24話 行ってくる
共同倉庫の見本候補、そのいちばん端で、一羽の鶏が竹籠の中からレティシアを見上げていた。
乾燥させた薬草、樹脂を詰めた壺、繊維の束、皮革、保存食。山から掘り出された石まで運び込まれ、普段は荷を通す場所にも木箱が積まれている。その列の最後へ、ごく自然な顔で鶏が加わっていた。
「これは何じゃ」
「以前、殿下を出迎えた鶏でございます」
エルンは帳面から顔も上げずに答えた。
「リンデにあるものを、見本になりそうかどうかにかかわらず、すべて集めるようご指示がありましたので」
「わたくしの『すべて』へ、生き物まで含めるでない!」
「除外条件はございませんでした」
籠の中で鶏が首を傾げた。自分が候補から外されたとも知らず、藁を一度つついてから、またレティシアを見る。
ドラグニア王から得た許可書をルミナ王都へ届け、報告を終えてリンデへ戻るまで、ずっと考えていた。往来を認める紙だけを見せても、商人は動かない。まずはリンデに何があり、どのような手で作られているのかを、実際の品で見せる必要がある。
そのために集めさせた結果が、この倉庫だった。
鶏だけは元の場所へ戻させ、レティシアは改めて品物の列へ向き直った。
最初に目へ入ったのは、艶の残る大きな皮革だった。傷が少なく、端まで厚みが揃っている。アイゼンベルグの商人へ見せるなら、倉にある中では一番見栄えがよい。
「この皮を見本に入れたい。持ち主は?」
両腕で持ち上げたところへ、エルンの声が飛んだ。
「持ち主の了承がありません」
レティシアの手が止まる。
「働いた者が得た物は、その者のものとし、使い道も本人が決める。殿下がお作りになった仕組みです」
誰がそのような面倒な仕組みを作ったのか、と言いかけて口を閉じた。
今日だけ王女の都合で持ち出せるなら、明日は別の誰かが別の都合で取り上げられる。自分が作った例外は、自分だけの例外では終わらない。
「……よい仕組みじゃな」
「はい」
エルンが素直にうなずく。褒めたつもりではなかったが、言い直す方が悔しい。
レティシアは皮革を元の場所へ戻し、持ち主の札がずれていないことまで確かめた。
同じ理由で、樹脂の壺が二つ、繊維の束が一つ、候補から外れた。良い品を見つけるたび、まず札を探さなければならない。札がなければ持ち主を尋ね、了承が取れていなければ戻す。その繰り返しは正しいと分かっていても、かなり腹立たしかった。
「自分で作った仕組みに、ずいぶん不満そうですね」
「よい仕組みと、使う時に腹が立つことは両立する」
「その点も記録しておきます」
「制度への不満ではないぞ」
「殿下個人の感想として残します」
訂正すればするほど余計な行が増えそうだったので、レティシアは次の箱へ手を伸ばした。
「これも、見本になりますか」
倉庫の入口から声がして、トーマが布包みを抱えて入ってきた。
長卓の空いた場所へ包みを置き、布を開く。同じ厚さに切り揃えられた干し肉が並び、塩と香草の匂いがほのかに広がった。焼いただけの肉とは違い、旅の途中でも崩れにくく、長く持つように加工されている。
「仕留めたのはイルゼです。塩を当てて燻したのは俺で、見本として持ち出すことには二人とも了承しています」
トーマの後ろには、弓を背負ったイルゼが立っていた。
名前を知ってから正面で顔を合わせるのは初めてだったが、目が合うと、イルゼはすぐ倉庫の外へ視線をそらした。レティシアも声をかけない。礼を言わせるために品を預かるのではなく、干し肉を差し出したことから、イルゼの気持ちまで勝手に決めるつもりもなかった。
エルンが新しい札を二枚作り、包みの紐へ結びつける。
イルゼ――狩猟。
トーマ――加工。
「俺の名は、なくてもいいんじゃないですか。肉を獲ったのはイルゼですし」
「いるでしょ。加工したのは、あんたなんだから」
イルゼはレティシアへ顔を向けないまま言った。
トーマは二枚の札をしばらく見つめたが、それ以上、名前を外してほしいとは頼まなかった。狩った者と、保存できる品へ変えた者。どちらが欠けても、ここに並ぶ干し肉にはならない。
レティシアも口を挟まず、二人の名を結んだ包みが見本箱へ収まるのを見届けた。
品を選び終えた頃、倉庫の隅に小さな石の山が残っていた。灰色の表面へ、細い青の筋が走っている。他の品には持ち主や仕事を示す札が付いているのに、その石だけは何もない。
「これは誰のものじゃ」
「道の補修用に集められ、共同倉庫の管理物として残っているものです。個人の所有物としての記録はありません。採った者と用途も不明です」
レティシアは一つを拾い、窓から入る光へかざした。青い筋は表面だけではなく、欠けたところの奥まで続いている。
「価値があるかどうかも分からぬのか」
「分からないため、使われずに残っています」
「ならば、共同倉庫の管理物として調査用に一部を持ち出す。数量を記録しておけ。アイゼンベルグなら、金属や石を見る者がおるじゃろう」
「所有者不明、用途不明の見本として?」
「もう少し期待の持てる札にはできぬのか」
「現時点で確認できる事実は、その二つです」
青筋石は布へ包まれ、干し肉とは別の小箱へ収められた。札には最後まで、用途不明とだけ記された。
*
見本は倉庫の外で、旅用の荷車へ積み直した。
薬草は湿気を避けるため内側へ寄せ、樹脂の小瓶は布で包み、青筋石の箱は重い道具箱の隣へ縄で固定する。エルンは荷札と帳面を一つずつ照らし合わせ、販売品ではないこと、持ち出す了承があること、誰のどの仕事からできた品なのかを確かめていった。
薬草を提供した女が、空になった籠を抱え直す。
「それを見せれば、向こうの商人が買いに来るのかい」
レティシアはすぐには答えなかった。
ドラグニア王の前でも、誰かがリンデを選ぶとは約束していない。許可を持ち帰ったからといって、村で待つ者へ都合のよい未来を事実のように話すわけにはいかなかった。
「分からぬ。見せても、誰も来ぬかもしれん」
女の顔に落胆が浮かぶ。
それでも、言葉は飾らなかった。
「じゃが、見せなければ、リンデに何があるかさえ知られぬままじゃ。買うかどうかを決めてもらうには、まず見てもらわねばならぬ」
女は荷車の包みを見たあと、同じ問いを重ねず、空籠を抱えて倉庫へ戻っていった。
「最後はこれか」
青筋石の小箱を受け取ったレオンが、中身を尋ねるより先に荷台へ置き、縄を二重に回した。
兄の同行は、ルミナ王都で報告を終えた時に決まっていた。護衛としての役目もあるが、アイゼンベルグの武器工房に興味があることは隠しきれていない。旅程を広げるたび、レティシアより先に地図を覗き込んでいた。
「遅いぞ、兄さま」
レオンは縄の結び目を引いて確かめる。
「まだ出発していない」
「わたくしを待たせた時点で遅いのじゃ」
「お前は今、倉庫から出てきたところだろう」
聞こえなかったことにして、レティシアは兄が脇へ置いた旅袋を指した。
「自分の荷は、自分で持つのじゃぞ」
「お前の書類箱は、エルンが持っているようだが」
振り返れば、エルンは当然のように書類箱を抱えている。
倉庫の前から、押し殺し損ねた笑いが漏れた。
以前なら、王女の姿を見る前に仕事を止めるか、戸の向こうへ隠れていた者たちだった。親しげに話しかけるわけではなくても、兄妹のやり取りを聞いたからといって、もう姿を消しはしない。
「書類は、記録係が持つのが自然じゃ」
「では、俺の荷も護衛が持つのが自然だな」
「兄さまは王国最強であろう。旅袋くらい自分で守れ」
「理屈が雑だ」
レオンは笑い声を気にする様子もなく、最後の縄を締めた。レティシアも書類箱については諦め、積み荷の札を確かめる。
共同倉庫へ残る品の方が、持っていく見本よりはるかに多い。それでも、以前は誰が何をしたのかも残されなかった品が、いまは持ち主と仕事の名を付けて国境を越えようとしていた。
*
荷車の支度が終わる頃には、共同倉庫の前で朝の道路仕事が始まっていた。
鍬で固い土を崩す者、籠へ石を詰める者、路肩へ溜まった水を細い溝へ逃がす者が、それぞれ昨日の続きを進めている。見送りのために仕事を止めた者はいなかった。
レティシアは馬へ乗る前に、一年間の往来が認められたこと、商人を連れて戻れるとは約束できないが、リンデの品と仕事を見せてくることを、少し立派な言葉で伝えるつもりだった。
息を吸ったところで、石を抱えた男が目の前へ立つ。
男は何も言わず、レティシアの足元へ視線を落とした。そこは道に残った窪みの端で、抱えている石を置くにはちょうどよい場所だった。
レティシアが一歩横へ退くと、さっきまで立っていたところへ石が置かれる。男はその場へしゃがみ込み、隣の石との隙間へ土を詰め始めた。
用意していた挨拶を始める場所は、もうなかった。
レティシアは言葉を胸の中へ戻し、馬へ乗った。
荷車がゆっくり動き出す。その先では、グロムが道の中央に残る窪みへ鍬を入れていた。馬を近くへ寄せても振り返らず、固い土を起こし、脇へ寄せる作業を続けている。
「行ってくる」
グロムは鍬を持っていない方の手だけを、肩の高さまで上げた。
荷車の車輪が、先ほど石を入れた場所を越える。土だけだった時より揺れは小さく、荷台の見本箱も音を立てなかった。
道端にいた少女が、一行を追って数歩走る。
「おねえちゃん、行ってらっしゃい!」
肩越しに手を上げると、少女はすぐそばの女へ、いつ帰ってくるのかと尋ねた。
商人を連れて戻るとは約束していない。
それでも、レティシア自身が帰ることだけは、疑われていなかった。
補修された道はまだ短く、やがて車輪は古い轍へ戻った。荷車が大きく一度揺れたが、結び直した縄も、名前の付いた見本箱も動かない。
「前を見ろ」
隣を進むレオンの声に、レティシアは手綱を握り直した。
リンデへ帰る時に通った道を、今度は外へ向かって進んでいった。




