第三十五話 忘れ形見
祖母の亡骸を、わたしたちは、弔うことすらできなかった。
追われる身では、あの庵に戻ることも叶わぬ。榊が後日、人を遣って、ひそかに荼毘に付す手配をするのが、精一杯だった。会えたのは、ほんのわずかな間。血の繋がったただ一人の肉親と。その温もりを知る前に、また、失った。
鴨川の河原の隠れ家で、わたしは幾晩も眠れずにいた。だが、涙はもう涸れていた。代わりに、胸の奥で、冷たく硬い何かが凝り固まっていくのを、感じた。
――御堂を、討つ。
だが、どうやって。相手は、都の天を衝く権力者。密書はあれど、それを突きつける術もない。正面からぶつかれば、握り潰される。
考え続けた。眠れぬ夜ごと。人を読むこの眼で、御堂という巨大な影の、どこに綻びがあるかを。
そして――わたしは、一つの綻びに思い至った。
早瀬だ。
早瀬たち柏木の残党は、御堂を己たちの後ろ盾と信じている。琴宮への恨みを晴らすための味方だと。……だが、まことは。その御堂こそが、二十年前、柏木を滅ぼした張本人。祖母は、そう言った。
つまり――早瀬たちは、己の一族を滅ぼした当の仇を、味方と信じ込み、その手先となって働いているのだ。
もし。その真実を、早瀬に突きつけたら。
わたしの胸が、高鳴った。密書がある。御堂の花押が据えられた、動かぬ証が。それを見せれば、早瀬は――
「危うい賭けだ」わたしの考えを聞いた冴斗は、眉を寄せた。「早瀬は、お前を殺そうとした男だぞ。近づけば、その場で斬られるやもしれぬ」
「なれど」わたしは言った。「あの者たちを、内から崩すには、これしかありませぬ。……それに」
わたしは、己の手を見た。祖母の血の名残が、爪のあいだにこびりついているような気がした。
「わたしにも……柏木の血が、流れています。母、小夜の。……早瀬にとっても、わたしは。憎き琴宮の娘であると同時に。……同じ柏木の血を引く者、なのです」
わたしは、賭けに出ることにした。
榊に頼み、密かに、都の裏に一つの言伝を流してもらった。柏木の生き残りにしか通じぬ言葉を。祖母が最期に遺した、母の名。「小夜の忘れ形見が、逢いたいと言うている」と。
柏木の血を引く者ならば、その言伝の意味を悟るはず。そして――もし早瀬に、まだ一片でも、一族への情が残っているなら。必ず、応じる。
三日、待った。
四日目の夜。指定した洛外の廃寺に、一つの影が現れた。
物静かで、如才ない――だが、いまは抜き身の殺気を纏った、あの男。
早瀬だった。
「……柏木の忘れ形見、だと」早瀬の声は、低く、警戒に満ちていた。「妙な言伝を流す。何のつもりだ。氷室の奥方――いや、玲の影法師よ」
わたしは、ただ一人、供も連れず、その廃寺の闇の中で、この危険な男と向き合っていた。
命懸けの賭けが、始まった。
(つづく)




