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勇者の首が落ちる朝 ~魔王を倒した男は、なぜ処刑されたのか~  作者: たま8


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四章 第1話 魔王なき世界

 魔王の死は、神殿の伝令魔術と王国軍の早馬によって各地へ広がっていた。


 王都へ戻るまでに、いくつもの町や村を通った。


 道中の町にはすでに祝福の旗が掛けられ、人々は俺たちを見つけると家から飛び出してきた。老人が膝をつき、子どもが手を振り、女たちが泣きながら祈りの言葉を唱えた。


 勇者様。


 勇者ユリス様。


 その声を聞くたびに、俺の体の奥で何かが熱くなった。


 喜びではない。恐怖でもない。二つが混ざった、どうしようもないものだった。


 俺は、ずっとこの声を欲しがっていた。


 農村の泥の中で、アルスの背中を見ていた頃から。アルスが神託を受け、人々に囲まれ、祝福されていたあの日から。いや、もっと前からかもしれない。俺はずっと、誰かにそう呼ばれたかった。自分が特別であると認められたかった。生まれが悪くても、金がなくても、汚れた手をしていても、それでも何かになれるのだと信じたかった。


 そして今、人々は俺を見て泣いている。


 勇者と呼んでいる。


 俺は魔王を倒した。


 嘘ではない。


 俺は確かに、世界を救った。


 それでも、その声は俺の胸にまっすぐ入ってこなかった。どこかで必ず、アルスの顔にぶつかる。あいつはもういない。俺が殺した。俺はあいつが歩くはずだった道を奪い、ユリスという自分の名前でその道を歩き、魔王を倒した。


 なら、今の歓声は誰のものなのか。


 俺のものか。アルスのものか。それとも、勇者という空席に向けられたものか。


 分からなかった。


 分からないまま、俺は笑った。手を振った。怪我を押して馬に乗り、民衆の前では背筋を伸ばした。クラウスは隣で誇らしげに胸を張り、セレナは少し疲れた顔で人々に応え、エスカはいつものように人混みに怯えながらも、小さく頭を下げていた。


 王都の門が見えたとき、クラウスは珍しく黙った。


 城壁の上には王国旗が並び、神殿の鐘がいくつも鳴っていた。門前には兵士が整列し、貴族や神官、商人、市民が道の両側を埋めている。あまりの数に、エスカが俺の後ろへ隠れかけた。


「すごい人ですね」


 彼女は小さく言った。


「ああ」


 俺は答えた。


「怖いです」


「魔王よりか?」


「種類が違います」


 エスカらしい返事だった。俺は少し笑った。笑えたことに、自分でも少し驚いた。


 クラウスがこちらを見た。


「堂々としていろ。お前は魔王を討った勇者だ」


 その言葉に、胸の奥がかすかに軋んだ。


 勇者。


 クラウスは迷いなくそう言った。旅の初めから、あいつは俺を勇者として扱った。王に任じられたからではない。神託の証を見たからでもない。戦いの中で俺を見て、認めてくれた。融通の利かない男だったが、だからこそ一度信じたものには強かった。


 そのクラウスが、今は俺をまっすぐに見ている。


 俺は目を逸らした。


「疲れただけだ」


「なら、なおさら背を丸めるな。民は勇者の疲れた顔など見たくない」


「厳しいな」


「当然だ」


 クラウスはそう言って、口元だけで笑った。


 セレナが少し咳をした。


 俺は振り返った。


「大丈夫か」


「ええ。魔力の戻りが遅いだけです」


 彼女はいつものように冷静な声で答えたが、顔色は悪かった。魔王戦の後から、セレナは何度か体調を崩していた。吐き気があるのか、食事の量も減っている。本人は疲労と魔力枯渇だと言い張った。実際、彼女は最終戦で限界以上に魔術を使った。魔王の結界を破ったのも、最後の隙を作ったのも、セレナだった。体調が悪くても不思議ではない。


 俺は、そう納得した。納得してしまった。


「無理はするな」


 俺が言うと、セレナは少しだけ目を細めた。


「あなたに言われるとは思いませんでした」


「俺は無理をするのが仕事だ」


「そういうところが、昔からよくありません」


 昔から。


 その言葉が、妙に柔らかかった。


 セレナとは、旅の途中で関係が変わった。恋と呼ぶには、俺にはその言葉が眩しすぎる。だが、ただの仲間でもなかった。死が近い旅では、夜が人を弱くする。どちらからともなく寄りかかった。明日死ぬかもしれないという恐怖と、互いに生きている体温を確かめたい気持ちが、静かに混ざった。


 彼女は真面目な女だった。


 だから、軽い出来事として扱うことはなかった。俺も、そのつもりはなかった。少なくとも、そう思っていた。


 ただ、俺は怖かった。


 誰かと深くつながるほど、自分の根にある嘘が大きくなる。セレナが俺を見る目が優しくなるほど、俺はアルスの死を思い出す。クラウスの信頼も、エスカの依存も、セレナの静かな好意も、全部が俺にとって救いであり、同時に首を絞める縄だった。


 王都の門が開く。


 歓声が爆発した。


 勇者様。


 魔王討伐の英雄。


 世界を救った者。


 俺は馬上で手を上げた。


 民衆が泣き、叫び、花を投げた。花びらが鎧に当たって落ちる。青や白や黄色。血と灰ばかり見てきた目には、色が鮮やかすぎた。俺は笑わなければならなかった。勇者として。世界を救った者として。彼らの望む顔をしなければならなかった。


 そのとき、耳の奥でまた魔王の声がした。


 お前には、何かが欠けているように思う。


 俺の手綱を握る指に力がこもった。


 門の先、王城まで続く大通りは人で埋まっていた。祝福の鐘が鳴り続ける。王都全体が、魔王なき世界の始まりを祝っていた。


 俺はその中心にいた。


 いや、中心に立ってしまった。


 もう戻れないところまで来たのだと、そのとき初めて本当に分かった。


 あの日。アルスを押したあの瞬間から、俺はずっと逃げてきた。偽の紋章を刻み、王都へ入り、仲間を与えられ、戦い、救い、勝ち続け、魔王まで倒した。逃げ続けた先に、俺は世界の中心へ出てしまった。


 ここで、すべて嘘でしたなどと言えるはずがない。


 言えば、俺だけでは終わらない。俺を信じたクラウスも、俺に身を預けたセレナも、俺の後ろを歩いたエスカも、俺に救われたと泣いた人々も、全部が傷つく。俺が成したものも、救った命も、嘘の泥に沈められる。


 だから言えない。


 言えるはずがない。


 そう自分に言い聞かせた。


 だが、本当の理由はもっと浅ましかった。


 俺は失いたくなかった。


 名声も、金も、地位も、感謝も、勇者として見られる目も。七年前、欲しくて欲しくて、アルスを殺してまで手を伸ばしたものを、今さら返せるはずがなかった。


 王城前の広場に着くと、王が待っていた。


 祝辞があり、神官の祈りがあり、討伐の証として魔王の角が掲げられた。俺は膝をつき、王から言葉を受けた。勇者ユリス。王国の盾。世界の救い手。そう呼ばれるたびに、人々は沸いた。


 クラウスは誇らしそうだった。


 セレナは静かに目を伏せていた。


 エスカは居心地悪そうに周囲を見ていた。


 俺だけが、胸の奥に冷たい石を抱えていた。


 式典が終わり、ようやく城内に案内されたとき、俺は長い息を吐いた。身体中が痛んでいた。傷ではない。もっと深いところが軋んでいた。


 その夜、王城の一室で簡単な祝宴が開かれた。民衆向けの大宴ではなく、王族と主だった者たちだけの席だった。俺たちは疲れていたが、断ることはできなかった。


 年代物の酒が出た。上等な肉が出た。綺麗に焼かれた白いパンが出た。


 白いパンを見た瞬間、俺はアルスの家を思い出した。


 あいつは昔、何でもないようにそれを俺へ渡した。俺の家では、白いパンなど特別な日でもなければ出なかった。あのとき俺は、うまいと言って笑った。アルスも笑った。リーネが横で、もっと食べるかと聞いた。


 俺は、あの家からも奪ったのだ。


「ユリス」


 セレナが隣で声をかけた。


 俺ははっとして顔を上げた。


「顔色が悪いです」


「君ほどじゃない」


「私は魔力切れです」


「俺は勇者切れだ」


 軽口のつもりだった。


 セレナは少しだけ笑った。だが、すぐに真面目な顔に戻った。


「あとで、少し話があります」


 俺の胸が跳ねた。


 何の話だ。


 そう聞こうとして、言葉が出なかった。セレナの目が、いつもより柔らかかったからだ。責める目ではない。疑う目でもない。何かを決めかねているような、怖がっているような目だった。


「今でなくていいのか」


「ええ。今は、人が多いので」


 彼女はそう言って、視線を落とした。


 俺は、その意味を考えなかった。


 考えるべきだった。


 クラウスは少し離れた席で、王国騎士団の連中に囲まれていた。珍しく酒を飲んでいる。エスカは隅で小さくなりながら、山盛りの皿を前に困っていた。平和だった。少なくとも、その場は平和に見えた。


 俺たちは魔王を倒した。


 世界は救われた。


 これから先、俺は勇者として生きていく。嘘を抱えたままでも、いつかその嘘を超えるだけの何かになれるのではないか。そう思いかけた。


 だが、祝宴の終わり際、城の神官が俺の前に来た。


「勇者ユリス様」


 老神官は深く頭を下げた。


「明日、神殿にて討伐後の清めの祈りを執り行います。勇者の証にも、魔王の瘴気を払う祈りを捧げねばなりません」


 俺は笑顔を保った。


 だが、胸の奥が冷たく沈んだ。


 勇者の証。


 祈り。


 魔王が残した、あの曖昧な言葉。


 俺は、明日何が起きるのか分からなかった。だが、何かが近づいていることだけは分かった。七年間積み上げたものの下から、最初の死体が顔を出そうとしている。


 俺は杯を握りしめた。


 手の中で、銀の器がかすかに鳴った。

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