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勇者の首が落ちる朝 ~魔王を倒した男は、なぜ処刑されたのか~  作者: たま8


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二章 第2話 はじめての任務

 最初の任務は、王都から二日ほど離れた森での魔物討伐だった。


 魔王の影響で凶暴化した狼型の魔物が、近隣の村を襲っているという。勇者の初任務としては重すぎず、軽すぎない。王国としても、俺の実力を見るには都合がよかったのだろう。


 俺は内心、かなり焦っていた。


 戦えないわけではない。農村で育ったから体力はある。短剣も少しは使える。だが、勇者と呼ばれるほどの実力などない。アルスなら、きっと正面から剣を振り、神に選ばれた者らしい何かで魔物を退けたのだろう。俺にはそんなものはない。


 だから、準備した。


 森の地形を調べ、魔物の習性を聞き、過去の討伐記録を読んだ。クラウスには正面戦闘の基本を聞いた。セレナには魔術の射程と発動時間を確認した。エスカには森での足跡の見方を尋ねた。


 皆、意外そうだった。


「勇者殿がそこまで細かく確認されるとは」


 クラウスが言った。


「確認しない勇者は死ぬだろ」


「勇者とは、もっと本能的に戦うものかと」


「俺は本能が鈍い」


 本当のことだった。


 セレナは、少しだけ俺を見る目を変えた。


「合理的ですね」


「悪いか」


「いいえ。無謀な人よりは」


 エスカは森の地図を広げながら言った。


「私は無謀な人とは組みたくありません」


「だそうだ」


 俺が言うと、クラウスは不満そうだったが、反論はしなかった。


 任務の日、俺たちは森へ入った。


 エスカは最初から役に立った。足跡を見つけ、糞を見つけ、折れた枝を見つける。彼女は怖がっていたが、怖がりながらも情報を拾った。セレナは周囲の魔力の濁りを調べ、クラウスは俺の位置を常に確認していた。


 俺は、その三人の動きを横目で見ながら歩いた。


 盾。魔術。斥候。


 そう思えば気が楽だった。彼らは俺を支える道具だ。俺という偽の勇者を勇者らしく見せるための役割だ。そう考えれば、少しだけ呼吸がしやすい。


 だが、森の中でクラウスがさりげなく枝を払ってくれたとき、セレナが俺の歩幅に合わせて少し速度を落としたとき、エスカが怖がりながらも「この先、嫌な感じがします」と小声で告げたとき、その考えは少しずつ崩れた。


 彼らは道具ではない。


 当たり前のことだ。


 だがその当たり前が、俺には重かった。


 そして、魔物が現れた。


 狼に似ていたが、普通の狼より大きく、目が赤い。三体。こちらを囲むように動いている。俺は剣を握った。手が汗ばんでいる。心臓がうるさい。


 逃げたい。


 正直に言えば、そう思った。


 だが、逃げれば終わる。俺が偽物だとばれる以前に、勇者として失格になる。クラウスもセレナもエスカも、俺を見るだろう。王にも報告が行く。勇者ユリスは最初の任務で逃げた、と。


 それはできない。


 俺は息を吐いた。


「クラウス、正面。セレナ、右の足を止めろ。エスカ、左の位置を見ろ。深追いするな」


 声は震えなかった。


 それだけで、少し安心した。


 クラウスが盾を構え、前へ出る。狼型の魔物が低く唸った。セレナの詠唱が後ろで始まる。短く、冷静な声だった。エスカはすでに木の陰へ移り、逃げ道と敵の動きを見ている。


 俺は剣を上げた。


 最初の一体が飛びかかってきた。


 速い。


 思っていたよりも、ずっと速かった。記録で読んだ速さと、実際に牙が迫る速さは違う。俺は半歩遅れた。肩に爪がかすめ、熱い痛みが走る。踏みとどまろうとした足が落ち葉で滑った。


 その瞬間、クラウスの盾が横から入った。


 重い衝突音。


 魔物の体がわずかに逸れる。


「足を止めるな!」


 クラウスが叫んだ。


 怒鳴られたことに腹が立つ余裕もなかった。俺は地面を蹴り、魔物の横へ回る。セレナの魔術が右の一体の足元に絡みついた。青白い鎖のような光が、魔物の動きを鈍らせる。


「長くは持ちません」


「十分だ!」


 俺は拘束された一体へ踏み込んだ。


 剣が浅く入る。手応えが悪い。骨に当たったのか、刃が止まる。魔物が暴れ、牙を向ける。そこへエスカの短剣が飛んだ。目元をかすめる。魔物がひるむ。


「今です!」


 エスカの声は裏返っていた。


 だが、その一瞬は確かだった。


 俺は剣を引き抜き、喉へ突き込んだ。


 魔物の体が痙攣し、落ち葉の上に崩れる。


 息をつく暇はなかった。残り二体が同時に動く。クラウスが一体を盾で押さえ、俺はもう一体に向き直る。恐怖で視界が狭くなる。自分の呼吸がうるさい。頭のどこかで、俺は何をしているのだろうと思った。


 こんなところで死ぬために、アルスを殺したのか。


 その考えが浮かんだ瞬間、逆に体が動いた。


 死ねない。


 ここで死ねば、何もかもがただの罪になる。いや、すでに罪だ。だが、その罪の上に何も積み上げられないまま終わるのは嫌だった。


 俺は魔物の突進を横へ避け、木の幹を背にした。魔物が飛びかかる。俺は身を沈める。牙が木に食い込む。その隙に腹へ剣を入れた。浅い。もう一度。今度は深い。魔物が暴れ、俺の腕に爪が入る。


 痛みを噛み殺し、押し込んだ。


 牙が木から外れ、魔物の体が俺の足元へ落ちる。腕に残った爪痕が熱を持ったが、見る余裕はなかった。


 最後の一体は、クラウスが押さえていた。だが盾に亀裂が入っている。セレナは次の術を組んでいた。エスカが木の上から叫ぶ。


「後ろ、ぬかるみです!」


 俺は足元を見た。


 魔物の後ろに、落ち葉で隠れた柔らかい地面がある。


「クラウス、押せ!」


「了解!」


 クラウスが盾で押し込む。魔物が後ろへ下がり、そこで足を取られた。セレナの術がその足を縛る。俺は横から踏み込み、首元へ剣を突き上げた。


 魔物はまだ暴れた。泥を跳ね、爪で地面を裂き、最後までこちらを噛もうと首を捻る。クラウスが盾で押さえ、セレナの光が脚を縛る。エスカが何か叫んでいたが、意味までは聞き取れなかった。


 やがて、抵抗が抜けた。


 しばらく、誰も動かなかった。


 森に静けさが戻る。俺は剣を握ったまま立っていた。肩と腕が痛む。息が荒い。手が震えている。だが、生きている。


 それでも、すぐには森を出られなかった。


 魔物が本当に三体だけだったのか確認する必要があったし、王都へ報告するための証拠もいる。クラウスは周囲を警戒し、セレナは死骸に残った魔力の濁りを調べた。エスカは離れた場所から「近づきたくないです」と言いながら、それでも足跡の向きを確認していた。


 俺は、魔物の牙を一本切り落とした。


 手はまだ震えていた。戦いの震えなのか、初めて自分の指示で魔物を倒した興奮なのか、自分でも分からなかった。刃を入れるたび、硬い感触が手首へ返ってくる。生きていたものが、もう動かない。そう思うと、妙な寒気がした。


 クラウスが横に立った。


「勇者殿、無理をなさらずとも」


「これくらいはやる」


「証明部位の回収は、従者に任せる者も多い」


「俺には従者はいない」


「我々がいます」


 その言葉に、俺は一瞬返事を失った。


 クラウスは当然のように言ったのだろう。だが、俺には妙に重く響いた。俺のために誰かがいる。俺の命令で動き、俺の証明のために手を汚す。そういう立場に、自分がもう足を入れている。


 セレナが記録板に何かを書きつけながら言った。


「牙だけでなく、血液も少量採取します。魔王の影響がどの程度か調べられます」


「血まで持って帰るのか」


「必要です」


「魔術師は大変だな」


「勇者も大変そうでした」


「見てたのか」


「見ていました。あなたが半歩遅れたところも」


「細かいな」


「記録ですから」


 彼女の声は淡々としていたが、責めているわけではなかった。事実を事実として見ている。そこが少し怖く、同時にありがたかった。俺を神託の英雄として持ち上げるでもなく、ただ戦場に立った一人として観察している。


 エスカが木の陰から顔だけ出した。


「帰りませんか。死骸がある場所は、別の魔物が来そうで嫌です」


「その可能性はあるな」


「ほら」


「だからこそ、確認してから帰る」


「正論が嫌いです」


 俺は少し笑った。


「それにしても勇者殿、よく指揮を執られました」


 クラウスの言葉で俺は顔を上げた。


「どこがだ。助けられてばかりだった」


「助けが必要なところで助けを求め、必要な指示を出された。それで十分です」


 意外な言葉だった。


 セレナも言った。


「初戦としては悪くありません。無謀に突っ込まなかったのは評価できます」


「厳しいな」


「事実です」


 エスカは魔物の死骸から距離を取りながら言った。


「生きてるので、私は満点でいいです」


 俺は笑った。心から笑ったのは、王都に来てから初めてだったかもしれない。


 帰り道、クラウスは前を歩き、セレナは討伐記録を書き、エスカは何度も後ろを振り返っていた。俺は、その三人の背中を見ていた。


 最初に会ったとき、俺は彼らを役割で見た。盾。魔術。斥候。俺の弱さを隠すための道具。そう考えなければ怖かった。


 だが、森の中で俺を生かしたのは、道具ではなかった。


 クラウスは俺が崩れそうな瞬間に前へ出た。セレナは俺の呼吸に合わせて術を撃った。エスカは泣きそうな声で、それでも逃げ道を見つけた。


 それぞれに怖さがあり、判断があり、命があった。


 その上で、俺の声に応じてくれた。


 俺は一人ではなかった。


 その事実が、思っていたよりも胸に残った。


 俺が強かったから勝ったのではない。クラウスが受け、セレナが止め、エスカが見つけた。俺はその上に剣を置いただけだ。だが、結果として魔物は倒れ、俺たちは生き残った。


 それでいいのではないか。そう思ってしまった。


 神託に選ばれていなくても、胸の証が偽物でも、仲間を認め、力を借り、準備し、判断を間違えなければ、勇者の役目は果たせるのではないか。


 それは希望だった。


 同時に、危険な甘さだった。


 偽物でも成果を出せばいい。


 俺は、その日から、そう思い始めた。

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