も反論を重ねず、帳面を自分の側へ戻した。


「では、一年後には、同じ項目で改めて報告を受けます」


 会議が終わると、長卓の上から半年分の帳面が一冊ずつ集められていった。数字が良くなったわけではない。それでも、試すために残された時間まで、今日の数字だけで取り上げられることはなかった。


     *


 会議室を出たあと、レティシアとエルンは別室の机へ月ごとの集計を広げた。


 半年を一つに足せば、先ほど聞いた上半期決算になる。だが、試行開始後の六月から月ごとに並べると、同じ形ではなかった。王家の側へ残る備蓄も金も減り、売れ残りや記録の不一致まで含んだ数字だった。


 だが、頁を月ごとに並べると、同じ形ではなかった。


 初めの月を埋めていた訂正線は、次の月には少し減っている。作りすぎた品は量を変え、値を下げすぎた品には材料費と手間を分けて記す欄が増えた。記入漏れが見つかったあとには、品を渡す者と銭を受け取る者が、同じ場で互いの印を確かめるようになっている。


「財務大臣の申したことは正しい。四か月を合計すれば、備蓄も金も減っておる」


 レティシアは、六月と九月の頁を左右へ置いた。


「じゃが、同じ失敗を四度繰り返した数字ではない。失敗するたび、次の月の書き方と動きが変わっておる」


 エルンは二枚を見比べ、別の集計用紙を取り出した。


「九月からは、ヴィクトルとの取引が加わっています。村の中だけで物を動かしていた時とは、分けて確認する必要があります」

「うむ。外へ売れた量だけを成果にするでないぞ。ヴィクトルが買い集めたことで、村の者が同じ品を買えなくなっては意味がない。十月からは、外へ出た量と、村に残った量、村の中の値を並べて記せ」

「備蓄が減った理由も、消費、売買、損耗へ分けます」

「それと、売り手の取り分もじゃ。品が高く売れても、材料を出した者や加工した者へ何も戻らなければ、帳面の上で銭が増えただけになる」


 新しい欄が一つずつ加えられ、九月までの集計とは違う紙ができていく。


 エルンは筆を置き、増えた項目を上から読み直した。


「年度末には、先ほどの報告より確認する数字が増えます」

「増やした方がよい。悪い数字を隠すためではなく、何が悪く、何が変わったのかを同じ合計へ埋めぬためじゃ」


 月別の頁を重ね直す。


 一年は、まだ途中だった。


     *


 十月も終わりへ近づいた頃、同じ長卓から帳簿が消えた。


 代わりに広げられていたのは、ルミナ北部から同盟国フェルンへ続く街道図だった。地図の端には、早馬で届いた書状が開かれ、フェルン王家の印が押されている。


 第一王女エレオノーラが嫁いだ国だった。


 軍務大臣が国境付近へ駒を置き、届いている報告を地図へ重ねる。隣国との交戦が続き、フェルン軍だけでは戦線を支えきれなくなっている。援軍が遅れれば、被害は内側へ広がり、フェルンが崩れれば、その先にあるルミナ北方も無事では済まない。


 レティシアは、王の手元にある書状から目を離せなかった。


 姉がいる。


 その事実だけを先に考えれば、今すぐ兵を出してほしい。だが、同盟条約も、北方の守りも、そこへ向かう兵の数も、姉一人のためだけに動く話ではなかった。


 報告を最後まで聞いた王は、書状を地図の脇へ戻した。


「援軍を出す」


 胸の奥で張っていたものが、わずかに緩んだ。


 そこから会議は、翌朝までに何を動かせるかへ変わった。すぐに出せる常備軍の規模、フェルンまでの行軍日数、街道上で必要になる食料と軍馬、武器、治療用品が順に確認される。


 軍務大臣が先頭へ置く駒を選び、王が顔を上げた。


「レオン、お前に任せる」

「承知しました」


 兄はレティシアを見なかった。


 短い返答のあとは、もう部隊の編成と行軍路の確認へ移っている。地図の脇にあった駒が北へ伸びる街道に沿って並べ直され、誰をどの順で動かし、どの宿場で何を補うかが決まっていく。


 会議が終わる頃には、出撃は翌朝となっていた。


     *


 その夜、王城の灯りはなかなか減らなかった。


 部屋へ戻っても廊下を走る足音が途切れず、窓の外からは馬のいななきと車輪の軋みが聞こえてくる。レティシアは外套を羽織り、まだ眠る気配のない城内へ出た。


 厩舎では、軍馬が一頭ずつ馬房から引き出されていた。蹄を確かめる者、馬具を締める者、鞍の脇へ水筒と荷を結ぶ者が、狭い通路ですれ違う。一頭が外へ出れば、空いた場所へ次の馬が連れてこられ、確認を終えた印が管理札へ加えられた。


 武器庫の前では、数え終えた剣と矢束が部隊ごとの荷車へ積まれている。食料の袋は行軍日数に合わせて分けられ、別の車には包帯、薬、添え木、替えの馬具が収められていた。


 昼の会議では、どれも準備項目として呼ばれた名前だった。


 いまは人が抱え、数え、荷台へ持ち上げるたびに、それぞれ違う重さを持っている。


 兵舎の前にも人が絶えなかった。装備を受け取って列へ加わる者がいれば、外から呼び戻された兵が息を切らしたまま自分の部隊を探している。足りない荷は隣の車から移され、確認を終えた場所から、声と足音が少しずつ減っていった。


 少し離れた灯りの下では、レオンが軍務の者たちに囲まれ、地図と名簿を交互に見ていた。一人の報告が終わる前に次の者が待ち、短い指示が出るたび、人か馬か荷車が新しい場所へ動いていく。


 レティシアはそちらへ数歩進み、やめた。


 話しかける言葉がなかったわけではない。姉を頼むと言いたかったし、兄にも必ず帰れと言いたかった。


 だが、いまレオンの前に並んでいるのは、妹へ返事をするための時間ではなく、翌朝までに軍を動かすための確認だった。


 その言葉は、明朝まで取っておくことにした。


 夜が深くなると、布を掛け終えた荷車が城門の内側へ一台ずつ移され、馬も部隊ごとの位置へ並び始めた。準備を終えた兵から休むよう命じられても、灯りの下ではまだ何人もの手が動いている。


 一年を試すための帳面とは違い、こちらの期限は翌朝だった。


     *


 夜が明けきる前から、王城の門前には軍列ができていた。


 白い息を吐く騎兵の後ろに歩兵が並び、そのさらに後ろへ、武器と食料、治療用品を積んだ荷車が続く。前夜まで城内のあちこちに散っていた物と人が、いまは北へ向かう一つの列へ組み込まれていた。


 先頭に近い場所で、レオンが部隊からの報告を受けている。一人が離れると次の者が来て、短いやり取りが終わるたび、列の隙間が埋まり、馬の向きが揃っていった。


 レティシアは報告の切れ目を待ち、兄の前まで歩いた。


 レオンがこちらへ顔を向ける。


「姉さまを頼む」


 兄は一度だけうなずき、すぐ馬へ上がった。


 言いたかったもう一つは、口にできなかった。


 必ず帰れと命じても、戦場のことまで約束にはできない。それでも、馬上の背が前へ向くまで、レティシアはその場を動かなかった。


 城門が開く。


 最初に騎兵が進み、蹄の音が石畳を渡って門の外へ続いていく。レオンの姿は、前を行く兵と重なり、やがて見えなくなった。


 それでも列は終わらない。


 歩兵が続き、昨夜積まれた剣と食料と治療用品が、荷車に載って一台ずつ王都の外へ運ばれていく。門の脇には見送りに来た者たちが立ち、兵の名を呼ぶ者も、何も言わずに見つめる者もいた。


 列を離れる兵はいない。


 ただ、通り過ぎる一瞬だけ顔を向け、待つ者の姿を確かめてから、また前へ戻していく。


 レティシアはいつの間にか、見えなくなった兄ではなく、目の前を通る一人ずつを追っていた。兄の後ろにも戦場へ向かう者がいて、その一人ずつに、帰りを待つ人がいる。


 替えの軍馬が通り、もう終わりかと思ったあとにも荷車が一台続いた。


 最後の車輪が門を越え、その音が街道の先へ遠ざかって、ようやく列が途切れる。


 見送っていた者たちは、すぐには動かなかった。レティシアもしばらく、開いたままの城門を見ていた。


 城へ戻る途中、訓練場の横を通る。


 いつもなら朝から木剣と掛け声が響く場所だった。


 今朝は、風が広い砂地を薄く撫でているだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。