第三十六話 二十年の嘘
「妙な言伝、とは」わたしは、静かに言った。「まことのことを告げたまで。……わたしは、玲さまの影法師。それはその通りです。なれど、それだけではない」
わたしは、早瀬の眼をまっすぐに見た。この読む眼で、その心の揺れを一つも見逃さぬように。
「わたしの母は、小夜、と申します。……二十年前、柏木の家が滅ぼされたとき、先代の琴宮に連れ去られた、柏木の娘です」
早瀬の眼が、かすかに見開かれた。
「わたしは、その小夜が産んだ娘。……琴宮の先代の血と、柏木の血を、併せ持つ者、なのです」
「……戯言を」早瀬が吐き捨てた。だが、その声には、動揺が滲んでいた。「柏木の血、だと。その憎き琴宮の顔をしておいて」
「顔は父から。血の半分は、あなた方と同じ。……信じられぬなら、それでもよい。なれど早瀬。……わたしがあなたに逢いたかったのは、一つ、どうしても伝えねばならぬことがあるからです」
わたしは、懐から、冴斗に託された、あの密書の写しを取り出した。真物は危うくて持ち出せぬ。だが、この写しでも、刻まれた花押は写してある。
「あなたは。誰のために、戦っているのですか」
「……問うまでもない」早瀬の眼が、憎悪に燃えた。「柏木の無念を晴らすため。我らを滅ぼした琴宮を、根絶やしにするためだ」
「その後ろ盾が、御堂の内府、ですね」
「……それがどうした」
「では、これを御覧なさい」
わたしは、写しを月明かりの下に広げた。
「これは、二十年前、柏木を陥れた企みを記した密書。……玲さまが命を賭して隠していたものです。ここに、柏木に罪を着せ、滅ぼす絵図を描いた二人の名がある。一人は、琴宮の先代。そして――もう一人」
わたしは、その花押を指し示した。
「御堂の内府。……あなたが後ろ盾と信じる、その御方の花押、です」
早瀬の顔が、凍りついた。
「柏木を滅ぼしたのは、琴宮の先代だけではなかった。それを裏で操り、絵図を描いたのは、ほかならぬ――御堂、なのです。あなたは、己の一族を滅ぼした当の仇を、後ろ盾と信じ込み、その手先となって……!」
「……黙れ」早瀬が呻いた。だが、その眼は、写しの花押に釘付けになっていた。
「そして」わたしは続けた。声が震えた。「あなたが殺した、玲さま、は」
早瀬の肩が、びくりと震えた。
「玲さまは、父の罪を――柏木を陥れた、この密書を、見つけてしまわれた。そして、それを公儀に突きつけ、柏木の無実を晴らそうとしていたのです。……あなた方が二十年、願い続けた、その雪冤を。玲さまは、たった一人で成し遂げようとしていた」
「……嘘だ」早瀬の声が、掠れた。
「玲さまを殺せと命じたのは、御堂でしょう。玲さまが密書を見つけたと知って、己の罪が露見するのを恐れた御堂が。……あなた方、柏木の手を使って、口を封じさせたのです。柏木の無実を晴らそうとした、ただ一人の味方を。柏木の手で殺させることで」
早瀬の体が、ぐらり、と揺れた。
「あなたは。仇を味方と信じ、味方を仇と信じて。……この二十年を、生きてきたのです」
早瀬は、写しを握りしめたまま、膝から崩れ落ちた。
「……そんな。そんな、はずは……」
その、いつも冷たく澄まし返っていた顔が、いまや、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「俺は……俺は、柏木のために……! 御堂さまの指図で……玲を……あの姫を……この手で……!」
「そして、あなたは」わたしは静かに言った。「わたしをも、殺そうとした。……御堂の命で。あの夜、書院で。この氷室の館で。あなたが亡き者にしようとしたわたしは……あなたと同じ、柏木の血を引く者、だったのです」
早瀬が、顔を上げた。その目から、堰を切ったように、涙があふれ出していた。
二十年の憎しみが。二十年の忠義が。すべて、まやかしの上に築かれていたと知った、男の。慟哭だった。
(つづく)




