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勇者の首が落ちる朝 ~魔王を倒した男は、なぜ処刑されたのか~  作者: たま8


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二章 第4話 勇者たる努力

 村の子どもを助けた日から、俺は変わろうとした。


 そう言うと、綺麗に聞こえすぎる。


 実際には、もっと複雑だった。俺は急に善人になったわけではない。翌朝にはまだ、自分が称えられることに喜んでいた。王都へ戻って報告を受けた役人が感心した顔を見せると、胸の奥が満たされた。褒賞の金額を聞けば、まず使い道を考えた。勇者としての待遇が少し良くなると、これで農村のような暮らしには戻らなくて済むと思った。


 俺は、そういう男だった。


 だが、それだけではなくなっていた。


 夜、眠る前に、あの子どもの顔が浮かぶ。魔物の牙の前で泣いていた顔。服の端を掴んだ小さな指。勇者様、と呼んだ声。もし俺があのとき動かなければ、あの子は死んでいた。俺は、助けられる命を助けた。


 その事実が、俺の中で小さく光った。


 アルスを殺した記憶とは違う場所に。


 そして、その光は俺に努力を強いた。勇者のふりでは足りない。


 そう思った。


 ふりだけでは、次は間に合わないかもしれない。肩の傷がもう少し深ければ死んでいた。魔物がもう一体いれば、子どもごと食われていた。クラウスの盾が遅れれば、セレナの魔術が乱れれば、エスカが見落とせば、すべてが崩れる。


 俺は弱い。


 これは最初から分かっていた。


 だが、弱いまま勇者の席に座り続けることの恐ろしさを、その日初めて実感した。


 だから、鍛えた。


 朝、まだ城下が薄暗いうちに起きる。王城の訓練場の片隅を借り、剣を振る。クラウスに型を見てもらう。最初、クラウスは遠慮した。勇者殿に自分が教えるなど、と言った。


 俺は首を振った。


「俺は剣が下手だ」


 そう言うと、クラウスは一瞬だけ黙った。


「勇者殿が、それを言うのか」


「言わなければ強くならない」


 クラウスは俺をじっと見た。


 その目に何があったのか、当時の俺には分からなかった。失望か。驚きか。あるいは、ほんの少しの感心だったのか。


 やがて、彼はゆっくりとうなずいた。


「分かった。では、遠慮はしない」


 本当に遠慮しなかった。


 クラウスの稽古は厳しかった。足の置き方。盾の死角。剣の握り。敵を見る目。俺が体力に任せて振ると、すぐに叩き落とされた。農作業でついた力は役に立ったが、戦いの力とは違う。力を使う場所、抜く場所、息の仕方。何もかも学び直しだった。


 何度も倒れた。何度も立った。


 クラウスは倒れた俺に手を貸さなかった。


「立て」


 それだけ言った。


 腹は立たなかった。その厳しさはありがたかった。クラウスは俺を飾り物として扱わない。勇者だからと遠慮しない。戦場で死なせないために、必要なことを言う。


 昼は、セレナの部屋で魔物や魔術の記録を読んだ。


 王立魔術院の資料は難しかった。専門用語が多く、最初は何を言っているのか分からない。セレナは根気強く説明した。魔物の種類。魔力汚染の兆候。結界の構造。魔術師が詠唱中に弱くなる瞬間。俺が前衛としてどこに立てば、彼女の術が一番生きるか。


「あなたは魔術を使えません」


 セレナははっきり言った。


「分かってる」


「だから、使える者を理解してください。知らない前衛ほど、魔術師にとって危険なものはありません」


「耳が痛い」


「痛くするために言っています」


 セレナは真面目だった。


 だが、その真面目さに俺は助けられた。彼女は俺を盲目的に称えない。できないことはできないと言う。知らないことは学べと言う。俺はそれを聞いた。聞かざるを得なかった。


 夜は、エスカに付き合った。


 彼女は最初、なぜ自分が勇者に教えるのか分からないという顔をしていた。だが、足跡の見方や罠の避け方に関しては、クラウスやセレナよりもずっと詳しい。臆病であることは、生き残る技術と結びついていた。


「逃げ道は、入る前に見ます」


「戦う前から逃げることを考えるのか」


「生きて帰る人はみんな考えています」


 その言葉は、少し刺さった。


 逃げること。


 俺は逃げている。


 アルスの死から。偽の紋章から。自分が何をしてここに立っているのかという事実から。


 エスカの逃げ道は、生きて戻るためのものだった。


 俺の逃げ道は、自分を守るためのものだった。


 同じ言葉なのに、まるで違った。


「こういう枝は踏まない方がいいです」


「なぜだ」


「折れる音が大きいです。それに、下に穴があることがあります」


「よく分かるな」


「怖いので」


「便利だな、怖がり」


「褒め方が嫌です」


 エスカはぶつぶつ言いながらも教えてくれた。


 こうして、俺の一日は埋まっていった。


 夜明け前に起き、剣を振る。指南書を片手に朝食を済ませ、その後はクラウスに叩き伏せられる。昼にはセレナの部屋で魔術式と魔物の記録を読み、夜はエスカに連れられて城外の林を歩いた。暗がりの中で足音を殺し、折れている枝の向きや土の沈み方を覚える。


 眠る頃には、体のどこが痛いのかも分からなくなっていた。


 農村にいた頃から、俺の手は硬かった。鍬を握り、荷を運び、縄を引いてきた手だ。爪の間には落ちない土が残り、指の節は太く、子どもの頃から柔らかい手とは無縁だった。


 だが、勇者になってからの手は、それとは別の形で荒れていった。剣の柄に擦れて豆が潰れ、潰れた場所にまた豆ができる。血が滲んでも布を巻いて振り続けるうちに、手のひらはさらに硬く、ごつごつと変わっていった。


 肩の傷は塞がりかけては開き、汗が入るたびに焼けるように痛んだ。足は腫れ、膝は笑い、背中にはクラウスの木剣の痕が残った。


 それでも、休まなかった。


 休めば、その分だけ嘘が透ける気がした。


 俺は本物ではない。だからこそ、本物よりも上手くやらなければならなかった。本物なら、たまたまの失敗で済むことも、偽物がやればただの無能になる。嘘を本当に見せるには、真実よりも多くのものを積まなければならない。


 やがて、積み重ねたものが少しずつ形になっていくのを感じ始めた。


 この感覚は、俺にとって新しかった。


 農村にいた頃も努力はした。誰より早く起き、畑を耕し、荷を運び、計算も覚えた。だが、その努力はどこにも届かないと思っていた。家が貧しければ学ぶ場はなく、身分がなければ上へ行けない。どれだけ頭が回っても、使う場所がなかった。


 今は違う。


 努力すれば、ただ体が強くなるだけではない。剣の入り方が変わる。判断が早くなる。クラウスの動きに遅れず反応できる。セレナの術を待つ間合いが分かる。エスカの「嫌な感じ」が、ただの怯えではないと読めるようになる。


 それが嬉しかった。


 同時に、腹立たしかった。


 なぜ、最初からこの場所が与えられなかったのか。なぜ、俺はアルスを殺すまで、この努力を試す舞台に立てなかったのか。生まれさえ違えば、俺だって。


 そう思ってしまう。その考えが醜いことは分かっていた。


 だが、消えなかった。


 そして、どれだけ努力しても、最初の歪みだけは消えなかった。

 

 俺の勇者は、アルスを殺したところから始まっている。どれだけ剣を振っても、どれだけ人を救っても、その始まりだけは変えられない。


 そのどうにもならなさを抱えたまま、俺は強くなっていった。


 強くなるほど、周囲は俺を勇者として認めた。認められるほど、俺は真実を言えなくなっていった。


 けれど、その頃の俺はまだ、少しだけ信じていた。


 いつか、本当にそうなれるのではないかと。


 偽の紋章から始まったとしても、積み重ねたものまで偽であるとは限らない。クラウスに叩き伏せられ、セレナに叱られ、エスカに逃げ道を教わりながら、俺はそんな都合のいいことを考えるようになっていた。


 それは甘さだった。


 だが、その甘さがなければ、俺はたぶん前へ進めなかった。

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