第二十話 賭ける
この人に、どこまでを明かすか。
闇の中で、冴斗の眼が、わたしの答えを待っている。その眼を、わたしは見つめ返した。読む眼を持つこの人に、下手な嘘は通じぬ。かといって、すべてを明かすことは、できぬ。わたしが偽者だということだけは。それを知られれば、この人は――いや、考えるのは、よそう。
わたしは、腹を決めた。
真実を告げよう。だが、たった一つ――わたしが玲でないことだけは、胸の奥に封じたまま。この人と、同じ敵に立ち向かうために。必要なことだけを、分ける。
それが、いまのわたしにできる、精一杯の賭けだった。
「……申し上げます」わたしは、声を潜めた。「なれど、ここでは。壁に、耳が」
冴斗は頷き、わたしを、人けのない己の私室へと誘った。灯りを絞り、二人、向かい合って座る。冴斗の眼は、辛抱強く、わたしの言葉を待っていた。
わたしは、慎重に、言葉を選んだ。
「……あの、早瀬という近習。あの者の裃の肩に――柏木の紋が、ございました」
「柏木……」冴斗が、低く繰り返した。その名に覚えがあるのか、眼が鋭くなる。「二十年前に、取り潰された、あの家か」
「ご存じ、なのですか」
「名だけは。……父の代の、古い話だ」冴斗は、思案するように、目を伏せた。「その、滅んだはずの家の紋を。俺の近習が、身につけていた、と?」
「はい。この目で、確かに」
わたしは、続けた。ここからが、綱渡りだった。
「柏木は……わたくしの家――琴宮に、深い遺恨を抱いていたと、聞きます。二十年前、罪を着せられ、潰されたのだ、と。……その柏木の残党が、いまなお、琴宮の血を憎み、根絶やしにせんと、しているのです」
声が、震えた。半ばは、芝居。だが、半ばは、まことの恐怖だった。
「わたくしの、あの病も……ただの病では、なかったのかもしれませぬ。誰かが、わたくしを……」
そこで、わたしは、言葉を切った。それ以上は、危うい。玲の「死」に触れれば、綻ぶ。
「そして、あの早瀬たちは……いま、この館の中を捜し回っているのです。琴宮の姫が遺した、あるものを。それが、公儀の手に渡れば、己たちの企みが露見する。それを、恐れて」
わたしは、顔を上げた。
「昨夜。わたくしは、たまたま、それを聞いてしまいました。だから、逃げていたのです。聞いたことを悟られれば……殺される、と」
冴斗は、長いこと、黙っていた。灯りの揺れる中で、その端整な顔は、彫像のように動かなかった。
やがて、彼は、静かに口を開いた。
「……そなたは、まだ、何かを隠しているな」
わたしの心の臓が、跳ねた。
読まれた。この人には。どこまで話しても、その底に、まだ何かが伏せられていることを、見抜かれてしまう。
わたしが凍りついていると。冴斗は、ふと、目元を緩めた。
「……よい。無理に、言わずとも」
え、と、わたしは、彼を見た。
「人には、たやすく明かせぬことも、ある。……俺にも、あるようにな」冴斗は、静かに言った。「そなたが、いま話してくれたことが、まことなら。それだけで、十分だ。……いや、まことだと、わかる。そなたの、その怯えは、偽れるものでは、ない」
冴斗は、わたしをまっすぐに見た。その眼に、いつもの氷は、なかった。ただ、静かで、揺るぎない光が、あった。
「聞け。……あの早瀬は、俺が、必ずあぶり出す。柏木の残党が、俺の館で、何を企んでいるのか。そなたの命を脅かす者どもを――俺が、根こそぎ断つ」
その、力強い声が。わたしの胸の奥に、じんと染みた。
「そなたは、もう、一人ではない」冴斗は言った。「この件は、俺と、そなたの、二人だけの秘め事だ。……誰も、信じるな。志乃であろうと、誰であろうと。信じてよいのは、俺、だけだ」
わたしは、その言葉に、胸を突かれた。
嬉しかった。この人が、味方になってくれた。もう、独りで、闇の中を手探りする必要は、ない。
だが、同時に。刃のようなうしろめたさが、胸を抉った。
この人は、「玲」を守ろうとしている。いない姫君を。そして、わたしは、その厚意にすがりながら、いちばん大きな嘘だけは、抱えたまま。二人だけの秘め事、と、この人は言った。だが、その秘め事の、いちばん奥に。この人の知らぬ、もう一つの秘密が、埋まっているのだ。
「……はい」わたしは、俯いて答えた。声が、掠れた。「信じます。……あなただけを」
その言葉は、半分は、まことだった。そして、半分は――いちばん深い偽りの上に、咲いた花だった。
冴斗が、そっと手を伸ばし。わたしの頬に流れた、一筋の涙を、指で拭った。
その温もりに。わたしは、目を閉じた。
――と、その時。
私室の障子の外。廊下を渡る、微かな衣擦れの音が、した。
冴斗の眼が、鋭く、そちらを向く。
誰かが。この、密やかな語らいの、すぐ外を。通り過ぎていった。
(つづく)




