第三十一話 結び直す約束
その足で、わたしは、冴斗のもとへ向かった。
かつてのわたしなら、この恐ろしい真実を胸の奥に封じ、誰にも言わずにいただろう。だが――もう、偽りはたくさんだった。ことに、この人には。
わたしは、冴斗にすべてを告げた。志乃から聞いた、まことの出自を。わたしが琴宮の先代の娘であり、玲さまの異母妹であること。そして、母が琴宮に恨みを抱いた素性の知れぬ女で――柏木の滅びた頃と重なること。
語り終えて、わたしは俯いた。
「……わたしは。あなたが暴こうとしている、罪を犯した、その男の娘なのです。玲さまを殺させ……あなたの母君を殺したかもしれぬ、闇の大本の。その、罪ある家の血を」
声が、震えた。
「あなたが、共に戦うと仰ってくださった、このわたしは。まことは……あなたの敵と、同じ血を引く者かもしれませぬ」
冴斗は、しばらく黙っていた。
わたしは、この人が身を引くのを覚悟した。無理もない。偽者なだけでも許しがたいのに。その上、罪ある家の血だという。
だが。
冴斗は、静かに言った。
「……お前が、選んで生まれてきたわけでは、あるまい」
わたしは、はっと顔を上げた。
「親が誰であろうと。血に何が流れていようと。それは、お前が決めたことではない」冴斗の眼は、揺るがなかった。「俺がいま見ているのは、血でも、家でもない。恐ろしい真実からも目を背けずに、それを俺に打ち明けた……お前自身だ」
わたしの目に、涙が滲んだ。
冴斗は、ふと、遠くを見るような目をした。
「……一つ、話しておかねばならぬことが、ある」
彼は、静かに語り始めた。
「まことの玲どのと、俺は、一度だけ顔を合わせた。輿入れの話が調う前だ。……政略の婚儀。互いに望んだ仲では、なかった。二人とも口も重く、白々しい時が流れた。だが、別れ際に。玲どのが、ふと、こう言ったのだ」
冴斗の声が、低くなった。
「『この婚儀が、家と家の取り決めであろうと。……せめて、あなたとわたくしの間にだけは。偽りを、置きますまい』と」
わたしの心の臓が、ひやりとした。
偽りを、置きますまい。
「それが……あの約束だ」冴斗は、わたしを見た。「俺が初めてお前に会うたとき。『あの約束は、まだ生きているか』と問うた、あれだ」
わたしは、言葉を失った。
あの、初対面の夜。冴斗が声を潜めて確かめた、あの約束。わたしは、それが何かも知らずに、思わせぶりにはぐらかして切り抜けた。だが――その約束の中身は。
二人の間に、偽りを置かぬ。
わたしは、その約束を。知らぬうちに、来る日も来る日も破り続けていたのだ。この人に、偽りしか告げずに。玲さまが、たった一つ、この人と交わした、その誓いを。
「……皮肉なものだな」冴斗が、苦く笑った。「玲どのは、偽りを置かぬと誓った。だが、俺の前に来たのは、玲どのの名を騙る、偽りそのものだった」
わたしは、床に額を擦りつけたい衝動に駆られた。だが。
冴斗の次の言葉が、それを押しとどめた。
「だが。……いまなら。その約束を、まことにすることが、できる」
え、と、わたしは顔を上げた。
冴斗の眼が、まっすぐにわたしを見ていた。傷を湛えながらも、その奥に、確かな光を宿して。
「千代。……お前と俺の間にだけは。もう、偽りを置くまい。玲どのと交わしたあの約束を。……こんどは、お前と結び直す」
わたしは、涙があふれるのを止められなかった。
仮面を脱いだ、その先で。死んだ姫君が遺した、たった一つの約束が。いま、まことのわたしとこの人の間に、新しく結び直されたのだった。
*
その夜、わたしたちは、心を決めた。
都へ、上る、と。
密書の花押の主を、突き止めねばならぬ。氷室の本邸にある控えと照らし合わせ、この二十年の闇を操ってきた「あの御方」の正体を暴くのだ。それが、玲さまと母君の無念を晴らし――そして、わたし自身の出自の謎を解く鍵にも、なるはずだった。
だが、都は、敵の膝元。
「上洛の供は、榊と、腹心の者、数名に絞る」冴斗が言った。「早瀬は館を抜け、行方をくらました。都であの者たちが、どんな罠を張って待っているか……」
その時、廊下で、榊の慌ただしい足音がした。
「殿! ……都の本邸より、火急の使いが」
冴斗の顔が、こわばった。こんな折に、都から使い。
榊が差し出した文を、冴斗が開く。そして――その顔から、血の気が引いた。
「……本邸が」冴斗の声が、掠れた。「何者かに押し入られ……花押の控えが。焼かれた、と」
わたしは、息を呑んだ。
黒幕は、先手を打っていた。わたしたちが都へ上り、己の正体にたどり着く、その前に。唯一の手がかりを――灰にしていたのだ。
(つづく)




