25話 アイゼンベルグ
リンデを離れて幾日か進むと、街道の幅が少しずつ変わり始めた。
最初のうちは、向かいから荷車が来るたび、どちらかが路肩へ寄らなければすれ違えなかった。やがて二台が並んでも車輪を落とさないほど道が広がり、国境へ近づく頃には、反対側から来た荷車が速度を落とさず横を通り過ぎていく。
「リンデなら、今の二台はどちらかが止まっておるな」
「その後ろの三台まで、詰まらず通った」
「兄さまも数えておったのか」
レオンは答えず、次に近づく荷車へ視線を移した。
兄も同じものを見ていたと分かっただけで、レティシアは少し機嫌がよくなった。
道を進むにつれ、行き交う荷も変わっていく。木材や穀物に混じり、布で覆われた金属の塊や、荷台から大きくはみ出す黒い棒が目立ち始めた。車体には工房のものらしい刻印が焼き付けられ、レオンはすれ違うたび、その形を確かめている。休憩で同じ場所へ止まった御者には、どの工房へ運ぶ荷なのかまで尋ねていた。
周囲を見る護衛の目は失っていない。
ただ、道の先にある町を楽しみにしていないふりも、もうできていなかった。
その日は、日が沈んでもアイゼンベルグへ着かなかった。
遠くの空だけが赤く明るい。炎そのものは見えないのに、地平近くの雲が下から照らされ、夜の中へ淡い色を残している。
「町の火が、あそこまで空を染めるのか」
「炉が多いんだろう」
レオンの返事は短かったが、声はいつもより少しだけ前へ向いていた。
翌朝、城壁より先に槌音が聞こえた。
低い音のあとを高い音が追い、その隙間を別の槌が埋めていく。一つの工房から響いているのか、いくつもの工房が重なっているのか、近づいても区別できない。
やがて屋根の向こうから何本もの煙が上がり、風に流されながら同じ方向へ伸びている。山火事の煙とは違い、誰も消そうとはせず、町へ向かう人々も足を止めない。
あれが、アイゼンベルグの日常なのだ。
前を進む荷車が坂へ差しかかり、馬の歩みを遅くした。布の隙間から見える黒い棒はレティシアの腕より太く、それが何本も重ねられている。車軸が軋むたび、荷を引く馬の背へ筋が浮いた。
「兄さま、あれは全部、鉄か?」
「たぶん。俺も、あれほど積んだ荷車は初めて見る」
「兄さまも初めてなら、わたくしだけが浮かれておるわけではないな」
「お前は鉄を見る前から浮かれていた」
反論を探しているうちに、別の荷車が横を通った。布の下から剣の柄らしいものが何本も並んで見え、レティシアの意識はあっさりそちらへ奪われる。
門をくぐると、どこを見ればよいのか分からなくなった。
開け放たれた工房では、職人たちが赤く焼けた金属を囲み、その隣の軒下には刃の付いていない剣が何十本も並んでいる。通りの奥には、屋根より高く鉱石が積まれていた。
「兄さま、剣があれほど並んでおる」
「まだ完成していない。刃の付いていないものもある」
「あれで未完成なのか」
レティシアが剣から目を離さないうちに、レオンは反対側の通りを指した。大きな盾を掲げた店の奥で、鎧の胸当てが壁一面に並んでいる。
少し進めば、また別のものが見つかった。レティシアが兄の袖を引き、レオンも新しい工房の紋章を見つければ、黙ってそちらを指す。一人で来ていたなら、目に入ったものの半分も覚えていられなかったかもしれない。
「見つけたものを、一人で見るのはもったいないだけじゃ」
誰にも理由を尋ねられていないのに、レティシアは前を向いたまま言った。
レオンは笑ったが、何も言わなかった。
*
完成した鍋と刃物を積んだ荷車が、通りの向こうから現れた。
同じ形の鍋が荷台へ重ねられ、その隙間には布で包んだ刃物が差し込まれている。車輪の脇には大きな木札が結ばれ、工房名と数量、運び先が記されていた。
役人は札を確認し、通りの奥にある倉庫を指した。
御者はすぐに手綱を動かさない。
道の反対側では、客の集まった店の主人が、荷台の鍋へ向けて手を上げていた。店先に並ぶ品は残り少なく、空いた棚まで見えている。
「向こうの店なら、今日中に売れる」
御者が示しても、役人は言い返さず、木札に記された行き先を指で二度叩いてから、同じ倉庫をもう一度示した。
店主はまだ手を上げていたが、御者は手綱を引いた。鍋を積んだ荷車は、買い手のいる店先を通り過ぎ、指定された倉庫へ向かっていく。
「売れる場所が見えておるのに、行き先は変えられぬのじゃな」
「役人が今決めたわけじゃない。最初から、札に行き先が書かれている」
仕組みについては、王都でも聞いていた。
それでも、買い手が手を上げている前を、荷車が通り過ぎるところまでは、帳面の説明から想像できなかった。
レティシアは、自分たちの荷車に結ばれた札へ目を戻した。そこに書かれているのは運び先ではなく、誰が何をしたかだった。
少し進んだ先では、荷台を空にした商人が役人の前へ止まり、一日の売上を記した帳面と、硬貨の入った袋を差し出していた。役人は数字と中身を照らし合わせ、どちらも手元の箱へ収める。
商人は、空になった革袋だけを腰へ戻した。
「荷だけではない。売れた後の銭まで、あちらへ渡すのじゃな」
「商人が、自分で残す額を決めているようには見えない」
レオンも、それ以上は断定しなかった。
売上はいったん国へ集められ、決められた分が後から戻される。目の前で見ると、何をどこへ運ぶかだけではなく、売れた後の銭まで、同じ仕組みの中へ収まっていることがよく分かった。
それでも通りを行き交う品の量は減らず、鍋も刃物も次々と運ばれ、倉庫の前には別の荷車が順番を待っている。客も職人も商人も、リンデとは比べられないほど多かった。
レティシアは、自分たちの荷車を振り返った。
薬草、干し肉、用途の分からない青筋石。リンデで選んだ時にはそれなりの量に見えていた見本が、この町では荷台の隅へ寄せた小箱にしか見えない。
「わたくしたちの荷は、ずいぶん小さく見えるのう」
「小さいな」
「兄さま、そこは少しくらい励ますところではないか」
「嘘を言っても、荷は増えない」
まったく役に立たない励ましだったが、間違ってはいない。
品の量では勝てない。町の大きさでも、工房や客の数でも届かない。
けれど、先ほどの御者には売れる店が見えていた。見えていても、行き先札を変えることはできなかった。
「リンデの札は、行き先を決めておらぬ」
レオンが荷台へ目を向ける。
「誰が作ったかは書いてある」
「うむ。何をどこへ運び、いくらで売るかは、まだ誰も決めておらぬ」
違いがあることと、商人がリンデを選ぶことは同じではない。何日も街道を進み、小さな村へ荷を運ぶ価値があると思う者がいるかは、まだ分からなかった。
それでも、比べるものは品の量だけではない。
「わたくしは、持ってくるものを間違えてはおらぬかもしれぬ」
レオンは答えず、通りの先へ顔を向けた。
その先では、役人が次の行き先札を読み上げている。商人たちは自分の名が呼ばれるのを待ち、指定された荷車と倉庫へ順番に散っていった。
翌朝、レティシアが条件を示すことになっている荷受け広場だった。
リンデから来た荷車も、広場の端へ止められる。
干し肉と薬草の札には、運び先ではなく作った者の名があり、青筋石の札だけが用途不明のまま、アイゼンベルグの風に揺れていた。




