第二十三話 隠された歌
あの夜――闇の納戸で、冴斗と真実を分かち合ってから、幾日かが過ぎた。
表向きは、何も変わらなかった。わたしは氷室の奥方として、しずしずと日々を送る。冴斗は冷徹な当主として、家士たちを束ねる。あの夜交わされた、秘めごとの盟を知る者は、誰もいない。
だが、二人だけの目配せが、生まれた。
膳の席で。廊下ですれ違いざまに。ほんの一瞬、交わす視線。それだけで、わたしたちは互いの思いを読み取った。早瀬に、動きはないか。館のどこかに、あの者たちの耳はないか。言葉を交わさずとも、通じ合う。人を読む眼を持つ者どうしの、密やかな絆だった。
冴斗のまなざしは、日ごとに柔らかくなっていった。わたしを見るその目に、いつしか疑いの氷は溶け、代わりに温かな何かが宿るようになった。
嬉しかった。そして、恐ろしかった。
この人は、日ごとに「玲」を深く想うようになっていく。いない姫君を。……いや、ちがう。この人が想っているのは、「玲」の顔をした、素のわたし――千代かもしれぬ。庭で正直に「息が詰まる」と言ったわたし。荒れた手を恥じなかったわたし。この人はいつも、姫君の仮面ではなく、その下の生身のわたしに、心を寄せてくる。
だからこそ、苦しかった。想われるほどに、偽りが重くのしかかる。
だが、感傷に浸ってはいられなかった。
あの者たちより先に、玲さまの遺した「あれ」を見つけねば。それが、玲さまの死の真相を、そして都の黒幕を暴く鍵なのだ。
玲さまの荷は、隅々まで検めた。だが「あれ」は、どこにもなかった。文箱にも、長持にも。早瀬が言った通り、荷の中にはないのだ。
ならば玲さまは、どこに隠したのか。
わたしは夜ごと考えた。玲さまに、なりきって。
この幾月、わたしは玲さまの字をなぞり、玲さまの癖を覚え、玲さまの生きた跡をたどってきた。もはやわたしは、玲さまを誰よりも深く知っているのかもしれぬ。会ったこともないのに。この奇妙な成りすましが――いま、思わぬ形で役に立つかもしれなかった。
玲さまは、賢い人だった。手習いの、几帳面な筆づかい。文に忍ばせた、細やかな心配り。そういう人が、命の危険を感じたとき、大切なものをどこに隠すか。
――ただ、隠すのではない。
わたしは思った。玲さまなら、きっと、誰かがいつか見つけてくれるように。それでいて、敵にはたやすく悟られぬように。そういう隠し方をするはずだ。
その閃きが、わたしを、玲さまの遺した歌へと向かわせた。
荷の中に、玲さまが詠んだ歌を書きつけた短冊が、幾枚かあった。花や月を詠んだ、他愛のない歌ばかり。だがその中に一枚――どこか、他と趣の違うものがあった。
わたしは、それを冴斗のもとへ持っていった。
「この歌が……どうにも、心にかかるのです」わたしは言った。「他の歌とは、調子が違う。まるで、何かを訴えているような」
冴斗が、その短冊を手に取り、読んだ。
恋ひわぶる
時待つ宵に
述べもせで
埋み火の下
散らす言の葉
「……恋の歌のように、見えるが」冴斗が呟いた。「埋み火の下、散らす言の葉……妙だな。まるで、火にくべて隠した言葉、とでも」
その言葉に、わたしは、はっとした。
隠した、言葉。
「冴斗さま」わたしは身を乗り出した。「玲さまは……この歌の中に、何かを隠したのでは。折句、というものがあると聞きます。歌の頭の字を繋げて、別の意味を……」
冴斗の眼が、鋭く光った。彼は短冊に目を落とし、各句の頭の一字を、順に追った。
こ。と。の。う。ち。
「……こ、と、の、うち」冴斗が、低く読み上げた。そして、はっと顔を上げた。「琴の、内――!」
わたしと冴斗は、同時に思い当たった。
玲さまの荷の中にあった、一面の琴。
あの、中空の胴の内に。玲さまは「あれ」を、隠したのだ。
(つづく)




