第二十六話 露見の兆し
あの足音を聞いてから、わたしは一睡もできなかった。
早瀬は、見たのだろうか。わたしたちが、琴から密書を取り出すのを。あの物静かな近習が、闇の中で、じっとこちらをうかがっていたのだとしたら。
夜が明けるとすぐ、冴斗は、密書を肌身離さぬ場所へと移した。己の懐深く、常に身につけておく、と。あの者たちに渡すわけには、いかぬ。二十年前の真実を記した、ただ一つの証。これを失えば、玲さまの死も、母君の死も、永久に闇へ葬られる。
その日、わたしは、注意深く早瀬を観察した。
膳を運ぶ早瀬の所作は、いつも通り、非の打ちどころがなかった。物静かで、如才ない。だが――わたしの、人を読む眼は、見逃さなかった。
あの男の指先が、膳を置くとき、わずかに震えていた。そして、冴斗を見るその一瞬の視線に、今までにない、探るような鋭さが宿っていた。冴斗の懐のあたりを、ちらり、と。
――知っている。
わたしは確信した。早瀬は見たのだ。わたしたちが密書を手にしたことを。そして、それがいま、冴斗の懐にあることも、嗅ぎつけている。
背筋が、凍った。
その夜、人目を忍んで、わたしは冴斗に告げた。早瀬は気づいている、と。冴斗の顔が、険しくなった。
「……ならば、猶予はない」冴斗は低く言った。「早瀬は必ず、これを奪い返しに動く。あるいは、都のあの御方に報せを送り、指図を仰ぐか」
「花押の主を、先に突き止めることは」わたしは問うた。
「手はある」冴斗は頷いた。「公儀の高位の者の花押を書き記した控えが、都の、氷室の本邸にある。それと照らし合わせれば……この花押の主が何者か、わかるやもしれぬ。だが」
冴斗の眼が、曇った。
「本邸は都にある。この密書を携えて、都へ上らねばならぬ。……そして都は、あの御方の膝元だ」
「では」冴斗は、決断した。「夜明けと共に、都へ発つ。供は最小限に。早瀬には悟られぬよう……」
だが。
その夜。わたしは、またも眠れずにいた。
胸騒ぎが、した。あまりに、館が静かすぎる。いつもなら聞こえるはずの、夜回りの足音もしない。まるで――誰かが、人払いをしたかのように。
わたしは、そっと床を出て、障子に近づいた。
その時。
廊下の遠くで、かすかに、鋼の擦れる音がした。
抜き身の、刀の。
わたしの全身の血が、凍りついた。
来た。あの者たちが。密書を奪い、わたしたちの口を封じるために。夜明けを、待ってはくれなかった。
(つづく)




