あかねさす 番外編
◆茜音の母視点
4月のある夕方
仕事から帰ってきた私は、リビングで妙に静かな空気に首をかしげた
いつもなら茜音はテレビをつけたままお菓子を食べ、だらだらしながらスマホをいじっている
それなのに今日はーー
(え、机に向かってる……?)
そっと覗くと、
「えっと……『あかねさす』は……額田王……紫草……やっぱ背景やば……」
ぶつぶつ言いながら古典の教科書を読んでいる
しかも、付箋まで貼ってある
(どうしたの!?誰!?)
とりあえず声をかける
「茜音、勉強?珍しいねぇ」
「……うん。古典、面白いかも」
「え?古典が?あの茜音が?」
うちの娘は、数学より古典が嫌いなはずだ
以前など「枕詞って何……?」と言ったまま沈黙していた
それが今、ペンまで持って問題を解いている
「急にどうしたの?」
茜音は照れくさそうに、引き出しから大事そうに紫の封筒を取り出した
「ママ……これね、和歌が届いたの。めっちゃかっこよくて……それで、調べたらさ……歴史ドラマみたいで……」
便箋を見せてもらった瞬間、私まで息をのんだ
——漆黒の筆文字
——薄紫の紙
——雅やかな2首
「……綺麗ねぇ……。こんな手紙、嬉しいだろうね」
「でしょ!?しかも背景やばいんだよ。昼ドラなの!」
勢いよく説明が始まった
『額田王がね——』『中大兄皇子と——』『壬申の乱が——』
(ああ、この子、本当にツボに入ったんだ……)
こんなに目を輝かせて古典を語る娘を見るのは初めてだった
それから数日。茜音は古典に夢中になり
気がつけば期末テストで 90 点
答案を見た娘の
「私……出来た……!」
という表情に、母は思わず胸が熱くなった
(きっかけって……本当に大事ねぇ)
あの紫の封筒は、
娘の未来をほんの少し変えてくれたのだ
ーーーーーーー
◆紫野に誘われて
その週の火曜日
桜は朝のほうじ茶を飲みながら、届いた依頼を1つずつ開いていた
「えーと……“古典が苦手です。何か面白い和歌が読みたいです”……」
桜はくすっと微笑む
「可愛い依頼ね。学生さんかな?ただ難しい歌を送るだけじゃ、きっと響かない……」
彼女は棚から古い和歌の本を取り出し、ぱらぱらとページをめくる
「“面白い”……“物語がある”……“一読でドラマがわかる”……そんな歌……」
そこで指が止まった
額田王と大海人皇子の有名な贈答歌
「これ……いいわ。背景がめちゃくちゃ濃くて、ちょっと調べたら“えっ!?”って驚くはず」
学生が読むには刺激が強いかとも思った
しかし、物語の強度は抜群だ
桜は紫野にちなみ、紫色の封筒と便箋を選んだ
「紫が映える歌だものね……。筆は漆黒にしよう」
筆を走らせながら桜は思う
「難しい言葉でも、恋の歌なら心に残る。千年以上前の人も、私達と同じように恋や嫉妬で揺れてた。それに気づいてくれたら、それだけでいいわ」
書き終えた2首をそっと乾かし、封筒に入れる
「この子の世界が、少しでも広がりますように」
静かに願いながら、桜はポストへ向かった
後日、茜音が古典に目覚めたことを桜が知ることはない
しかしーー
桜が選んだ筆文字の2首は、確かにひとりの女子高生の人生を、そっと明るい方へ押していた




