第二十五話 二つの死
母の文机に遺されていた、花押。
冴斗のその言葉に、わたしは、二つの死が一本の線で結ばれるのを感じた。
玲さまの死と、冴斗の母君の死。二十年の時を隔てて起きた、二つの殺し。その両方に――同じ花押を持つ者が。「都のあの御方」が、関わっていた。
冴斗の母君もまた、この密書に記された二十年前の秘密の何かを、知ってしまったのだ。だから殺された。「見ても、聞かなかったことにおし」――幼い冴斗に、そう言い遺して。
わたしはそっと、冴斗の手に己の手を重ねた。今度は、恐れずに。この人の震えを、少しでも鎮めたくて。
「……冴斗さま。あなたも、わたくしと同じだったのですね」
冴斗が、顔を上げた。
「大切な人を、あの者たちに奪われた。……そして、その真実を知らぬまま、二十年、生きてこられた」
冴斗はしばらく、わたしを見つめていた。その眼からこわばりがほどけ、代わりに、深い哀しみと――そして、静かな決意が宿った。
「……二十年、俺は、母がなぜ死んだのか、わからぬまま生きてきた」冴斗は低く言った。「その答えが、いま、ここにある。……皮肉なことだ。そなたが輿入れしてこなければ、俺は生涯、知らずにいたのだろう」
そなたが輿入れしてこなければ。
その言葉が、わたしの胸に刺さった。もし、まことの玲さまが生きて輿入れしていたら。この密書は、見つからなかったかもしれぬ。皮肉にも――偽者のわたしだからこそ。玲さまになりきり、玲さまの心をたどれたわたしだからこそ、この真実にたどり着いた。
わたしの罪深い成りすましが、二つの殺しの真相を、照らし出したのだ。
だが、感慨に浸っている暇はなかった。
「冴斗さま」わたしは声を改めた。「この密書。これを手にしたいま、わたくしたちは、いっそう危うい立場にあります」
冴斗が頷いた。彼にも、わかっていた。
あの者たちは言っていた。「あれ」を見つけ次第、わたしを始末する、と。ならば――この密書がわたしたちの手にあると知れれば。その時が、殺しの刻限だ。もはや泳がされている猶予すら、ないのかもしれぬ。
「これを公儀に届ければ」わたしは言った。「柏木の無実は晴れ、先代の罪は暴かれ、都の黒幕も……」
「そう、たやすくはいかぬ」冴斗が遮った。その顔は険しかった。「この花押の主は、都の、それもよほど高き位にある者だ。母の死を病と偽り、玲どのの死を闇に葬り、二十年、真実を封じ続けてきた……そのような力を持つ者。並の役人にこの密書を渡せば」
冴斗の眼が、暗く沈んだ。
「握り潰され、俺たちの口も封じられて、終わりだ。……下手をすれば、密書を渡したその相手が、黒幕の息のかかった者かもしれぬ」
わたしは、ぞっとした。
真実を握った。だが、それを明かす術がない。誰を信じてよいのか、わからぬ。この密書は、わたしたちを救う切り札であると同時に――手にしたその瞬間から、わたしたちの命を狙う刃を呼び込む、災いの種でもあった。
「まずは」冴斗が、密書を固く握った。「この花押の主を、突き止める。誰が都で、これほどの悪事を操っているのか。……敵の顔がわからねば、戦いようもない」
その時だった。
納戸の外の廊下を、誰かが通り過ぎる足音がした。
わたしたちは、息を詰めた。足音は止まらず、遠ざかっていく。だが――その歩き方に、わたしは聞き覚えがあった。
物静かで如才ない、近習の。早瀬の足音だった。
こんな夜更けに、なぜ、早瀬がこの納戸の近くを。
まさか――見られていたのか。わたしたちが、琴から「あれ」を取り出したのを。
(つづく)




