第三十二話 都へ
都までの道のりは、五日かかった。
冴斗と、榊、そして腹心の侍、数名。ごく内々の供揃えで、わたしたちは街道を北へ上った。輿の中で揺られながら、わたしは、幾度も懐のあたりを確かめる冴斗を見ていた。そこには、あの密書が。二十年の闇を暴く、ただ一つの証が収められている。
道中、幾度か、不穏な気配があった。街道の辻に佇む、笠深の浪人。宿場でこちらをうかがう、商人風の男。榊がその都度、警戒を強めた。早瀬たちが放った目に、違いなかった。わたしたちが都へ向かうことは、とうに知られている。
五日目の夕。ついに、わたしたちは都に入った。
わたしは、輿の簾の隙間から、その景色を見て、息を呑んだ。
果てしなく続く、甍の波。行き交う人の多さ。牛車。物売りの声。伽藍の甍が夕日に輝き、大路はどこまでもまっすぐに伸びている。氷室の館の静けさとも、琴宮の鄙びた佇まいとも、何もかもが違う、絢爛たる世界。
だが、その美しさの底に。わたしは、ぞっとするようなものを感じた。
この都のどこかに、「あの御方」がいる。二十年、闇を操り、幾人もの命を奪ってきたその者が。この雅やかな大路の奥に、澄まし顔で座っているのだ。
ここは、敵の懐だった。
氷室の本邸は、無残な有様だった。
火は、離れの一棟を焼いただけで、消し止められていた。だが――狙いは、明らかだった。焼け落ちたその一棟こそ、代々の書付を収めた文庫。花押の控えも、そこにあった。
冴斗は、焼け跡に立ち、黒く焦げた梁を見つめていた。その横顔に、怒りと焦りが滲んでいる。
「……見事な手際だ」冴斗が、低く呻いた。「俺たちが着く前に、狙いすまして、これだけを。……あの御方の手は、この本邸の内にまで伸びていた、ということだ」
控えは、灰になった。花押の主を照らし合わせる術は、失われた。
わたしたちは、手がかりを断たれ、敵の膝元で立ち尽くしていた。
その夜。焼け残った本邸の一室で、わたしと冴斗は、額を突き合わせた。
「花押の控えは、失われた」冴斗が言った。「なれば、別の道を探すほかない」
「別の、道」
「この花押の主は、二十年前、先代の琴宮と結んで柏木を陥れた。……ならば」冴斗の眼が光った。「二十年前のあの企みを、いちばんよく知っているのは。陥れた側ではなく――陥れられた側だ」
わたしの胸が、ざわめいた。
「柏木の生き残り」冴斗は続けた。「あの滅ぼされた家の者ならば。己を陥れた黒幕が誰か、知っているかもしれぬ」
柏木の、生き残り。それは――早瀬たち、ではないのか。だが早瀬たちは、いまや黒幕の手先。近づけば、命がない。
「早瀬たち以外にも」冴斗が、わたしの懸念を読んだように言った。「柏木の血を引く者が、都にいるという噂を聞いたことがある。表には出ず、ひっそりと生きている者が。……そちらを当たれば」
わたしは、はっとした。
柏木の生き残り。表に出ず、ひっそりと生きている者。
――もし。わたしの母が、まことに柏木の縁の者だったなら。その生き残りの中に、わたしの母を知る者が、いるかもしれぬ。
黒幕の正体と、わたしの出自の謎と。その両方が、柏木の生き残りのもとに――繋がっているのかもしれなかった。
(つづく)




